調布市飛行機墜落事故から知らされた”死の縁無量”のお言葉

平穏な日常に予想もしなかったような悲劇が襲い、戦慄を覚えることがあります。まさに昨日の事件がそうでした。

昨日、7月26日に東京都調布市に小型のプロペラ機が墜落しました。搭乗者2人に加えて、墜落した家の住民の女性も亡くなったとのことです。同居していた母親もケガを負いましたが、娘を助けたい一心で泣き叫んだといいます。

墜落直後に現場に駆けつけた近くの男性(71)によると、住宅内から「熱い! 熱い!」と女性の悲鳴が聞こえ、付近住民が「早く逃げろ」と声をかけたが、2階から犬を逃がすのが精いっぱいの様子だった。住宅前では母親らしき女性が「まだ娘が中にいる」と叫び、燃えさかる家に入ろうとするのを近隣住民が必死で止めた。「何もできなかった」と男性は唇をかんだ。
小型機墜落:ドーン、炎と悲鳴 「まだ娘が中に」 – 毎日新聞 小型機墜落:ドーン、炎と悲鳴 「まだ娘が中に」 - 毎日新聞

問題の飛行機が飛び立った調布飛行場から墜落した住宅集合地は500メートルほどしか離れていません。そういったこともあり、前から反対運動がありましたが、縮小や中止になる前に墜落という悲劇が起きてしまいました。今回の事件を受け、調布市長も自家用機の自粛要請を出しています。

調布市長 自家用機の飛行自粛求める方針 NHKニュース 調布市長 自家用機の飛行自粛求める方針 NHKニュース

突然襲いかかった事件に調布市内はもちろん、日本中が恐怖を覚えています。

Airplain trail at Devils Dyke
Airplain trail at Devils Dyke / Ben124.

死の縁は無量である

原因を調査し、何が問題だったかをハッキリさせてほしい。もう二度とこんな悲劇を起こしてほしくないと強く思います。そして一方で「死の縁無量なり」という仏語を思い出されました。

一切衆生のありさま、過去の業因まちまちなり。また、死の縁、無量なり。病におかされて死するものあり。剣にあたりて死するものあり。水におぼれて死するものあり。火にやけて死するものあり。乃至、寢死するものあり。酒狂して死するたぐいあり。これみな先世の業因なり。さらにのがるべきにあらず。(執持鈔)

一切衆生というのは生きとし生ける全人類のことです。過去の業因まちまちというのは、数えきれないほどの運命を作り出すタネまきをしているということです。

私たちの運命というのは因と縁が和合して、起きると仏教では教えられます。因とは直接的な原因です。原因がなければ絶対に結果は起きない。結果には必ず原因があります。仏教では運命は自分の行為というタネまきが運命という結果を引き起こすと教えられています。しかし原因だけでも結果はおきません。きっかけとなる縁と合わさって初めて結果が生じます。これを因縁生起と言います。

さきほどの執持鈔の言葉に戻りましょう。すべての人間は過去これまでに色んな原因つまり行いをしてきている。

そして死ぬ縁、きっかけは無限とある、と教えられています。例えばということで出されているのが、刀で斬られて死ぬ人、水に流されて溺死する人、家事で身を焼いて死ぬ人、寝ながらそのまま亡くなる人、酒に溺れて急性アルコール中毒で死ぬ人など、様々です。みんながみんな畳の上でポックリ亡くなるわけではないのだよと教えられています。

今回のように飛行機で亡くなるということも絶対にないわけではないということです。可能性として低いかもしれませんが、可能性の問題ではないのです。仮に可能性が低くとも自分の身に起きるときは起きるのです。過去世で私たちは色んなタネをまいていて、それと無限とある死の縁はいつ結びつくか分かりません。だから「さらにのがるべきにあらず」絶対に逃れられないのだと教えられます。

これは人間どこでなにが起こるか分からないということです。普通家というのは安全な場所のはずです。しかし、今回の事件で知らされるように、まさか自分の家に飛行機が墜落してくるとはゆめ思えません。しかし現実に起きたのです。「絶対にここは安心」と言える場所はないのだよ、と死の縁無量のお言葉で知らされます。

まとめ:悲劇は他人事ではない、いつか訪れる悲劇に備えて

今回の飛行機墜落事故は墜落先で亡くなった方も悲劇ですし、搭乗していた人もまた悲劇です。そしてニュースを見ていると、飛行機事故以外でも多くの人が命を落としています。悲劇はいつも起きています。そしてそれがやがて自分に訪れる日が必ずやってきます。

仏教ではこの真実を無常で教えられます。常が無いということで、もう安心もう大丈夫ということはないのが世の真理なのだと教えられています。死の縁無量なりのお言葉で肝に銘じたいと思います。

他人事と思っていられるうちは幸せな時です。他人事ではなかったと後悔する前に、死という最大の無常に対して私たちはどうすればよいかを仏教で学ばせていただきましょう。