方広寺鐘銘事件を発端に、豊臣と徳川の衝突は避けられないものとなった。
戦国時代最後の戦いとなる、大阪の陣。
私は、その渦中にあったはず……
しかし、私は
それを覚えてはいない―――
IHIステージアラウンド東京で1月10日から上演中の「刀ステ天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-」正式名称「TBS開局70周年記念 舞台『刀剣乱舞』天伝 蒼空の兵-大坂冬の陣- Supported by くら寿司」は、ファン待望の「舞台『刀剣乱舞』」通称「刀ステ」シリーズの最新作です。
※「舞台『刀剣乱舞』」「刀ステ」って何?という方はこちらの記事でご紹介しています。
「天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-」と「无伝 夕紅の士 -大坂夏の陣-」の二部構成で上演が決まっており、巨大な円形の観客席が回転し、その周囲を360度囲む舞台を持つ劇場での演目という、画期的な試みになっています。
筆者は刀ステファンサイト先行等で1月公演・2月公演・3月公演のチケットに当選しましたが、新型コロナウイルス感染拡大地域に住んでいる関係で泣く泣く鑑賞を見合わせていました。
そんな折、2月17日の公演をライブ配信して頂け、昼公演と夜公演を丸一日じっくり堪能させて頂けました。(刀ステ運営様、ありがとうございます)
前編にあたる「天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-」では、今回キャスト変更になった刀剣男士・一期一振が物語の中心に。
上演時間は休憩を含めると3時間半以上ありますが、あっという間に感じるほど目が離せない展開でした。
このコラムではあらすじを振り返りながら、副題「天伝 蒼空の兵」に込められた深い意味を考察。
「天伝」で懸命に生きた「兵」たちが教えてくれる「他者ありきの夢」の本質をお伝えします。
このコラムをきっかけに、今後の公演や大千秋楽公演配信を一人でも多くの方に見て頂けると嬉しいです。
※本文中の「天伝」のストーリーは2月17日の昼公演、夜公演のライブ配信・再ライブ配信を鑑賞させて頂いた筆者が内容をご紹介しています。セリフ紹介等に誤りがある可能性がありますが、大千秋楽公演の鑑賞後修正させて頂く予定です。
「天下」が英雄を、天下人の子を惑わせる。天下という夢に苦しむ、豊臣秀頼・徳川家康
「貴方も、天下が欲しいのですか?」
「天伝」の舞台は、戦国時代最後の戦いと言われ、豊臣氏の滅亡として有名な「大坂の陣」。
滅びゆく豊臣の豊臣秀頼と天下人が約束された徳川家康が、「天下」をめぐって惑ったり、苦悩したりする姿が描かれます。
「天下」をめぐる「兵(つわもの)」たちの葛藤を伝える物語が「天伝」に込められた意味ではないでしょうか。
歴史を守るために時間遡行軍と戦う刀剣男士たちは、大坂冬の陣の時代に出陣。
時間遡行軍の行動に意図が見えず、混乱しながらも刀剣男士たちは秀頼と家康の両者と接触を果たし、その胸中を知ることになります。
「すべて手に入れたつもりでいた。
だが……この歳になって惑うておる。
儂が望んでいたものはこんなものであったのか……
太閤殿下の死に様を見て思うたのだ。
老いさばらえ、病に衰える醜悪を晒し、床の上で息絶える!
戦で生きた男の末路が、あれで良いのか?
織田信長……
直にこの目にせずともありありと浮かぶわ。
たけき『兵(つわもの)』の死に様よ……
右府様はずるいのう!あのような死に様をされては敵わぬではないか」
「天下人」となり徳川300年の泰平を築いたことで知られる徳川家康は、なんと大坂冬の陣を前に、「天下」が思っていたものと違ったと嘆いていました。
「狸親父」と言われ慎重な人物として知られる家康の、老年になってからの意外な迷いに刀剣男士たちは驚きます。
加州清光「なんか、俺たちの知ってる徳川家康と違うな。
徳川家康ってさ、もっとこう……慎重派っていうか、忍耐強い人っていうか……
こんな戦ジャンキーだなんて聞いたことなかったけどな」
家康「たしかに、耐え忍ぶ時を送ってきた。
一族の安寧のためにだ!
そしてようやく天下をこの手に掴んだ。
だが!天下人になって分かったのだ……
天下などつまらん!
信長公や太閤殿下が亡き後、戦国とは名ばかりの不毛な時を過ごした。
最後の戦くらい、好きにさせてもらう!」
最終的に戦国時代を終わらせた、一番完全に「天下」を得た形の家康が忍耐に忍耐を重ねてきたのは、一族の安寧という「ファミリーのため」であり、本心は信長のような華々しく散る英雄に憧れていたというのです。
一方の秀頼は、天下人・豊臣秀吉の後継者として生まれたことに苦しんでいました。
秀頼「私は父上をほとんど覚えておらん。どんなお人であった?」
一期一振「分かりません……」
秀頼「何故だ?世話になっておったのであろう?」
一期一振「あまり……覚えていないのです。ただ、声が残っています。」
秀頼「声?」
一期一振「秀頼さまを案じておられました」
秀頼「そうか……案じていたか……藤吉郎よ。
(「藤吉郎」は名前を明かさない一期一振に秀頼がつけた仮の名前)
父上が案じていたのは、本当に私か?」
一期一振「え?」
秀頼「私ではなく、豊臣家ではないのか?」
天下人となった秀吉の後継者となった秀頼の重責は、誰にも分からない苦しみだったでしょう。
秀頼を苦しめていたのは、城の者たちが話す、ある噂もありました。
秀頼「皆が噂しておるのだ。
本当は父上の子ではないのではと!
父上と私は似ても似つかぬそうだ。
では私は誰だ?」
一期一振「あなたは、天下人が世継ぎ、豊臣秀頼さまにございます。」
秀頼「そうだ。私には枕詞がつく。
『天下人が世継ぎ、豊臣秀吉の息子』
だと!
すべては父上あってのものだ。
足軽だった父上が戦場を駆け抜け、掴んだ「夢」の証がこの大坂だ。
大坂だけではない。
いまこの国を作り上げてきたのは戦であり、戦を駆け抜けた兵(つわもの)たちだ!
私は、ただ後からそこに飾られた置物に過ぎん。
それなのにもし父上の子でないとなったら……
私には何も無い。
私は自分が何者か分からぬ。
だから戦に焦がれていたのかもしれん。
戦に出て、この大坂や豊臣を、徳川から守りたいのだ。
己が力で『天下人』になりたいのだ!
そうすれば……自分が何者であるのか、分かるのかもしれない。
藤吉郎よ、お前は『何者』だ?
お前は自分が『何者であるのか』考えたことはあるのか?」
豊臣秀吉の愛刀だった刀剣男士・一期一振を前に、まるで亡き父を前にしているような感覚を抱いた秀頼は、深い苦しみを吐露します。
さらに一期一振に対し、自分が何者か分かるのかと問いかけました。
一期一振「私は……そうですね、しいて言えば、『兄』でしょうか」
秀頼「兄?」
一期一振「ええ。私には、たくさんの弟がおりますゆえ」
秀頼「そうか……ならその弟たちを抜きにした場合、お前は何者なのだ?
誰かの『兄』ではなく『お前自身』は何者だ?」
一期一振「先程も申し上げた通り、私は、昔のことをよく覚えていないのです……」
秀頼「そうか、ならば、お前は弟たちに救われているのだな。
弟たちがお前を『何者か』にしてくれているのであろう」
秀頼は「秀吉の息子」という事実が無ければ何も無い己と、大坂城で焼けたことで記憶が無く「兄」として自己を定義する一期一振を重ねました。
記憶が空っぽな一期一振は、弟という他者が「兄」としての存在意味を与えてくれているのだと言うのです。
もし秀吉の子でなかったらという不安は、秀頼の心を蝕み続け、父親のように戦場で華々しく戦い、自分の手で「天下」を手にしなければ天下人という「何者か」になれないと秀頼は思うようになっていました。
歴史通り大坂冬の陣で和睦するのではなく、戦に打って出ようとする秀頼を一期一振は止めようとしますが、その思いは届きません。
一期一振「貴方を、死なせる訳にはいかないのです。それが、太閤殿下の望みだからでございます」
秀頼「藤吉郎、お前の目に映るのも私ではなく、豊臣秀吉なのだな」
明らかになる弥助の計画。その裏にいたのは、亡き黒田官兵衛孝高と織田信長
※【注意】「天伝」ストーリーの核心に迫る記載があります。未鑑賞の方はネタバレにご注意ください!
「ああ、これで良い……
今頃刀剣男士たちはさぞ混乱していることでしょう!
この歴史改変が何を改変しようとしているのかと……
いくら考えようと無駄なこと!!
私の目的は、歴史改変ではないのですから!!」
「天伝」で起こった歴史の異変には、背後に「弥助」がいました。
弥助は過去作「舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」で、「天伝」にも登場している山姥切国広と死闘を繰り広げた強敵です。
※「舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」のあらすじはこちらのコラムでご紹介しています。(「天伝」をきっかけに刀ステに興味を持たれた方はぜひBlu-ray等で鑑賞頂いてからお読みください)
筆者は刀ステに登場する魅力的な歴史人物の中でも「弥助」が大好きで、まさか再登場すると思わず「天伝」での活躍を大変楽しみにしていました。
「天伝」に登場した弥助は、まさしくジョ伝で黒田官兵衛孝高とともに刀剣男士たちを苦しめ、最後は破れた弥助その人です。
弥助は刀剣男士たちに近づき、「ジョ伝」で戦った弥助本人が自分であり、今は改心し歴史を守っていると自ら打ち明けますが、それは罠で裏の目的がありました。
「ジョ伝」で刀剣男士たちに破れた孝高は、実は歴史改変を諦めておらず、ひそかに時間遡行軍2体を監禁。
「呵形」「吽形」と名付け、躾けることで人間の言うことを聞くよう飼育していたのです。
刀剣男士が離れた時間軸の歴史人物たちは通常、刀剣男士たちのことを忘れてしまうのですが、実は孝高は戦いの経過を「呵形」「吽形」のいる隠し牢の場所とともに記録し、秘匿していました。
弥助は孝高の最期を看取ったあと、その書物に書かれていた「諸説」に歴史人物を逃がすという新たな歴史への反逆のアイデアを知り、それを実行しようとしていたのです。
その目的は、織田信長を生存させるためでした。
弥助は現代「真田幸村」として広く知られる、真田信繁にこの計画を持ちかけます。
未来を知る「呵形」「吽形」によって、秀頼と己に訪れる凄惨な最期を伝えられた信繁。
弥助の提案に乗り「鹿児島に真田幸村と豊臣秀頼が逃れ、生き延びていた」という諸説の通り、生きのびようと考えます。
そして弥助自身は、志半ばで果てた織田信長への思いを、老いてなお忘れられずにいました。
孝高が諦めなかった歴史改変の遺志を継いだ弥助は、時間遡行軍が屠った審神者の人体の一部を入手。
審神者の力の残滓、そして己の命も引き換えに「刀剣男士を斬った逸話」を信長所蔵の刀剣に持たせることで、新たな刀剣男士を生み出そうと画策します。
自ら生み出した刀剣男士を本能寺の変に送り込み、諸説として残る「信長生存説」に織田信長を逃がそうと考えていました。
老いた弥助の心を捉えて離さなかったのは、本能寺の炎のように燃え滾る、執念にも近く、切ない、信長の生存説という「夢」だったのです。
一期一振にだけ聞こえる「声」。それは豊臣秀吉が最期に抱いた、秀頼への想い
秀頼「言ってみろ、豊臣秀頼とは何者なのかを!
藤吉郎よ、私もお前も『何も無い』。
私たちは空っぽなのだ。
私は戦に出る!自分が『何者か』であるためにだ!」
父親のように、戦場を駆け巡り自らの手で「天下」を掴む夢を果たせなければ、自分には何も無いという秀頼。
戦場に出ることを阻止しようとする一期一振に、ついに秀頼は刃を向けます。
最期は守りきれないことが分かっているけれど、それでも大坂冬の陣が来るまでは守りたい、そんな元主に刃を向けられる一期一振。
「タノム・・・ヒデヨリヲ・・・タノム・・・」
苦渋に満ちた表情で元主の刃を受け止めていた一期一振に「声」が聞こえます。
実はこの「声」は「天伝」の物語のはじまりから、一期一振にだけ聞こえている秀吉の声でした。
秀吉の愛刀 一期一振に残されていた秀吉の「声」。
秀頼に刃を向けられたことで記憶の一部が蘇り、より鮮明に秀吉の臨終の思いが聞こえてきます。
「幼い秀頼を残していくのは、忍びない
行末を家臣らに託しはしたが裏切る者は出るであろう
成人するまでは側にいてやりたかったが
人の死に様だけはどうにもならん
秀頼は、戦乱の世を生き、天下取りを夢見た儂らとは違う
生まれながらに『天下人』になることを定められた身の上
その重責を思う……
その孤独を思う……
せめて秀頼は、豊臣に生まれたことを恨むことなく
儂の子であったことを嘆くことなく
生涯を終えられることを願う
だから、頼む、秀頼を頼む……!
一期一振、豊臣の守り刀よ
あの子を……守ってやってくれ」
秀頼が幼い頃に死別し、ほとんど記憶にない父親の声を代弁するかのように一期一振は言います。
「少しだけ…昔を思い出しました。
私はあの時……
あなたを守ることができなかった。
すまない秀頼……
すまない…
せめて最期まで、側にいてやりたかった!」
そして一期一振は、秀頼の思いに答えるため、自身の正体を打ち明けます。
一期一振「のちに貴方の刀でもありました。
その頃の思い出は……
大坂城とともに焼け落ちました」
秀頼「大坂城が焼け落ちると!
お前はそれを見届けたというのか……!
一期一振よ、豊臣は……豊臣は……負けるのか!」
一期一振「私は、その歴史を守るために……ここに来たのです」
大坂冬の陣の幕開け。一期一振の思いと太閤左文字の思い出が、ついに秀頼の心に届く……
一期一振「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢
天下人・豊臣秀吉がその生涯を終えようとしたとき
案じたのは
跡継ぎである秀頼さまの行く末でした。」
太閤左文字「でも大坂の陣で豊臣は滅びて、秀頼さまも自害しちゃうんだよね」
一期一振「ええ……一度も戦に出ないままに……
豊臣秀吉の描いた天下は、まさに一夜の夢のようでした」
自らの行末を知り動揺した秀頼に城を追い出された一期一振は、家康の護衛に当たっていた太閤左文字と合流。
豊臣の終わりを見届けた二振りは、秀吉の天下が行き着く歴史上の結末を語り合います。
以前、こちらのコラムでもご紹介しましたが「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢」は歴史上秀吉が実際に残したとされる辞世の句です。
秀頼が引け目を感じていた父・秀吉の「天下」は、秀吉本人にとって「夢のまた夢」のようなあっけなく儚いものだったのです。
実質的に「天下」を手にしていた家康でさえ、「天伝」では「天下などつまらん」「不毛な時を過ごした」と、天下取りの成功者とは思えないほど人生に悔いがあることを吐露していました。
「天下」を己の手で手に入れられなかったほぼすべての人間、そして秀頼にとっては中々理解し難い感情かもしれません。
ところが冬の陣が始まり、弥助の作戦が開始される中、秀頼の心が変わる出会いが訪れます。
太閤左文字「すっご〜〜〜く似てるよね!秀頼さまと豊太閤が!
顔は似てないけどさ、においが似てるんだ!
ま、親子だから似てて当たり前か!」
豊臣秀頼「お前は……父上を知っているのか!」
戦いの中で、秀頼が刀剣男士・太閤左文字と出会うのです。
太閤左文字は豊臣から徳川家康に贈られた短刀から顕現した刀剣男士。
(1/2)
【新刀剣男士 短刀「太閤左文字(たいこうさもんじ)」】
筑前の刀工、左文字の短刀。そして、彼もまた己の在り方を問う左文字の一振。悲しむ在り方も、楽しむ在り方も。豊臣にまつわる名を授けられれば、それに応えようと励む。#刀剣乱舞 #とうらぶ #新刀剣男士— 刀剣乱舞-本丸通信-【公式】 (@tkrb_ht) October 19, 2020
明るく天真爛漫なキャラクターですが、実は宗三左文字たちと同じく「己の在り方を問う」刀剣男士でもあります。
そんな太閤左文字が言った言葉が、父の「天下」に捕らわれていた秀頼の心を動かすのです。
太閤左文字「蒼空みたいな人だった!
蒼空みたいに天いっぱい大きくて広ーい人。
秀頼さまも蒼空だね。
豊太閤とおんなじ!」
刀剣男士・太閤左文字という「豊臣秀吉の側にあり、その姿や人となりを一人の人間として見てきた存在」から「秀吉と同じ蒼空」と表現された時、秀頼は膝から崩れ落ちます。
秀頼「豊臣秀吉の物語から逃げられないことは分かっていた。
ただ、父上の息子でないとすれば、私には何もない。
だからずっと分からなかった。自分が何者かが。
でもようやく分かったぞ……
私は、紛れもなく父上の息子だ……
私は……!蒼空だったんだ……!」
太閤左文字が贈った「秀吉と同じ、蒼空の兵だ」という言葉。
それは父親という他者に縛られていた一人の青年が、初めて自分自身に目を向けた瞬間でした。
秀頼・家康そして弥助を惑わせた「他者ありきの夢」。「天伝」は天下という夢の本質を伝える物語
秀頼の夢は、父親ありきの「天下」からの脱却でした。
しかし実は、秀頼も、そして秀頼が羨んだ「天下」を手にした家康も「他者ありきの夢」に捕らわれていました。
秀頼は「秀吉の子」という目で秀頼を見て、天下人にふさわしい人であれと言う世間の人々があるからこその「夢」。
家康は「狸親父」「慎重派」と、自分のことを評価し語るであろう、後世の人たちがいるからこその「夢」。
そして事の発端である弥助は、信長という崇拝する人物がいるからこその「夢」でした。
「私はこの国に奴隷としてやって来ました。
どこへ行こうとも家畜のように扱われた。
ですがあの方は私を『人』として扱ってくれたのです。
私はそこで『義』というものを知りました。
あの方から受けた恩義に……ただ報いたいのです……!」
奴隷という商品として海の向こうから連行された弥助にとって、他者から見た「家畜」から「人間」になることは、天下統一ほどの喜びであったでしょう。
自分に「天下」にも等しい喜びをくれた信長が生きのびる未来が、弥助の「夢」でした。
たとえ本能寺の変から生き延びたとしても、人である以上、すぐ死んでしまうかもしれないのに……
弥助はその切ない夢を果たすため、すでに時間遡行軍をその身に取り込み、何度も生死の境目を彷徨って、半ば人外と化していました。
山姥切国広を倒せなかった弥助は、信長の刀で自害。
刀剣に「歴史の狭間人(はざまびと)弥助を斬った刀」という逸話を与えることで「刀剣男士」を生み出そうとしますが、顕現は失敗。弥助はこの世を去ります。
そして天下統一の喜びはこんなものかと嘆き、信長のように散ろう!と血気盛んになっていた家康。
家康を変えたのは、新選組の沖田総司を元主とする刀剣男士・加州清光の言葉でした。
「生きるっていうのは、それだけで大事な『戦』だ!」
武功を上げ他者に称賛されるための「戦」に出られる者だけが兵(つわもの)なのではない。
どんな凡人の人生も、それぞれの夢に向かう戦であり兵なのです。
清光の思いが家康に届き、家康は「狸親父」として後世知られる天下人に収まることを決心します。
大坂の陣での時間遡行軍戦の終盤を前に、秀頼は清々しい表情で一期一振たちを見送りました。
「私は信長にも家康にも父上にもなれぬ。
私は、『豊臣秀頼』なのだ。
私には私のなすべき戦がある……ここは私の戦場。
お前には、お前の戦場があるのだろう?
さあ征け!蒼空の兵よ……!」
現代に生きる私たちからすると、籠城の末に自害という「父親のような天下」から程遠い秀頼の人生は、とても理不尽で惨めな生涯に見えます。
足軽のまま終わった父親に生まれていたら、きっとこんな最期にはならなかったでしょう。
しかし足軽でも農民でも、この時代の日本人は一生を平穏に生きることは難しく、死に怯える不安な毎日だったと思われます。
現代は身分制度が撤廃され、職業選択の自由が人権として認められるようになり、職場の人間関係で理不尽な思いをするくらいならどんどん転職しようという人生観が主流になってきました。
しかし例えば、筆者は生まれつき持病があり、医師からの生活指導上、選べるキャリアが限られています。
健康な人でも結婚して子供が生まれたり、親の介護があったりといった人とのつながりによって、自分の思い通りに人生を送るのが難しい人はたくさんおられます。
もちろん親族のいない方やフリーランスの仕事を選ばれた方が、誰とも関わらず自由奔放に楽して生きているという訳ではないでしょう。
時代がどれだけ変わっても、私たち人間の人生は、自分と関わる人という他者の要素をゼロにすることはできません。
世間の目や城の者からの期待に応えようとする秀頼も、日本中の人が羨む天下を手にした家康も、他者から人間と認められたことを喜ぶ弥助も、それ自体は素晴らしいことです。
この世に自分一人しかいなければ私たちは生きていけませんから、人間関係は私たちに必要不可欠ですし、大切にするべきことでもあります。
他者があってこその夢自体は素晴らしいことなのですが
もし父上の子でないとなったら……
私には何も無い。
私は自分が何者か分からぬ。
と迷い苦しんでいた物語冒頭の秀頼のように、他者ありきの夢に振り回されていると、自分自身を見失ってしまいます。
2600年前、仏教を説いたお釈迦様は、生まれながらに類まれな才能と国中の財を手にしており、周囲から王の世継ぎとしての立場を大変期待されていたそうです。
しかし「他者ありきの夢」では人生の最後に後悔だけが残るということに若くして気づき、修行の末に仏の悟りを開きます。
そして「他者ありきの夢」ではなく、本当に人類が求めるべき「夢」があることを生涯かけて説かれました。
私たちは忙しく学校や仕事に行く毎日の中で、自分を見つめる時間は中々ありません。
仕事で成果をあげるため、友達から良く思われるため、良き家族でいるため……といった「他者ありきの夢」にしか目がいかないものなのです。
仏教では「他者ありきの夢」ではなく、一生かけて求めるべき「本当の夢」がなにかを考えることが、人生を幸福にし、自分が何者かを知ることもできる第一歩だと教えられています。
「天伝」で限られた命を燃やしながら懸命に「夢」と向き合う歴史人物たちは、私たちに「他者ありきの夢」に振り回されていないか、自分を振り返るきっかけを与えてくれているのではないでしょうか。