【2019/01/27更新しました】
織田信長を
暗殺せよ
今月18日から上映スタートした『映画 刀剣乱舞』は、刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』の映画化作品です。
「刀剣乱舞」は2社によるアニメ化やコミカライズ、舞台化そしてミュージカル化と、様々なメディアミックス展開で成功を納めてきました。
さらに昨年は「ミュージカル『刀剣乱舞』」が第69回NHK紅白歌合戦に出場し「刀剣男士」の名が全国的に知れ渡ることに。
その翌月、待望の『映画 刀剣乱舞』がスタートしました。
1月21日付けの週末興行収入ランキングでは上映館111館で第5位にランクイン、ぴあ映画初日満足度ランキングでは1位を獲得し注目を集めています。
『映画刀剣乱舞』上映館111館で週末興収ランキング第5位と大健闘!初日満足度ランキングでは第1位を獲得!
筆者は「刀ステ」「刀ミュ」のファンであることもあり、前々から『映画 刀剣乱舞』が楽しみで初日に早速鑑賞しました。
今週も何回も鑑賞予定ですが、初日の感動の記憶が新しい内に『映画 刀剣乱舞』が教えてくれる深い哲学性について今回は考察してみたいと思います。
※鑑賞を繰り返す中で気づいた点を加筆修正しました。(2019/01/27)
※ストーリーの核心部分に関するネタバレがあります。「映画刀剣乱舞」はネタバレ情報無しでご鑑賞頂きたい作品です。未鑑賞の方はご鑑賞後に読んで頂くことを強くお薦めいたします。
【『映画 刀剣乱舞』あらすじ】織田信長は謀反を起こした明智光秀によって暗殺された…はずだった
任務 織田信長を 暗殺せよ
本予告でもこう出ているように、『映画 刀剣乱舞』は日本の歴史最大のミステリー「本能寺の変」が舞台です。
■「映画刀剣乱舞」本予告
明智光秀の謀反によって焼け落ちる本能寺から物語は始まります。
歴史の改変を目論む「時間遡行軍」が本能寺の変に現れ、信長を本能寺から救い出そうとしていました。
そこへ現れたのが「刀剣男士」。
歴史を守るため命を懸けて戦う刀剣男士たちの健闘により、敵は殲滅され歴史通り本能寺は焼け落ちていきました。
しかし「無銘(むめい)」という正体不明の遡行軍が織田信長を本能寺から救い出し、生き延びてしまいます。
赤く光った目の、おどろおどろしい時間遡行軍を率い、自身が生きていることを世に知らしめようと立ち上がる信長。
まさに「第六天魔王」の名にふさわしい、魔王の軍勢が動き出します。
これを受けて刀剣男士たちは再び出陣するのですが、この後誰もが予想しなかった展開が待っています。
【ネタバレ注意!!】最初に覚えた違和感は、羽柴秀吉の姿
※ここからストーリーの核心部分に関するネタバレがあります!※
「お館様〜!なぜじゃ、なぜじゃ!
ウソじゃと言うてくれ〜!
うわぁぁ!」
筆者が最初に違和感を覚えたのは、織田信長が本能寺で暗殺されたと聞いたときの秀吉の姿です。
後に天下統一を果たし、日本史上トップクラスの人気を誇る英雄・豊臣秀吉。
信長の訃報を聞いたあと、放心状態になり後ろに倒れ、そのまま子供のように地面を転がって泣きわめく姿はかなり印象に残るものでした。
家臣が手も付けられないほどに動揺し、涙と鼻水でぐちょぐちょになっている秀吉は
「うぅ、もう……もう『猿』と呼んでくださらんのか……」
と仰向いてしゃくり上げ、青空を目にした瞬間。
泣きわめいていたのがウソのように無表情で起き上がります。
同じ『刀剣乱舞-ONLINE-』を原作とする舞台化作品「舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」の大ファンである筆者は、別作品と分かっていても「秀吉」のキャラの違いに意外性を感じました。
『ジョ伝』に登場する秀吉は
「本能寺で信長公が光秀めに討たれた時、儂は途方に暮れた。
あの御方は、儂に行く先を示す標星だったからじゃ。
その標星を失った儂におぬし(黒田官兵衛)はこう申した。
天運が巡ってきた。
信長公に代わり、この儂に天下を取れと」
「戯曲 舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」 (末満 健一・2018)より
と述懐するシーンがあるのですが、本作では秀吉が立ち直った(ように見える)きっかけが曖昧に描かれています。
筆者は「キャストに黒田官兵衛が登場しないこともあり、秀吉自身の意志で光秀打倒を決心した部分が強調されているんだろう」と思いながら鑑賞していました。
しかし、この場面こそが物語の核になることが後の展開で明らかになります。
明らかになる秀吉の本性。審神者を裏切ったようにも見える三日月宗近の行動の真意とは
「の……信長……生きて……!」
本能寺を逃げ延びた信長は時間遡行軍を従え、敗走する光秀を亡き者にしようとします。
しかし信長を助け出した謎の存在・無銘が突如、信長に刃を向け、三日月宗近が無銘に襲われた信長を助けて姿を消してしまいました。
※後に明らかになりますが、無銘の正体は時間遡行軍に操られた刀剣男士・倶利伽羅江で、元主である明智光秀をとっさに守ろうとしたようです。
出陣前から三日月宗近の行動に不審を持っていたへし切長谷部は秀吉の元へ向かう時間遡行軍の太刀を追うことを決意、長谷部の保護者のような形で日本号も付いていくことに。
秀吉の元には時間遡行軍の太刀が堂々と姿を現し、本能寺から逃げ延びた信長からの書状を秀吉に渡します。
この書状の表書きには『赤尻ノ猿殿』という宛名が。
書状には信長が生きていること、安土城にて秀吉を待っていることが記されていました。
間一髪、間に合った長谷部と日本号は時間遡行軍を瞬殺し、その書状は明智の残党による罠だと説明します。
しかし秀吉は誘い出されたと見せかけて安土城に向かうと決心、信長と秀吉を会わせないために長谷部たちは秀吉に同行しますが、この後衝撃の事実を二振りは知ることに。
安土城を目前に、なぜか温泉に入る秀吉と、側で待機する長谷部たち。
秀吉はおもむろに湯の中から立ち上がり、真っ赤なアザのある尻を見せます。
「わしの尻にアザがあるのが見えるか
わしが猿と呼ばれる所以よ
知っておるのは、お館様だけじゃ。ここで一緒に風呂に入った時にな
つまり、あの密書はまさしくお館様からじゃ」
『赤尻ノ猿殿』は信長と秀吉しか知らないはずの呼び名で、長谷部たちの主張が偽りだったことを始めから秀吉は気づいていたのでした。
「わしはこのまま安土へ入る。
そして織田信長を討つ!」
実は現代に伝わる「歴史」には残っていない「元々の歴史」があったのです。
長谷部「秀吉……、どうして信長を!」
秀吉「あの時……
見えてしまってなぁーーー
天下が」
秀吉の脳裏に浮かんでいたのは、信長の訃報を聞いて錯乱していた際、仰向いて目にした青空。
信長が死ねば、自分に天下が回る。
一農民の出から後の天下人になる鬼才は、その時気づいてしまったのです。
「燃やせ!燃やせ!
明智の残党を焼き尽くせ!
骨ひとつ残すな!」
安土城へ入った秀吉は、信長当人がいると分かっていながら安土城を焼き尽くしにかかります。
実は「元々の歴史」で信長は家臣・森蘭丸が開いた血路によって安土城に入り、秀吉に密書で安土城へ駆けつけるよう要請。
しかし既に天下取りへと歩み出していた秀吉は、密書をわざと無視し明智の残党狩りの名目で信長を抹殺します。
三日月宗近は出陣部隊の中で「元々の歴史」をただ一人知り、裏の歴史と現代に伝わる表の歴史の両方を守るため、信長を時間遡行軍から引き離した上で安土城へ連れて行ったのです。
「お館様!
お館様が手に入れられなかったもの、すべてこの赤ケツの猿めが頂きますぞ!」
信長が手にできなかった三日月宗近を天に掲げ、「信長の仇討ち」の名目で、信長を裏切り、その天下の象徴ごと焼き払おうとしてやってきた秀吉。
突如目前に迫った天下を知った瞬間、信長への敬意も恩義もすべて吹っ飛んだ秀吉の、狂気じみた歓喜の姿は何度見ても目に焼き付く場面です。
「歴史とは人」人の姿を千年見てきた三日月宗近の言葉に込められた、深く重い意味
「のぅ、宗近。
お前たちの言う『正しい歴史』とは何だ。」
「……『正しい』とは常に、誰かにとって、というだけでしかありませぬ」
真実を知る前、信長は三日月宗近にこんな問いかけをしていました。
千年もの間、人の歴史を見てきた三日月宗近の答えは「『正しい』とは常に、誰かにとって、というだけ」。
真実を知り、安土城で散る自身の最期を変えたいと迫る信長に、三日月宗近はこうも言います。
「信長公、歴史とは人。
私はその人を守りたい」
千年の歳月を人とともに在り続けた三日月宗近にとって、歴史は「人」そのものであり、ともに在った数多の人を守るために歴史を守りたい。
表の歴史と裏の歴史の両方を守るため、ただ一人孤独な戦いに身を投じようとした三日月の原動力はこの想いにありました。
「歴史とは人」の「人」には信長も、そして秀吉も入ります。
現代に伝わる「表の歴史」は、勝者となった「人」が作り上げていくものです。
『映画 刀剣乱舞』はフィクション作品ですが、天下人となった秀吉が自分にとって都合の悪い「歴史」が残らないようにしたことは大なり小なりあるでしょう。
三日月宗近は人の都合によって消された「歴史」をこのように語っています。
「誰にとっても『正しい歴史』……、しかしそれが真実とは限りませぬ。
長い歴史の中には、墨で塗りつぶされたような、葬られた歴史とでも言うべきものがありまする」
筆者は日本史好きで、大学受験で浪人したときも日本史が予備校生活の中で一番好きな授業でした。
お世話になった日本史の先生が授業で言ったある言葉が、今でも心に残っています。
「蘇我入鹿とか、蘇我馬子とか今日の授業で出ましたけど、こんな名前の人本当にいると思います?
その時代の権力者が子供にイルカとか馬とか名付ける訳ないと思うんですよね。
蘇我氏を滅ぼした側の人間が歴史書に『イルカとか馬って名前付けちゃえ』って残したんじゃないかという説があります。
死人に口無しですから、勝者によって歪められた事実が歴史として残っていく部分ってある訳ですよ。」
現代に伝わる「歴史」の中には勝者によって葬られた歴史が存在すると筆者も思いますし、そこも歴史の魅力の一つだと思います。
「第六天魔王・織田信長」や「天下人・豊臣秀吉」といった現代まで語り継がれている英雄の「歴史」は、言い換えればその時代の「評価」とも言えます。
筆者は仏教哲学も好きなのですが、仏教では人の評価というものには必ず人の都合が入るため、正しい己の姿を表すものではないと説かれます。
自分の今後のことを思って注意してくれる人の言葉を、素直に聞こうとする心は大切なことです。
しかし一方で人の評価はその人の都合によって大きく変わるものでもあります。
「……『正しい』とは常に、誰かにとって、というだけでしかありませぬ」
という三日月宗近の言葉には、千年の歴史で三日月が見てきた、時代の勝者となった「人」が残した「歴史」の本質が現れています。
SNS社会で他人の評価がすぐに目に入ってしまう現代。
他人の評価に振り回されやすい現代人にこそ必要なメッセージが、三日月宗近のセリフに込められているように感じました。
『映画 刀剣乱舞』の秀吉は「悪者」ではなく、私たち「人」の象徴
「お館様の仇討ちという名目で、信長を裏切り天下を掠め取った」という姿で描かれた秀吉は一見「悪者」のようにも見えます。
しかし秀吉は、焼け跡に遺された短刀を拾い上げ
「お館様………」
と涙ぐむ姿が最後の登場シーンとなっています。
「歴史」では輝ける英雄である秀吉も私たちと同じ、「人」。
都合によって時には自身の栄光のための「歴史」を作り、そんな自身の浅ましい姿を時に知らされて泣く。
この後日本史の英雄となる秀吉を「人」のありのままの姿としてえぐり出した『映画 刀剣乱舞』は歴史ファンにも是非見て頂きたい作品です。
「刀剣乱舞」のファンなら知っている一期一振のログインボイス
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな」」
は「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」という秀吉の辞世の句の一部です。
もし本当に秀吉が、自身の天下取りのために信長を焼き殺し、天下統一の夢を果たしたとしたら。
自分にとって都合の悪い「歴史」を塗りつぶし、日本史上の人気者として輝かしい「歴史」を作り上げた末に、やっと気づいたことがこの辞世の句だったとしたら…
最期に残した言葉がより儚く、悲しい言葉に思えてきます。
※一期一振のログインボイス「露と落ち 露と消えにし 我が身かな」についてはこちらの記事でも考察させて頂いています。
『映画 刀剣乱舞』の内容紹介はこちらの公式シナリオブックから紹介させて頂きました。映画鑑賞時には気づかなかった新たな発見ができるのでファン必見です!