死生観に悩む「スピリチュアルペイン」とは?その意味と、根本的な治療を考える

梅雨が明けて、暑い日が続いていますが、皆さん夏バテしていませんか?
太陽に当たるとエネルギーが吸い取られ、通勤だけでめっきり疲れてしまう、カピ子です。

私は仕事が医療関係ということもあり、以前から「スピリチュアルペイン」に関心がありました。

スピリチュアルペインとは、終末期患者の死生観に対する悩みに伴う苦痛のことをいいます。

終末期の患者さんは、
私の人生は何だったのか?
病の苦しみを抱えながら、生きる意味はあるのか?
と思い詰め、答えの出ないことに苦しまれているのです。

スピリチュアルペインの詳細について、また、どうすればスピリチュアルペインをケアできるのかについてお話ししていきます。

昨日までできていたことが、できなくなる

まず、私が実体験を通して感じたことがあります。

ある日、身内が脳梗塞で突然入院することになったのです。

たった一日で、昨日までできていたことができなくなりました

一人で歩くことも、トイレに行くことも、
お風呂に入ることも、思うように話すことも、
野菜を育てることも、料理をすることも、
買い物に行くことも…

今まで一人で何でもしていた人が、人の手を借りないとできないことがほとんどです。

生活は180度変わりました。

野菜を育てることを生きがいとし、家族に手料理を振る舞うことを楽しみにしていた身内が、その生きがいや趣味、目標を失ってしまったのです。

いったい何を考え生きているのだろう?
人生の大きな壁にぶつかることになったのです。

これは決して、あなたにとっても無関係なことではありませんいつ病気に襲われるかわからないのです

20代、30代の私たちは、いつ病気になるか分からないと分かっていながらも、「私はまだ大丈夫」という思いがあるのです。

けれど、若くして死と直結する病気を患われた方もたくさんいます。

22歳で急性白血病に…突如として奪われる楽しみ

今年の6月には、前途有望な22歳のプロサッカー選手・早川史哉さんが急性白血病であったことが発表され、衝撃を与えました。

アルビレックス新潟は、DF早川文哉さんが試合の後、リンパ節の腫れを認め、専門医の慎重な診断により急性白血病であることを発表しました。

早川選手は「華やかじゃないけど自分らしくコツコツと。もう一度大好きなアルビレックス新潟に戻ってこれるように頑張ります。」とコメントを寄せています。

彼はサッカーを生きがいとし、これからプロの舞台で大活躍することを目標に練習に励んでいたのではないでしょうか。

「頑張ります」とコメントを出すまで、様々な不安や葛藤があったと思いますし、それは今も続いているかもしれません。

病気や事故に襲われ、今まで当たり前のようにできていたことができなくなったり、生き甲斐、楽しみとしていたものが突如として奪われたりすることは、決して大げさではありません

そこで考えていかなければならない問題が、スピリチュアルペインです。

スピリチュアルペインとは?意味と症例について

冒頭でもご紹介しましたが、スピリチュアルペインとは、終末期患者の人生の意味や罪悪感、死への恐れなど死生観に対する悩みに伴う苦痛のことです。

「私の人生は何だったのか」
「生きている意味はあるのか」
と思い詰めることで、「魂の痛み」とも言われています。

例えば、再発した癌が進行し、排泄も家族の世話にならなければいけなくなった女性は「こんなに家族に迷惑がかかるのなら、早く死んでしまった方がいい」と言われます。

また、ゴルフをこよなく愛していた男性は「ゴルフができないなら生きている楽しみがない」と言われたそうです。

スピリチュアルペインは

  • 残された時間が限られることから来るもの
  • 自分でできていたことができなくなることによるもの
  • 家族との関係など人間関係が失われることから来るもの

があるといわれています。

先の例でいうと、癌の進行した女性は、自分でできていたことができなくなり、しかも家族に迷惑をかけて人間関係が崩れるかもしれないという状況に追い込まれたため、大変な苦痛を受けたのですね。

スピリチュアルペインを根本から治療するために

では、このようなスピリチュアルペインを根本からケアするためにどうすれいいのでしょうか?

それは、どんな深刻な状況に陥ったとしても、その苦しみを乗り越えて生きていくのは何のためなのか?という生きる意味がわからないと、スピリチュアルペインはケアされません。

時間が限られても、当たり前のようにできていたことができなくなっても、楽しみや生き甲斐が奪われても、家族との人間関係が失われたとしても、それでも生きていくべき意味を知ることでこそ、スピリチュアルペインは根本からケアされるのです

果たして、そこまでして生きる意味はあるのでしょうか?

実は、仏教を説かれたお釈迦さまは、どんな人にも、どんな状況の人でも、果たすべき大事な使命がある、と言われています。

それをいわれたお言葉が

天上天下 唯我独尊

です。

長阿含経という経典に書かれているお言葉で、一度は聞かれたことのあると思います。

天上天下とは、天上にも地上にも、ということ。わかりやすく言うと、宇宙のことです。
というのは、私のことでなく人間ということ。
独尊とは、たった一つの尊い使命がある、ということです。

だから「天上天下 唯我独尊」で、天上にも地上にも、ただ人間にしか果たせないたった一つの尊い使命がある、ということをお釈迦様はおっしゃっています。

このように、苦痛に耐えてまで生きて果たさなければならない使命、生きていくべき意味のあることが仏教では明言されています。

この記事が、大事な使命が説かれる仏教を学ばれるきっかけとなれば嬉しいです。

私も続けて仏教を学んでいきたいと思います。

こちらの記事も読まれています