この星には、かつて「にんげん」という動物がいたという。
市川春子先生による『宝石の国』は、人類が滅亡した世界で生きる宝石たちを描いたアクション・バトル・ファンタジーです。
「このマンガがすごい! 2014年」オトコ編第10位に選ばれ、昨年10月からアニメ化されました。
CG技術により表現された作品の世界観が高い評価を得て、放送終了後も多くの視聴者から2期を期待する声が上がっています。
高校時代、仏教校に在籍していたという市川春子先生の『宝石の国』は、僧侶の格好をしている金剛先生や、仏像のような外見の月人たちなどに仏教色がみられますが、ビジュアルだけでなくストーリーにも仏教思想が表れています。
前回は主人公フォスとシンシャの会話から私たち人間も悩んでいる「存在価値」についてお伝えしました。
※前回記事はこちら
魅力的なキャラクターが多く登場する『宝石の国』。
今回はその中でも特に人気の高いダイヤモンドとボルツの「ダイヤ組」から、仏教で説かれる人間の心をご紹介します。
優秀でかわいいダイヤモンド。アイデアを聞きに行ったフォスはダイヤの意外な本音を聞く
六度落ちた隕石により陸がひとつの浜辺になった、遠い遠い未来。
すべての生き物は海へ消え、人類が絶滅した地上には、人型の宝石たちが身を寄せ合って生きていました。
何度砕けても、破片をすべて集めてつなぎ合わせれば元に戻る宝石たちは不死身でしたが、月にいる天敵・月人が装飾品にするため頻繁に地上に襲来します。
月人に対抗するため、宝石たちはそれぞれ得意な役割を担い補い合っていましたが、主人公のフォスは虚弱体質な上に不器用で仕事がなく、周囲にトラブルメーカー扱いされていました。
そんなフォスに、宝石たちの教育者である金剛先生は、博物誌の編纂を指示。
渋々取り組んでいた博物誌の仕事中、フォスはシンシャという宝石と出会います。
存在価値を認められず孤立していたシンシャに、自分に価値を感じられる仕事を見つけてあげたいと思うフォスですが、アイデアが浮かばず、戦闘能力の高い優秀な宝石・ダイヤモンドの元を尋ねます。
性別の無い宝石たちの中でもずば抜けてかわいい、物腰の柔らかい、やさしいダイヤモンド。
存在そのものがまぶしいダイヤモンドを見て、思わず顔を手で覆いながらフォスは悩みを相談します。
ダイヤ「すっごく変わってみるのはどう?」
フォス「変わりたいとは 常々思っております
でもそうそう無理だからお手軽な方法訊いてんじゃんかよ!
やっぱなー上から上からだわー
もう全然話になんない ダメだ」
ダイヤ「うん、ダメなの ごめんね
ほら今もフォスを怒らせちゃったし、ね、ダメな所たくさんあるの」
最強の硬度十を誇るダイヤモンドは、フォスの傲慢な聞き方に怒ることもなく、むしろ自分には欠点がたくさんあると伝えます。
戦闘に出ることすら叶わないフォスには謙遜にも見えるその発言。
しかしその理由はすぐ明らかになります。
話していたフォスとダイヤモンドの所に、突如襲撃に来た月人たち。
ダイヤモンドは、仲間内で話題になっていた新しい戦い方で月人たちを倒していきますが、奇妙な音が体からするようになり、武器を落としてしまいます。
絶体絶命のピンチの場へ現れたのが、ダイヤモンドの弟・ボルツでした。
長い黒髪に鋭い目つきの戦闘狂・ボルツはあっという間に敵を殲滅します。
ダイヤ「すごいでしょ?
いつも こうなの
最近ますます強くて僕なんか 戦わせてもらえないの
僕らダイヤモンド族は最も硬い硬度十
でもタフさを示す 靭性は二級
硬くても衝撃で割れやすい方向があるから脆いの
でもボルツは特別 単一結晶の僕とは違って ボルツは微細な結晶が集合した多結晶体
弱点の角度に衝撃がきても 身体全体に影響が及ばないから
靭性もただ一人の特級 最も硬くて堅い最高の性質よ
変わりたいのは僕
あんな風になりたいの」
フォス「ボルツみたいに!?やだやだ!いくら強くてもあんなおっかないの!
優しいダイヤの方がいいよ!」
ダイヤ「でもね
強くなければダイヤモンドではない
だからボルツだけが本物のダイヤモンドよ
そう
だから
でも たまに ほんの一瞬
ボルツさえいなければ」
フォス「えっ…」
ダイヤモンドは最愛の兄弟・ボルツへの嫉妬と愛に苦しんでいた
「なんてね
思っちゃうの
とても愛してるのに ダメね」
宝石たちの中で最も硬い硬度十のダイヤモンドはずば抜けた戦闘能力を持っていましたが、唯一の弱点が靭性でした。
靭性も特級のボルツは、ダイヤモンドにとって羨望の的。
しかし憧れの対象であるボルツは、強くなりたいダイヤモンドにとって「ボルツさえいなければ」という嫉妬の対象でもあったのです。
フォス「いても いなくても苦しい…」
ダイヤモンド「フォスにもわかるの?
じゃあこの気持ちに名前をつけて」
フォス「え? なんで…」
ダイヤモンド「名前が分かれば少し安心でしょ?
だって博物誌はあらゆるものを分類するって…」
そこへやってきたボルツは怒りの表情で、ダイヤの手袋を引き剥がします。
靭性でボルツに劣るダイヤの腕は戦闘中に折れてしまっていたのでした。
ボルツ「おまえは!
どっかいったと思ったら
またあの妙な戦い方
試してたのか…!
おまえには負担が大きい
無理な芸当だと言ったはずだ!
何を考えている!」
ダイヤ「だって
いつもボルツに守られてるだけなんて
やっぱり変だよ
僕だって ダイヤモンドなのに
何の役にも立ってないなら
い、いてもいなくても同じでしょ…?」
ボルツはダイヤが自分に追いつこうと、無理な戦い方をしていることを心配し、守りたい思いからダイヤを厳しく叱責します。
ダイヤはそんなボルツを愛している一方で、ボルツがいるせいで自分の存在価値が希薄になってしまうことに焦りも感じていたのです。
誰よりも大切な存在であるはずのボルツに抱いてしまう醜い感情。
ダイヤはこの心が何か分からず
「この気持ちに名前をつけて」
「名前が分かれば少し安心でしょ?」
とフォスに頼みます。
裏を返せば、愛する兄弟に対して抱いてしまう醜い感情が何か分からなくて、ダイヤは一人苦しんでいたのでしょう。
市川春子先生も高校時代学んでおられた仏教には、ダイヤを悩ませるこの心の正体が解説されています。
近ければ近いほど強くなる?愛している相手ほど強くなる嫉妬と「愚痴」
自分より優れたボルツを「ボルツさえいなければ」と思ってしまう、愛しい人への複雑な思い。
仏教では「愚痴」といいます。
愚痴というと、先生から与えられた新しい仕事に不平不満を吐くフォスの姿が思い浮かぶ方が多いかもしれませんね(笑)
しかし実は愚痴とは元々仏教用語で、自分より優れた相手に嫉妬する心を指します。
「煩悩」といえば、除夜の鐘でも知られるように、仏教用語の中でも特によく知られた言葉です。
煩わせ悩ませると書く字の通り、私たち人間は生まれてから死ぬまで煩悩に振り回され苦しんでいると仏教で教えられています。
除夜の鐘を叩く回数でも知られる108の煩悩の中で、最も私たちを悩ませている煩悩のうちの一つが「愚痴」です。
さらに愚痴、つまり嫉妬の心は自分に近い相手ほど強くなります。
テレビで活躍する芸能人に本気で嫉妬する人は少ないでしょう。
しかし会社の同期が先に出世したり、親友が結婚してから幸せそうで独身の自分とあまり会ってくれなくなったり…
身近な相手ほど、悲しいかな嫉妬は起こりやすいもの。
ボルツも、ダイヤモンドにとっては同じダイヤモンド族の弟。
さらにいつも一緒に月人対策の見回りをする、仕事仲間でもある最も近しい存在です。
愛し、憧れている相手でも吹き上がる醜い愚痴の心にダイヤは苦しんでいたのでした。
ナメクジになってしまったフォスにダイヤモンドが語る煩悩の苦しみ ※ネタバレ注意
ボルツがダイヤを助けにきた後、さらに月人が襲来。
月人が落としていった巨大カタツムリにフォスが吸われてしまい、殻の一部にされてしまいます。
殻の一部になっていることが分からなかったダイヤは潮水で縮んだカタツムリをフォスだと思い、フォスを宝石に戻す方法を見つけようと奔走しました。
宝石たちが食べない草を食し、排泄行為をするカタツムリを見て、ダイヤは心中を吐露します。
「そのくらいまったく変わってしまえば
誰にどう見られてたり 気にしないで
誰と比べたりもせず
嫉妬したり見栄をはったり しなくて済むのかしら
幸せ?」
愛し信頼する相手に吹き上がる妬みの心は、誰よりもダイヤ自身を苦しめていたのでした。
ダイヤたちの祖先は遠い未来に滅亡した人間、つまり今の私たちです。
人間とは全く違う不死の肉体を持つ宝石たちですが、私たち人間の心を受け継いでおり、煩悩の実態を「名前を付けないと不安になる心」として教えてくれているようにも見えます。
ありのままの「人間のすがた」を宝石たちの生き様を通して描いている『宝石の国』。
本作が多くの人の心を虜にしている魅力は、そんな深い哲学性にあるのかもしれません。