知人が読まれていて気になった『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』(松尾豊著 角川EPUB選書)を読みました。
この本は東大准教授であり、人工知能研究で日本トップクラスの松尾豊さんが書かれたもので、人工知能研究が経てきた歴史、研究が滞った問題点、試行錯誤などが丁寧に解説されています。
そして、現在はディープラーニング(深層学習)という「データをもとに何を特徴表現とすべきか」をコンピュータが自動的に獲得する技術が進歩しています。ディープラーニングをもっと噛み砕いていうと、コンピュータが人間のように「気づき」を得るようになる、ということです。
このディープラーニングによって「グーグルがネコを認識する人工知能を開発した」のです。一見、すごさを感じさせない出来事ですが、本を読み進めるとネコの特徴量をコンピュータが獲得し、ネコを識別できたことがいかにすごいことかがわかります。
このディープラーニングがもたらす「人工知能研究のブレークスルー」によって今後、私たちの未来がどう変わっていくかが具体的に書かれており、人工知能に対して知らないことばかりだった私もとても興味深く読み進めることができました。
仏教的観点からも興味をそそられるところは多くありましたが、今回は特に「人間の知能は、コンピュータで実現できるのかどうか」を考察したいと思います。
人間の知能はコンピュータで実現可能か
人工知能研究で多くの方が関心を持たれるであろうことはやはり「ドラえもんのような自らの意志を持つロボット」はできるのかどうか、ということではと思います。
「人間の知能をコンピュータで実現する」
実際、それが実現できるようなところまで研究が進んでいるのでしょうか?
人工知能という言葉はよく耳にするようになりましたが、著者は人工知能は2015年現在、まだできておらず、多くの人が人工知能に対して誤解しているのでは、と書かれています。
世の中に「人工知能を搭載した商品」や「人工知能を使ったシステム」は増えているので、人工知能ができていないなどと言うと、びっくりするかもしれない。しかし、本当の意味での人工知能―つまり、「人間のように考えるコンピュータ」はできていないのだ。
人間の知能の原理を解明し、それを工学的に実現するという人工知能はまだどこにも存在していない。
第1章 人工知能とは何か―専門家と世間の認識のズレ p,38
人間の知的な活動の一部をまねしている技術も「人工知能」と言われるそうで、そういう人工知能ができていることは確かです。しかし、人間の知能の原理を解明しそれをコンピュータでまねしているものはないのですね。
では、人工知能はコンピュータで実現できないのかというと、著者はこのように話しています。
人間の知能は、コンピュータで実現できるのではないか。人間の脳は電気回路と同じだからだ。
人間の脳の中には多数の神経細胞があって、そこを電気信号が行き来している。脳の神経細胞の中にはシナプスという部分があって、電圧が一定以上になれば、神経伝達物質が放出され、それが次の神経細胞に伝わると電気信号が伝わる。つまり、脳はどう見ても電気回路なのである。
電気回路というのは、コンピュータに内蔵されているCPU(中央演算処理装置)に代表されるように、通常は何らかの計算行うものである。
(中略)
人間の思考が、もし何らかの「計算」なのだとしたら、それをコンピュータで実現できないわけがない。
第1章 人工知能とは何か―専門家と世間の認識のズレ p,39-40
人間の思考がもし「計算」だとしたら、という仮定の上ではありますが、「人間のすべての脳の活動、すなわち、思考・認識・記憶・感情は、すべてコンピュータで実現できる」と断言されているのですね。
人工知能は本能を持つことはできない
このように、人間の脳のすべての活動はコンピュータで実現できるかもしれないのですが、人工知能が発達しても獲得が難しいのが人間の「本能」です。本能は著書では「何を『快』あるいは『不快』と感じるかということ」と言われています。
本能に直結するような概念をコンピュータが獲得することは難しい。たとえば「きれい」という概念は、おそらく、長い進化の中で作り上げられた本能と密接に関連している。美しい異性を見て「きれい」と感じるだけでなく、景色を見て「きれい」とか、動きを見て「きれい」と感じるのはなぜだろう。
第6章 人工知能は人間を超えるか―ディープラーニングの先にあるもの p,196
何を「快」とか「不快」かを感じるかは人間一人一人でも、驚くほど違いますよね。好きな食べ物、好きなスポーツ、好きなマンガなど千差万別です。それらの違いは何によってもたらされたのでしょうか。
そもそもの人間の知能の原理がわからないことには、人間の知能を根本からコンピュータで実現することは不可能なのですね。
人間の知能・心の仕組みを明らかにされた仏教
その人間の知能および心の仕組みを明らかにされているのが、実は2600年も前に説かれた仏教と言われています。
著書にも登場する第1次AIブームの中心人物で、マサチューセッツ工科大学教授マービン・ミンスキー氏は
人工知能をやろうとすれば、当然ながら人間の知能、それから心の仕組み・働き方がターゲットになり、とくに心の研究には仏典が比類なきテキストになる。
と話されている通り、仏教では人間の知能・心の仕組みが詳説されているのです。
仏教では人間の知能・心の作用が8種に分けられており、それを八識(はっしき)と言われます。
八識は以下のものです。
- 眼識(げんしき)
- 耳識(にしき)
- 鼻識(びしき)
- 舌識(ぜっしき)
- 身識(しんしき)
- 意識
- 末那識(まなしき)
- 阿頼耶識(あらやしき)
識は心のことです。はじめの眼識・耳識・鼻識・舌識・身識とは、いわゆる五感のことですね。何かを見たり聞いたり触ったりして得られる人間の感覚の元は心の作用であると仏教では教えられています。
これら、5つの心を統括しているのが意識です。人間の脳の働き、知能を指します。この脳の働き自体は、著書で紹介されているように電気回路と同様であると思われます。ですが、先述の「本能」 ―何を「快」や「不快」と感じるか― は人間一人一人にその違いがあるのであり、なぜそのような違いができるかについては、脳の働きだけで説明することはできないのです。
仏教ではこの意識よりも(さらに言うなら、心理学者フロイトによって発見された無意識よりも)深い心の作用が仏教では説かれているのであり、それが人間の執着である末那識と、生命としての存在の根本である阿頼耶識です。中でも阿頼耶識が何を「快」や「不快」に感じるのか、その作用の元を生み出しているのですね。
まとめ
ディープラーニングの登場により、人工知能が人間の知能に着実に近付いていることに感動します。それとともに、コンピュータでも実現が難しいのが人間の深層心理であり、その深層心理を2600年前にすでに明らかにされている仏教の奥深さにも驚かされますね。
この記事をきっかけに仏教にも関心を持たれればとても嬉しく思います。