こんにちは、YURAです。
2016年上期に放送されたドラマ『太陽の末裔(태양의 후예)』は韓国で爆発的大ブームを巻き起こしました。最終回の視聴率は、ソウルで44%をたたき出した話題作です。
大ヒットドラマ「太陽の末裔」最終回、視聴率はソウルで44%を記録│ワウコリア
脚本は、数々のヒット作を生み出した有名脚本家が手がけ、除隊後初めてのドラマ復帰となるソン・ジュンギと、3年ぶりに主演を果たすソン・ヘギョのダブル主演ということもあり、国民的ドラマとなりました。そして日本でも、6月21日から放送されることが決定しています。
そんなソンソンカップル主演ドラマから、今回は2回にわたって、命に価値について考えていきます。
『太陽の末裔』のあらすじ
主人公のユ・シジン(ソン・ジュンギ)は特戦司令部大尉で、いわゆる軍人です。
ヒロインのカン・モヨン(ソン・ヘギョ)は特進病連VIP担当教授という肩書きで、医師をつとめています。
そんな2人は、軍人として、医師として、戦争と疾病が絶えない開発途上国に派遣されます。地面には地雷が埋まり、いつ戦争が起こるかもわからない、不法取引も日常化している世界です。
それぞれ自分の仕事に誇りを持っている2人。互いの仕事を全うする中、相手が頑張っている姿を想像すると、自分の力になる。2人は互いに、なくてはならない存在になっていきます。
いつ死ぬかわからない。生と死が常に隣り合わせの極限状態の中で、彼らが直面する“生命の価値”について、深く考えずにおれないヒューマン恋愛ドラマ、それが「太陽の末裔」です。
軍人と医師、命の価値観の違い
軍人と医師という立場の2人。
やがて仕事のことで、価値観の違いが生まれます。
(軍人であるシジンさんは)誰かを殺すとか、本人が死ぬかもしれない、そんな仕事をしてるんでしょ。
悪い人とだけ、戦うんですか?
私は毎日のように、死にそうな人を助けるために、手術に12時間以上も費やします。それが私の仕事です。命のために戦うことです。
でも、シジンさんの戦いは、死を犠牲にして命を救う仕事ですね。
(KBS 2TVドラマ「太陽の末裔」第2話より)
医師のモヨンは、奪った命をもって命を生かすのが軍人の仕事だ、と言及します。
世界では今この瞬間も、戦争や紛争によって罪のない人々が命を落としているのです。胸が痛む、悲しい現実です。
先日5月27日、オバマ大統領が現職アメリカ大統領として初めて、被爆地・広島を訪問したことが話題になりました。それは核兵器の断絶、戦争のない平和な世界を望んでのことでしょう。
毎日必死で命を救おうとしているモヨンにとって、誰であろうと命を奪うことは許しがたいことでした。
しかし、モヨンの言うことも最もですが、軍人シジンから見れば、攻めてくる敵を倒さないと自分の国の平和を守れません。
今までに私は、3名の戦友を作戦中に失いました。
それでも私がこの仕事をする理由は、誰かが必ずしなければならないことで、私と私の家族、カン先生(モヨン)とカン先生の家族、その家族の大切な人たち、その人たちが暮らしているこの国の自由と平和を守る仕事だと信じているからです。
(KBS 2TVドラマ「太陽の末裔」第2話より)
もちろん、犠牲となる命は少ないほうがいいに決まっています。
しかし、シジンの言うように「大切な人を守るためであれば、多少の犠牲はやむを得ないのではないか。正当化できる殺人もあるのではないか」と疑問が残ります。
どんな理由があろうとも罪になる“殺生”
時代ごとの法律によって、殺人に正当性があるかどうかは決まっています。
ところが仏教で殺人(殺生といわれます)は、どんな理由があろうと悪であり、殺生をすれば罪となると説かれています。ゆえに殺生は戒められています。
不殺生戒(ふせっしょうかい) – 生き物を殺してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。
軍人のように、たとえ合法的に許可されていたとしても、誰かを守るためであったとしても、仏教で殺生は許されるものではなく、殺生が悪果を生み出すことには変わりはないのです。
しかし、さすがに他人の命や利益を脅かす悪人が裁かれるのはやむを得ないではないか?と疑問もわいてくると思います。
悪人の命をどう扱うかも、このドラマでも描かれています。
悪人の命の価値をどう考えるのか。またその時にモヨンのとった行動とは、一体どんな行動だったのでしょうか。
次回はドラマのその場面を通して、命の価値について深く学んでいきたいと思います。
※セリフ翻訳:YURA
記事の構成上、一部意訳しているところや、省略しているところがあります。ご了承ください。