仏教の有名な言葉に「天上天下 唯我独尊」があります。
どこかで一度は聞かれたことがあるでしょう。
「天上天下 唯我独尊」は以下の記事にあるように、お釈迦さまが花園で生まれたときにおっしゃった言葉であり、長阿含経にいう経典に記されています。
釈迦が誕生したとき、四方に七歩ずつ歩き、一方の手で天を、一方の手で地を指して唱えたという『長阿含経』の話に基づく。
この話を聞いて「生まれたばかりの赤ん坊が立ち上がって歩くのみならず、喋り出すなんておかしい!」と思われるかもしれません。
ただ、「天上天下 唯我独尊」の言葉自体は、仏教に説かれていることを端的に表されており、仏教を知る上で重要な言葉です。
だからこそ「天上天下 唯我独尊」の言葉が広く知られているのでしょう。
これは、どんな人にも果たすべき大事な使命のあり、その使命の重さゆえ人間は尊厳な存在である、ということを教えられた言葉なのです。
ところがこの言葉、誤用されていることでも知らされています。
「天上天下 唯我独尊」の正しい意味とは何か。
また、人間が果たすべき使命とは何なのかを解説します。
漫画・スラムダンクでも誤用されている?「唯我独尊」
「天上天下」は、天上にも地上にも、ということ。
わかりやすくいうと、宇宙のことです。
誤用を生んでいるのが「唯我独尊」です。
字面からは「唯一、我(自分)だけが独り尊いのだ」という意味だと思いますよね。
そんな意味として、たとえば漫画でも使われています。
漫画のタイトルはズバリ「天上天下 唯我独尊」。
これは『週刊ヤングマガジン』(もりやまつる著 講談社)で連載されていたボクシング漫画ですが、ボクシングだけに「オレが宇宙で一番強い(男になってやる)」という意味で使われていると思います。
同じ漫画で、誰もが知る普及の名作『スラムダンク』でも「天上天下 唯我独尊」が使われていました。
インターハイ2回戦の山王工業戦で、エース・流川楓が桜木花道にパスを出した場面は、名シーンの1つですね。
流川が味方にパスを出し始めた光景に衝撃を受けた海南大付属・清田信長が
あの流川がパスしたんだぞ…
あの流川が
あの… 天上天下唯我独尊男が パスを!!
と言っています。
流川のプレイスタイルといえば、味方には極力パスを出さずに自分一人でゴールを奪おうとする、というもの。「自分こそ一番点を取るのがうまい。ほかの下手な奴(特に桜木花道)には任せていられない」という気持ちの表れですね。もちろん、それだけの実力を持っているのですが。
信長は流川のそんなプレイスタイルから「天上天下唯我独尊男」と呼んでいたのですね。
また自分の意見こそ正しいと思い、他人のいうことに耳を貸さないような人を「唯我独尊的な人」と使ったりします。
しかしそれらは誤用であると、先の記事でも指摘されています。
【注意】「自分が一番えらい」というような、うぬぼれの意味では使わない。
誤用例 「この世の中を自分が支配して、天上天下唯我独尊にしてやろう」
そもそも、お釈迦さまといえば世界の三大聖人に挙げられるほど尊敬を集めている方です。そんな方が「自分一人が偉い。あとの人間は取るに足らないものばかり」なんて言われるとは考えられないですね。
「天上天下 唯我独尊」の正しい意味
「天上天下 唯我独尊」を正しく理解するポイントは、「我」にあります。
「我」とはお釈迦さまだけではなく、人間一人一人のことです。
先のことわざ辞典にも
「我」は釈迦本人の意味ではなく、個々人であるとする。
と書かれてある通りですね。
だから「唯我独尊」は、人間は取るに足らない存在などころか、人間それぞれが尊厳な存在であることを表しています。
ではどうして、人間は尊厳な存在と言われるのでしょうか。
それは人間には果たすべき大事な使命、生きる意義があるからです。
大事な使命があるからこそ、その存在が尊いといわれるのですね。
使命や生きる意義を、経典では「出世本懐(しゅっせほんがい)」といわれています。「この世(人間界)に生まれ出た本来の目的」ということですね。
私達人間に出世本懐を教えるために、お釈迦さまは仏教を説かれたのです。
生きる意義とは何か
使命や生きる意義といわれて、あなたはどんなことだと思いますか?
「このために自分は人間に生まれてきたんだ!」と自信を持って言えるもの、
これだけ達成すれば「生まれてきてよかった!」と思えるものとは何なのでしょうか。
仕事で成功することなのか、
好きな人と結婚するか、
スポーツ大会で優勝することなのか。
どれも大きな生き甲斐にはなりますが、「これ1つするために生まれてきたんだ!」と自信を持って言えるかというと、疑問符がつきます。
そう簡単には思い浮かばなそうですね。
難しい問いです。
実際に哲学者や思想家、文学者で、この生きる意義をずっと考えながらも答えを見い出せずに自ら命を絶った方が大勢います。
一朝一夕ではわからない問題なのですね。
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