「嫌われる勇気」の続編となる「幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII」(ダイヤモンド社)が発売されました。
私も待ちきれずに、発売当日の夜中にkindleで購入しました笑
前作と同様、哲人と青年の対話で構成されています。青年が哲人を3年ぶりに訪ねたのですが、感動の再会ではありませんでした。青年は哲人にアドラー心理学について語ることを金輪際、やめさせるために訪問をしたのです。
そこでどのような議論がなされたのか。「嫌われる勇気」では出されなかった用語を解説中心に紹介していきます。
序章
3年前、青年は哲人と別れた後、アドラーの思想に感化され、大きな1歩を踏み出しました。大学図書館をやめ、青年の母校の中学校で教職を得たのです。アドラー心理学に基づく教育を実践しようとしたのです。素晴らしい実践…と思われたのですが。
ところが青年はアドラー心理学について以下のように語りました。
アドラーの思想はペテンです。とんだペテンです。いや、それどころか、害悪をもたらす危険思想と言わざるをえません。先生が勝手に信奉する分には自由ですが、できれば金輪際、口をつぐんでいただきたい。その思いを胸に、そしてあくまでもあなたの目の前でアドラーを打ち捨てるべく、今宵最後の訪問を決意したのです。
アドラー心理学を教育の現場で生かそうとした結果、思うような結果を得ることができず、ついにはアドラーを打ち捨てる決意に至ったのです。
それに対して哲人は以下のように語っています。
アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています。真の理解に近づく勇気を持ち合わせておらず、思想の向こうに広がる景色を直視しようとしないのです。
アドラー心理学の教えを誤解している人が大半であり、青年もその一人であると指摘します。さらに、
あなたはまだ、「人生における最大の選択」をしていない。
と青年に重大な過ちがあるとも指摘し、議論が展開されていきます。青年がしていない“人生最大の選択”とは何か気になるところですね。それは最終章で語られることになります。
用語解説:第一部 悪いあの人、かわいそうなわたし
人間知(にんげんち)
「嫌われる勇気」では出てこなく、「幸せになる勇気」では繰り返し出てくる言葉です。
人間知について以下のように書かれてあります。
共同体のなかでどのように生きるべきなのか。他者とどのように関わればいいのか。どうすればその共同体に自分の居場所を見出すことができるのか。「わたし」を知り、「あなた」を知ること。人間の本性を知り、人間としての在り方を理解すること。
人間そのものを理解し、そして他者とどう関わって生きていくべきなのか。アドラー心理学はまさに“人間知”を教えているのですね。
尊敬
尊敬と聞くと、憧れの対象へ持つ気持ち、と思いますよね。しかしアドラー心理学の尊敬は意味が違います。
尊敬とはなにか? こんな言葉を紹介しましょう。「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」。アドラーと同じ時代に、ナチスの迫害を逃れてドイツからアメリカに渡った社会心理学者、エーリッヒ・フロムの言葉です。
目の前の他者を変えようとも操作しようともせずに、ありのままにその人を認めることを尊敬というのですね。尊敬は自立を促す出発点といわれます。「ありのままの自分」を認められることで、認められた側は勇気を得るのですね。
「他者」への関心
共同体感覚を英語に翻訳するときにアドラーが用いた言葉です。他者の関心事に関心を寄せることで、関心を寄せられた側は「尊敬」を実感することができるのですね。
用語解説:第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
問題行動の5段階
問題行動の第1段階「称賛の要求」
親や教師に向けて、またその他の人々に向けて、「いい子」を演じる。組織で働く人間であれば、上司や先輩に向けて、やる気や従順さをアピールする。それによってほめられようとする。入口は、すべてここです。
人間には特別な存在でありたい、そこに自分の居場所を求めたい、という欲求があります。しかし特別であり続けることはできませんし、称賛を求めることは競争を生みます。特別でなくても価値のあることを伝えていくべきなのですね。
問題行動の第2段階「注目喚起」
存在を無視されるくらいなら、叱られるほうがずっといい。たとえ叱られるというかたちであっても、存在を認め、特別な地位に置いてほしい。それが彼らの願いです。
存在を無視されるぐらいなら、たとえ叱られたとしても存在を認めてほしい、そのためならルールも破る、というのが注目の喚起です。
問題行動の第3段階「権力争い」
権力争いは「嫌われる勇気」にも出てきましたね。
誰にも従わず、挑発をくり返し、戦いを挑む。その戦いに勝利することによって、自らの「力」を誇示しようとする。特権的な地位を得ようとする。かなり手強い段階です。
自分の力を誇示し、特別な存在であろうとします。そのために反抗的な行動を取ることですね。
仮に権力争いを察知したときには、すぐさまその争いから降りなければなりません。
問題行動の第4段階「復讐」
かけがえのない「わたし」を認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に、愛の復讐をするのです。
「わたしを愛してくれないことは、もうわかった。だったらいっそ、憎んでくれ。憎悪という感情のなかで、わたしに注目してくれ。」と相手に憎しみを与えることに徹します。ここまでくると、利害関係のない、第三者に助けを求めるしかなくなります。修復不可能な関係になる前に、いかに権力争いを察し、その争いから降りるかが重要ですね。
問題行動の第5段階「無能の証明」
自分がいかに無能であるか、ありとあらゆる手を使って「証明」しようとします。あからさまな愚者を演じ、なにごとにも無気力になり、どんな簡単な課題にも取り組もうとしなくなる。やがて自分でも「愚者としてのわたし」を信じ込むようになる。
この「無能の証明」の段階に入れば、教育者としてできることはなくなります。専門家に頼るしかなくなり、専門家をもってしても、無能の証明をはじめた子どもを援助していくことは困難な道といわれます。
第3段階の「権力争い」から、いかにその先に踏みこませないようにするか、それが教育者に課せられた役割なのですね。
用語解説:第三部 競争原理から協力原理へ
普通であることの勇気
「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。それがほんとうの個性というものです。「わたしであること」を認めず、他者と自分を引き比べ、その「違い」ばかり際立たせようとするのは、他者を欺き、自分に嘘をつく生き方に他なりません。
「人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、『所属感』」であるとアドラー心理学で教えられているように、人間には共同体に所属していたい、そのために特別な存在であらねばならない、という意識が働きます。しかし特別である必要はないのです。平凡なる自分を「その他大勢」として受け入れる。その勇気が自立する上で大事なのですね、
序章~第三部までの感想
「幸せになる勇気」は全五部からなりますが、序章~第三部までと第四、五部に大きく分かれています。
序章~第三部まではアドラー心理学にもとづく教育について。多くの事例を挙げ、「嫌われる勇気」よりずっと詳しく書かれてあります。自立させるには「叱ってはならない、ほめてもいけない」とアドラー心理学で教えられていますが、その理由が詳細に説明してあります。
「幸せになる勇気」には「嫌われる勇気」にはなかった「尊敬」という言葉が出てきます。尊敬が自立させるための出発点。叱るという行為は尊敬を放棄する行為であるから叱ってはならない。また、ほめることは競争を生み、承認欲求を永遠に求め、自立をさせなくする。自立について「嫌われる勇気」より理解を深めることができました。
アドラー心理学の目標である「自立」とはどういうことかについて、いろいろな表現で教えられていますが、
自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。
という箇所が特に心に残りました。他者に依存し、他者に決められる人生を送る方が楽ですが、それでは思うような結果が得られなかったときに他者を恨むことになってしまいます。仏教でも「自業自得」と説かれるように、自分の人生は自分の選択によって決まる、と説かれています。自分の人生を他者に押しつけていては、自立した人生を送ることはできないのですね。
第四部以降は青年自身の人生のタスク、「幸せになる勇気」について書かれています。人生のタスクについて詳しい記述は「嫌われる勇気」にはなかったので、人生のタスク、また自立の核心を知ることができます。
第四、五部の感想、用語解説もまた紹介予定です。ぜひお読み下さい。