「舞台『刀剣乱舞』」通称「刀ステ」シリーズは、刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』を原作とする演劇作品です。
「刀剣乱舞」は2社によるアニメ化やコミカライズ、ミュージカル化など、様々なメディアミックス展開で成功しています。
中でも「舞台『刀剣乱舞』」通称「刀ステ」は深い物語と高いレベルの殺陣が大きな話題を集めてきました。
今年は待望の新作公演が6月14日からスタート予定。
筆者も兵庫で鑑賞させて頂く予定ですが、新たな刀ステの物語が見られることが今から待ち遠しいです。
そんな刀ステ作品の中で、今回ご紹介する「舞台『刀剣乱舞』外伝 此の夜らの小田原」は「外伝」というタイトルだけ見ると「番外編」の印象が強い作品。
しかし刀ステシリーズ全体を通して見ていくと「外伝」はただの番外編ではなく、シリーズ全体の鍵を握る面があります。
新作公演を前に、アーカイブ配信もスタートした「外伝 此の夜らの小田原」。
「外伝」だから見なくてもいいかな〜と思っておられる方も、是非一度ご鑑賞頂きたい作品です。
Blu-rayを100回以上鑑賞している外伝沼民(?)の筆者がその魅力と、刀ステシリーズ全体における「外伝」が持つ深い意味を考えてみたいと思います。
【あらすじ】舞台「外伝 此の夜らの小田原」で明らかになる、小夜の「義伝」「ジョ伝」への重要な布石
「惑いの鈴の音よ…さあ…お前たちはどんな惑いを見せるか…?」
「刀ステ」シリーズ初の野外公演であり、新小田原城への来場者100万人達成記念として上演された『外伝 此の夜らの小田原』。
小田原征伐を間近に控えた小田原城の麓で起こる、在る一夜の物語が描かれます。
「刀剣乱舞」の主役は審神者(さにわ)という能力者の力で人の身を与えられた刀剣・刀剣男士です。
刀剣男士の使命は、歴史修正主義者が率いる「時間遡行軍」による歴史改変を阻止すること。
「刀ステ」シリーズの主人公である刀剣男士・山姥切国広は足利長尾氏当主・長尾顕長の命によって打たれた刀剣です。
山姥切国広とその仲間であるへし切長谷部、小夜左文字はある時、永禄年間の調査任務に向かいますが、到着したのは小田原の地でした。
長尾顕長が山姥切国広の作刀を名工・堀川国広に命じた時期でもあります。
その顕長が時間遡行軍の標的となり、時間遡行軍に取り憑かれ「山姥」の姿に。
「山姥」は惑いの心を増幅する鈴の音で小田原征伐の中心人物の一人・北条氏直の心を惑わしていきます。
鈴の音による惑いを強める力は人間だけでなく、人の心を得た刀剣男士たちにも及びました。
※山姥が言う「惑い」に関するセリフについてはこちらの記事で考察しています。
山姥切国広は長義の「写し」であるコンプレックスに苦しみながらも自身の惑いと向き合い、最後は「山姥」を倒して長尾顕長を時間遡行軍から解放しました。
「山姥」との戦いに際し、本丸から応援に駆けつけた仲間たちは戦いが終わったあと、山姥切にある報告をします。
それは「義伝」の物語で顕現したばかりの刀剣男士として登場する太鼓鐘貞宗が本丸にやってきたという内容でした。
刀ステは「虚伝」から「外伝」、そして外伝に続く「義伝」という時系列で物語が進んでいたことが明らかになるのです。
そしてもう一つ、小夜に長谷部が言ったある言葉が『義伝 暁の独眼竜』以降の小夜に大きな影響を与えます。
「近侍は主の傍にあり、本丸の皆を導く。
主のためにも、俺たちはその近侍を支えなければならない。
小夜左文字、あまり山姥切国広に心配をかけるな」
「外伝」での長谷部のセリフが「義伝」で小夜を苦しみのどん底に…
「あまり山姥切国広に心配をかけるな」
この長谷部の一言が、小夜左文字を苦悶の底に落とすことになります。
山姥切「さあ、俺たちも任務に取りかかろう
小夜?」
小夜「……僕は……」
「山姥」が持っていた錫杖の鈴の音によって惑いを増幅されたのは人間だけではありませんでした。
……復讐を……復讐を……復讐を……
母を殺した男に復讐を……
小夜は密かに抱えていた惑いが増幅されてしまい、「復讐」という恨みの心に苦しんでいきます。
しかし幼い外見と裏腹に、周囲の仲間に細やかな気遣いをする優しさを持つのが小夜。
「あまり山姥切国広に心配をかけるな」と長谷部に言われたことにより、小夜は山姥切に相談できなくなります。
小夜「すみません……
あの鈴の音を聞いてから気分が悪くて」
山姥切「そうか、あまり無理をするな」
小夜「いえ……僕は……復讐しなくちゃいけないんです」
筆者は長谷部くんが最推しですが「お小夜に余計なこと言わんといて!?」と初鑑賞のとき思ってしまいました(笑)
しかし長谷部は、別に小夜を苦しめようとして言った訳ではありません。
悪意はないのに想いを上手く伝えられない、不器用な長谷部くんのキャラクターがよく出ている場面です。
長谷部のこの一言により『義伝 暁の独眼竜』で小夜は復讐の心に苦しみます。
山姥切を煩わせたくない小夜は一人悩みを抱え、同じく真面目な山姥切は小夜の悩みを聞き出そうとしますが上手くいかず、支えになれない自身に苦しみます。
一方小夜は大倶利伽羅をはじめ伊達家にあった刀剣男士との関わりの中で、少しずつ変わっていきました。
遠征先で強敵との戦闘で重傷を負ったあとも、自身より周りを心配させたことを気にする小夜。
山姥切はそんな小夜の姿を見て
「……小夜は、優しいな」
と小夜が内に秘めている魅力を見出し、讃えます。
山姥切が自身のことを心から向き合い、案じていたことを知った小夜は、山姥切に一人抱えていた苦しみを打ち明けます。
そして『義伝 暁の独眼竜』の最後を締めくくるのは小夜の旅立ち。
「復讐は……僕の全部です」
山姥切が真摯に寄り添ってくれたことにより自分を正しく見つめることができた小夜は、己とより深く向き合うため修行に出ます。
山姥切はきっかけとなった「山姥切国広に心配をかけるな」という長谷部の言葉を終ぞ知ることなく悩みますが、その結果、小夜との間に深い絆が生まれます。
そして「義伝」の後の時間軸である「ジョ伝 三つら星刀語り」で、山姥切が小夜の心を開こうと努力した結果が思わぬ形で実ることになるのです。
「外伝」「義伝」での伏線が「助伝」で明らかに! 小夜左文字と山姥切国広から分かる因果律 ※ジョ伝ネタバレ注意
「ジョ伝」は第一部「序伝」で顕現して間もない頃の山姥切国広たちの失敗が描かれ、第二部「如伝」で「義伝」の後の山姥切たちが「序伝」の時間軸に遡行。
過去の己の姿と文字通り向き合いながら、刀剣男士としての使命を果たしていきます。
表に出ているタイトルは第一部「序伝」と第二部「如伝」ですが、クライマックスでは「助伝」という裏タイトルが登場。
その「助伝」で窮地に追い詰められそうになった山姥切を助けたのが、修行から帰ってきた小夜でした。
小夜「遅くなってすみません。
でも、間に合ってよかった」
山姥切「……おかえり、小夜」
義伝、ジョ伝の物語を追っていくと、実は外伝で描かれた「小田原城の麓で出会う、或る一夜の出来事」が山姥切と小夜の未来に大きな影響を与えたことがわかります。
外伝の物語の最後で長谷部が言った
「あまり山姥切国広に心配をかけるな」
という余計な一言。
この言葉を真に受けて「義伝」で小夜は一人で悩みを抱え、山姥切は小夜の力になれない自身に苦悶します。
しかし「義伝」での二振りの苦悩は巡り巡って彼らを成長させ、確固たる絆を生むことに。
二人の絆は「助伝」で極となった小夜が山姥切を助けるという、大きな結果へと繋がっていくのです。
哲学には「因果律」という法則がありますが、外伝の中心だった山姥切国広、小夜左文字、へし切長谷部は刀ステ全体における因果律の象徴のように思えます。
どのような事象もすべて何らかの原因の結果として生起するのであり、原因のない事象は存在しないという考え方。因果法則。
(大辞林 第三版)
因果律とは原因のない事象は存在しないという原理のことで、すべての結果には必ず原因があるということです。
哲学の中でも特に、仏教哲学は因果律を根幹思想としており、私たちの身に起こる出来事にはすべて原因があることを徹底的に説いています。
そんな仏教に「三時業」という言葉があります。
仏語。善悪の業を、その結果を受ける遅速により3種に分けたもの。
生きているうちに果を受ける順現業、次に生まれ変わって受ける順次業、次の次以後の生に果を受ける順後業。
「正直者が馬鹿を見る」とよくいいますが、私たちはつい、すぐに現れた成果だけを見て判断してしまいます。
しかし因果律はこの世すべてのことに当てはまる普遍的な道理で、たとえすぐに結果が現れなくても、忘れた頃にやってくるのです。
仏教は仏が説いた教えなので非常にスケールが大きく、来世やそのまた来世で受ける結果もあると説かれています。
この世80年や100年の間でも、1年前、いや1日前の自分の行いすら、私たちは正確には覚えていません。
だから「努力しても報われない」とか「悪知恵も働かせないと人生損する」等、すぐに思ってしまいます。
しかしそれは仏の眼から見れば、とても視野の狭い短絡的な考え方なのです。
【悲伝ネタバレ注意】「義伝」三日月宗近のセリフは結果を知っていたから?長い目で見れば努力は報われる
刀ステの物語の核である三日月宗近は、義伝で小夜のことで思いつめていた山姥切国広に
「……山姥切よ。
まだ焦る時ではない。
じっくりと畑を耕し、種を植え、実りの時を待つのだ」
と助言しています。
山姥切だけでなく私たち人間の眼はとても近視眼的で、焦って結果を求め「どうせ努力しても無駄」と思いがちです。
しかし「外伝」での長谷部の一言によって、真面目な小夜と山姥切が悩みに悩んだことが後に大きな成長を生んだように、時間がかかっても結果は現れることを三日月は知っていたのではないでしょうか。
「悲伝 結いの目の不如帰」では三日月宗近が刀ステシリーズでこれまで描かれていた物語を円環していたことが明らかになりました。
そして「外伝」での山姥との戦いで、織田信長への執着が自分の弱さだと知らされた長谷部は「ジョ伝」での経験を経て「悲伝」で極となり、主の危機を救います。
これまでの全ての「刀ステ」の公演が三日月宗近が巡る円環だとしたら。
三日月は遅かれ早かれ、仲間たちの努力が必ず結果となったことをその目で見てきたのかもしれません。
新作公演では山姥切国広とへし切長谷部はキービジュアルを飾っています。
彼らはひょっとしたら新作でも刀ステシリーズにおける因果律の象徴的存在になるのかもしれませんね。
三日月が去ったあとの本丸で、三日月もまだ見ぬ因果律の結果が現れるのか。
期待に胸を膨らましながら新作公演を待ちたいと思います。
※記事中の台詞紹介はこちらから引用させて頂きました。 (より深く刀ステの感動を味わえるので是非読んでみてください)
末満健一(2018)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」ニトロプラス
末満健一(2018)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」ニトロプラス