ーーーこの日、運命が歩き出した。
現在アニメ放送中の『Fate/Apocrypha』。
劇場版『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』や『Fate/Grand Order』の爆発的ヒットが記憶に新しい、不動の人気を誇るFateシリーズの「外典」が東出祐一郎さんによる『Fate/Apocrypha』です。
『Fate/Apocrypha』あらすじ・7対7の「聖杯大戦」の裏で生まれた主人公・ジーク ※ネタバレ注意
Fateシリーズのストーリーの軸だった「どんな願いも叶える聖杯を7組のマスターとサーヴァントが奪い合う」構図を発展させ、2つの陣営にそれぞれ属する7組のマスターたちが7対7で戦う「聖杯大戦」が『Fate/Apocrypha』の舞台です。
新しい魔術協会を組織し、一族の名誉を挽回したいダーニック・プレストーン・ユグドミレニア率いる「黒」の陣営。
ユグドミレニアの討伐のため立ち上がった魔術協会による「赤」の陣営。
「黒」のダーニックは前回の第三次聖杯戦争直後から、聖杯戦争の要となる「大聖杯」を秘匿し、60年かけて魔術協会に反旗を翻す準備を周到に進めてきました。
その秘策の一つがホムンクルス、つまり人造人間を大量生産し、サーヴァントを動かすのに必要な魔力供給の材料とするという戦略。
魔術と縁のない一般人も巻き込まず、かつマスターはサーヴァントへの魔力供給を考えることなく戦えるという画期的な手段です。
しかしその裏には、生まれて間もなくサーヴァントやゴーレムの動力として殺されていくホムンクルスの存在がありました。
大量に生み出されるホムンクルスの一体に過ぎなかったある青年。
後にジークと呼ばれる彼は私たちと変わらない自我を持ち、生まれたと同時に自分の確実な運命を知ります。
ーーーお前は『死』ぬ。
生まれてすぐに、この魔力供給層に封じ込まれて全く何の意味もなく、
ただたまたま目についたからという、ただそれだけの理由で消費される。
生まれてすぐ訪れる死の恐怖を見つめたジークは、運命を切り開く決意をする
自分が死ぬまで、あと少しの猶予しかないと確信した。
絶望が襲いかかる。
目を逸らし続けていたのはこれだ、これなのだ。
生まれたことに意味がなく、存在意義が稼働していない。
だというのに、泣き叫ぶことも悔やむこともできない。
ただ、虚ろな目で見つめるだけしかできない。
……いや、本当にそうだろうか?
生まれた瞬間から完成された成人の頭脳を持っていたジークは、自分にまもなく訪れる「消費」という死を自分の問題として捉え、その恐怖と向き合います。
魔術師に消費されるために生まれた自分に存在意義はなく、殺されても仕方がないのか。
本当にそうだろうか?という心の叫びが湧き上がってきます。
生まれた意味を知りたい。
その渇望が動かぬ人形だったジークを動かしました。
ーーー動け。
生まれて初めて、指を一本動かした。手を動かし、拳を握り、腕を振り上げようとする。
ーーー動け。
状況を再確認。魔力を効率良く供給するため、翠緑の保存溶液に閉じ込められていることは理解している。
稼働していない存在意義はひとまず棚上げし、眼前の目的を明確化する。
ここから脱出しなければならない、今すぐに。
ーーー動け!
ありったけの魔力を放出し、水槽を破壊して外界への脱出を成功させたジークですが、そこには想像を絶する過酷な世界が待っていました。
噎せ返った。
喉に焼け付くような痛み、あまりにも濃い味のする気体を吸い込み、肺が痙攣したような痛みを覚えた。
弱々しく両手両足を振り回す。目標は達成したものの、最終目的は未だ達成していないことを思い出した。
逃げなくては。早く、できるだけ早く!
目標が決まり、立ち上がろうとしてーーー『立ち上がる』という行為が、軀に浸透していないことを自覚した。
弱々しく立とうとして、無様に転ぶ。歩けそうにない。
両腕で床に這いつくばり、軀を動かす。
わずかに前に進む。落ち着け、と己に言い聞かせながら肘を突いて上半身を起き上がらせた。
足を地面につける。
脆弱な足首が悲鳴を上げるーーー無視して、ゆっくりと膝を伸ばしていく。
そして、その一歩を歩き出した。
生まれることは苦しい、生きることはもっと苦しい。
今まで羊水の中にいたような状態のジークにとって外は息をすることすら大変なことで、解放されたはずの現世でジークは凄まじい苦痛に見舞われます。
それでもこの場から逃げなければ、自分は死ぬだけ。
死への恐怖に駆り立てられながら、ジークは冷たい床に足をつけて歩き始めます。
床を踏み締めるたびに、重力が襲いかかる。
始終誰かにのしかかられているような苦痛があり、べとつく液体がひたすら不快だった。
呼吸はようやく落ち着き始めたが、進むべき道が分からない。
分かるのは、ここにいては死ぬということだけ。
呻きが漏れる。目尻からは涙が零れている。
これだけの苦痛を経て、得たものはわずか数歩の道程でしかない。
自然に生まれた私たち人間も、生まれてくるときは大きな苦しみを負ってこの世に生まれ出るといいます。
「産む側は大変
赤ちゃんは生まれてくる側でいいなぁ」
と言う方もいるらしい。
しかし、助産師さんは
これは大きな勘違いだと言う。
赤ちゃんの方が
妊婦さんの何倍も苦しいのだと。
私たちは生まれてきたときの記憶がありませんから、味わった苦しみは覚えていません。
ジークの姿を見ていると、私たちが忘れてしまった「生まれる」ことの苦しみを再現してくれているかのような感覚を覚えます。
そして外界でジークを襲う更なる苦しみは、赤ん坊から成長した私たちが、日々いろんな苦しみに耐えながら生きている人生そのもののようです。
満員電車の苦しみに耐えながら会社に雇われ働くのも、自ら事業を起こすのも並々ならぬ苦労が必要です。
仕事をするのは、働かなければ満足に食べてはいけない、もっと言えば生きていけないから。
こんな苦しい思いをして、生きる理由はあるのか。
日々現代社会で必死に生きる私たちのように、生きることの苦しみを目の当たりにしたジーク。
それでも生まれた意味が無いまま死ぬのは厭だという心の叫びに動かされ、生き延びるための逃亡劇を切り開いていきます。
ーーーなんて無意味な生命。なんて無意味な存在(じぶん)。
無意味に産み落とされて、無意味に死に果てる。
ただその残酷な事実に震えるしか、するべきことはない。
厭だった。
何が厭なのか分からないが、とにかく酷く厭だった。
瞼を閉じるのも恐ろしかった。
それきり、二度と目覚めないような気がしたからだ。
アストルフォとの出会い。「たすけて」という言葉が運命を大きく変えていく
「どうしたのさ、キミ。そんな格好で風邪引くよ?」
投げかけたられた言葉は、身を引き裂くような蔑みではなく。
ただ彼の身を案じただけの、温かなものだった。
反射的に彼は顔を上げ、目を合わせてしまった。
僅かな吐息が漏れる。
その顔は、一度だけ見たことがある。
痛切な表情を浮かべ、自分を一瞥した怪物の一人。
確か、その名はライダーと言ったか。
歩くことが設計されていなかった体で歩いたジークはあっという間に体力が現界を超え、動けなくなっていきます。
そこへ現れた一つの気配。
逃亡したホムンクルスをキャスターが追っていた状況の中、誰かに見つかるということは一巻の終わりです。
現れたのはライダー、本名アストルフォ。
ホムンクルスのジークがエネルギー源として生贄にされる目的の存在でした。
しかしそのアストルフォはジークが予想もしなかった言葉をかけます。
「キミの、願いを言って」
願い、願い、願いーーー果たして、自分には願いというものを言葉にする権利があるのだろうか?
自分はまったくの無力で所有している財は何もなく、積み重ねた歴史など一切ない、ただの魔力を供給する装置に過ぎないーーーその役割すら、放棄してしまった。
だが、そんな彼にも分不相応な欲求がただ一つだけ存在した。
それは、彼には身に余る願いであり、夢だ。
叶えて貰えるなど期待もしていない。
でも、口に出すだけならばいいだろう、と彼はそう判断した。
口を開く。未だほとんど使用されたことのなかった発声器官を使用する。
それは苦痛すら伴う作業であったが、彼はどうにか『願い』(ことば)を告げた。
「たす、けて」
無数の人間がいる社会で、仕事や人間関係など色々なことに悩みながら生きている私たち。
ジークのようなホムンクルスでなくても、自分に存在価値はあるのだろうかと悩む人はたくさんいます。
自分より才能や財産に恵まれた人は無限におり、取り立てて際立った強みも無い自分に存在意義は無い。
「いや、本当にそうだろうか?」
ジークが感じたこの疑問は、自分が生まれた意味を知りたい全人類の思いを現しているように思えます。
苦しい「生きる」という行為の目的はなにか。
この後ジークはこの問いの答えを真剣に考える必要に迫られます。