実写映画化が決まった『刀剣乱舞』。
同じく3月まではアニメ化作品・続『刀剣乱舞・花丸』が放送、Blu-rayやDVDがオリコン週間ランキングで度々1位を獲得している『舞台 刀剣乱舞』の新作「悲伝 結いの目の不如帰」も6月から公開されます。
女性ファンを中心に圧倒的な人気を誇る「刀剣乱舞」の主役は「刀剣男士」。
「刀剣男士」は物に眠る心を目覚めさせ力を引き出す能力を持つ「審神者」(さにわ)により人間の肉体を得た刀剣です。
過去の様々な時代に飛び、歴史を変えようとする敵「時間遡行軍」と戦うことが刀剣男士たちの使命。
華麗に戦場を舞う美しい姿だけでなく、個性豊かな魅力が多くのファンを虜にしています。
今回は来年上映の『映画 刀剣乱舞』でも登場が決まっている、人気刀剣男士・へし切長谷部をご紹介。
長谷部くんの深い魅力を、回想のセリフから考察します。
「主命とあらば」へし切長谷部の忠誠に見え隠れする、織田信長への愛憎
「へし切長谷部、と言います。主命とあらば、何でもこなしますよ」
『刀剣乱舞-ONLINE-』の最初期から実装されている「ノンレア」枠の刀剣男士でありながら、強い人気のある刀剣男士・へし切長谷部。
「はなまるうどん」と『刀剣乱舞-花丸-』のコラボで販売された「へし切長谷部のおうどん」は2時間待ちの行列ができるほどの人気を博し、以降何度もこのキャンペーンが開催されています。
「主命とあらば」に象徴される第一印象は、主人に真っ直ぐな忠臣ですが、多くの審神者(プレイヤー)の心を掴んで離さない魅力 はそれだけではありません。
「命名までしておきながら、直臣でもない奴に下げ渡す。
そういう男だったんですよ、前の主は」
「できればへし切ではなく、長谷部と呼んで下さい。 前の主の狼藉が由来なので」
織田信長が無礼を働いた茶坊主を殺したときに棚ごと圧し(へし)切ったことから信長に命名された「へし切長谷部」。
後に直臣でない黒田家に自分を下げ渡した信長への強い怨念がセリフから感じられます。
しかし一方でこんなセリフも。
「何をしましょうか? 家臣の手打ち? 寺社の焼き討ち? 御随意にどうぞ」
お前は信長かと言いたくなるくらい信長の影響を強く受けている発言が至る所に見られます。
へし切長谷部を苦しめているのは最期まで側にいたかった信長への愛憎入り混じった執着なのですね。
主への忠誠厚く、その一番であることを渇望しているが口にすることはない。
汚れ仕事も平気で行う。
(公式設定集『刀剣乱舞絢爛図録』より)
死んで400年以上経っても忘れられない信長への愛憎から、今の主に狂気すら感じる一途な忠誠を尽くす。
へし切長谷部の声優である新垣樽助さんも
「純粋すぎて危ない、アンバランスな感じ」
とコメントするほどの脆さと苛烈さを持ち合わせた痛ましい長谷部の性(さが)は、多くの審神者の心を虜にしてきました。
そんな長谷部のイメージをガラッと変えるのが、同じく織田信長の刀であった不動行光との回想『悲しみと、なぐさめ』です。
「花丸」「舞台」で映像化、そして映画でも…?度々取り上げられる、へし切長谷部と不動行光の回想
「俺は不動行光。
織田信長公が最も愛した刀なんだぞぉ!
どうだ、参ったかぁ~!」
不動行光も織田信長にまつわる名刀ですが、織田信長が本能寺の変で無念の死を遂げたとき、最期まで信長が持っていたとされる刀です。
長谷部とは対照的に、自身が信長の刀であったことを誉れとする発言が多い一方
「俺は、愛された分を主に返すことができなかった……ダメ刀だよ」
と本能寺の変で信長が散ったことを自分のせいと思っている節が見られます。
そんな正反対の不動行光と長谷部を一緒に本能寺に出撃させると発生するイベントが「回想 其の25 『悲しみと、なぐさめ』」です。
元主・織田信長と死別した本能寺の変を目の当たりにして動揺する不動行光と、へし切長谷部の会話が展開される流れになっています。
不動行光「ああ……ああ……ここは……!」
へし切長谷部「落ち着けよ。もはや俺たちにできることはない」
不動行光「……お前は! お前は、信長様がどうなってもいいと……!」
へし切長谷部「どうでもいいね。
お前と違って、俺は捨てられた身だ。
いい気味だとすら思っている」
不動行光「……話した俺が、馬鹿だったよ……」
元主・織田信長の最期、本能寺の変。
信長が最期まで所持した不動行光と違い冷たい反応の長谷部ですが、この後意外な「なぐさめ」方をします。
へし切長谷部「人の生は歴史の流れからすると一瞬だ。
生まれたらいつかは死ぬんだよ。
織田信長も例外じゃなかったってだけだ」
不動行光「……お前は、信長様のところにずっといるべきだったのかもな」
へし切長谷部「ははっ。二度とごめんだね。
俺の主は、今の主さ」
この会話は大ヒット作「舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺」で一部が演じられました。
昨年放送された続『刀剣乱舞・花丸』でも取り上げられ、ファンの間で特に知られたエピソードになっています。
来年放映の映画でもへし切長谷部と不動行光が登場するので、この回想が見られるかもしれませんね。
不動行光に長谷部が言ったセリフは、織田信長が好んだ『敦盛』※刀剣破壊ボイス・ネタバレ注意
いつもの信長への苛烈な執着とは異なるセリフ。
その背景には信長の影響を強く受けた長谷部の人生観が見え隠れしています。
「生まれたらいつかは死ぬんだよ。」
この長谷部のセリフは、信長が特に好んで演じたと伝えられている『敦盛(あつもり)』の一節がベースだと思われます。
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
熊谷直実(くまがい なおざね)という人物の言葉とされ、人の世の50年の歳月は下天(仏教で説かれる天上界のこと)の一日にしかあたらない夢幻のようなもので、一度この世に生を受けたら死なないものはないという意味です。
時は源平合戦の時代。
源氏の名将熊谷直実は平家の将を一騎打ちで討ち取りますが、平清盛の甥・平敦盛だったと分かります。
敦盛は17歳で、熊谷直実の息子と年の変わらない少年でした。
直実は若い敦盛の命を奪ったことを悔やみ世の無常を儚んで出家し、その後の人生を仏道に捧げたと伝えられています。
出家した熊谷直実が世を儚んで残した言葉として描かれていて、この『敦盛』の一節を特に織田信長は好んで演じたそうです。
不動行光が死ぬときに言う言葉である「刀剣破壊ボイス」
「一度(ひとたび)生を得て……滅せぬ者のあるべきか」
もこの一節だと思われます。
この『敦盛』の一節が元になっている長谷部のセリフ
「人の生は歴史の流れからすると一瞬だ。
生まれたらいつかは死ぬんだよ」
は仏教の基本思想である「諸行無常」を表した言葉です。
諸行無常とは仏教の根本理念である三法印の一つ。
この世のすべては常が無く変わってしまうという意味で、同じく「敦盛」が登場する『平家物語』の有名な冒頭
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり
にも「諸行無常」とあるように、敦盛が生を受けた平家の繁栄と滅びは仏教の基本理念である「諸行無常」が強く表れています。
へし切長谷部のセリフは信長の生涯から私たちに大切なことを教えてくれている
「何をしましょうか? 家臣の手打ち? 寺社の焼き討ち? 御随意にどうぞ」
という長谷部のセリフにもあるように、織田信長といえば仏教弾圧で知られた権力者です。
しかし信長への強い執着心を捨てきれない長谷部が
「人の生は歴史の流れからすると一瞬だ。
生まれたらいつかは死ぬんだよ」
と言うように、多くの命を奪った信長は天下統一のため仏教を弾圧したものの、説かれている教えである「諸行無常」は、まことだと感じずにおれなかったのかもしれません。
そして織田信長の一生もまさしく「諸行無常」そのもの。
燃ゆる本能寺でたった一日のうちに信長の天下は散っていったのでした。
舞台や花丸では、不動行光が信長の死ぬ未来を変えたいという心に悩む姿が描かれています。
そんな葛藤を抱えた刀剣男士である不動行光に対し、長谷部はこの世の真実である「諸行無常」を教えようとしているのではないでしょうか。
恨み言を言いながらも長谷部にとって、本当は最期まで側にいたかった忘れられない存在が織田信長でした。
しかしこの世の真実は「諸行無常」。
歴史を変えたところで、織田信長は実際には不死身になる訳ではないのです。
信長が好んだ『敦盛』の一節のように、人の世の「諸行無常」をありのままに見つめることを「無常観」と言われ、人生を転換させる大切な思想だと仏教では教えられます。
『敦盛』に描かれる「人間五十年」の一節は、その後に
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
という句が続きます。
菩提とは仏教で幸せという意味ですので、菩提の種とは人生を幸せにするきっかけといえるでしょう。
私たち人間は、いつまでも生きていられると無意識のうちに思っています。
しかし実際には本能寺で栄耀栄華を一夜にして焼かれた信長のように、事故や災害そして病など、いつ死という無常がやってくるか分からないのが人間の実体です。
「諸行無常」という自分に残された命の短さを知ることは、これまで何となく生きてきた日々を振り返り人生を転換するきっかけになります。
「諸行無常」を伝えてくれるへし切長谷部。
長谷部くんは人生を転換するきっかけになる大切なことを、慕って止まない主である私たちに教えてくれているのかもしれません。