こんにちは、みさきちです。最近まゆげ脱色しすぎて見えなくなってしまった大学生です。
現在大学生で教職過程をとっている私は、現在進行形で「ちいかわ」沼にハマっていっています。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、爆発的人気を誇るちいかわは、日々グッズ争奪戦が繰り広げられています。
そのため私も、新しいグッズの情報をこまめにチェックし、乗り遅れないように必死の毎日。
そんなちいかわですが、可愛らしい見た目とは裏腹に、かなり残酷なシーンもあり、私はそのギャップに惹かれるところもあり、考えさせられることも多いです。
私は、家が浄土真宗で、幼い頃から法事などで仏教のお話を聞くことが多くありました。
そんな育ちを経て、あるとき「ちいかわ」に出会ったのです。
ツイッターにたまたま表示され、「ん?なんかかわいいのあるやん」と思って見始めたら、もう止まりませんでした。
話が進むにつれて、ちいかわの世界観と法事で聞いていたお話に、似たようなものがあると思うようになりました。
「心がふたつある〜〜」ちいかわ有名トラウマ回のおさらい
一体どんなところが似ているのか、今回は、ちいかわの話の中でもトラウマ回のひとつとも言える「心がふたつある〜~」のシーンを取り上げていこうと思います。
まず、ナガノ先生のX(旧Twitter)でおさらいしていきましょう!
ここでこの「心がふたつある〜~」の言葉に着目したいと思います。
これは、その前の発言でもハチワレが言っているように、ちいかわに杖を折ってもらった方がいいという気持ちと、このままの状態でいたいという気持ちが葛藤したことから出た発言だと思います。
究極の選択! 大学の学食でも「心がふたつある〜〜」
ハチワレらしい独特の言い回しで、印象に残る言葉ですよね。
X(旧Twitter)でも複雑な心境を表す言葉として使われることが多いらしいですが、私自身も、日常生活でこの言葉をつい使ってしまいたくなることがよくあります。
みさきち家では、食費は定額支給制度になっています。
ひと月に食費が一定額支給され、その中でやりくりし、余ったお金はお小遣いに回せるというシビアな制度の元で生活しているのですが、つい先日、大学の学食でお昼を食べる際に、とても悩むことがありました。
それは、「200円のかけうどんを食べるか、100円追加して300円のきつねうどんにするか」ということです。私のお小遣いの制度上、少しでも食費を削りたいところですが、ほんの100円の差ですし、「これくらい、いいかな?」とも思います。
でも1000円が1100円になるのと、200円が300円に変わるのとでは、なぜかその100円分の重みが全然違うように感じてしまって、なかなかきつねうどんを頼もうとふんぎりをつけることができません…。
「かけうどんか、きつねうどんか」
「200円か300円か…」
「決められない…心がふたつある~〜」
今回のお話では、最終的に、ちいかわが杖を折ってくれたおかげでハチワレ、うさぎの2人は元の姿にもどることが出来ました。
ちいかわが泣きながらも杖を折ろうとするシーンが健気で、同情してしまいます。
小学生でも葛藤!杖を折ってくれたSちゃんの話
不思議な杖が起こした非日常的な事件ですが、現実と通ずる部分もあり、私も葛藤の中で間違った選択をしそうになったときに、杖を折ってもらった経験があります。
これは私が小学校高学年の頃です。
2人組でずっと仲のいい友達、Rちゃんがいたのですが、その子はよく他の子の悪口をいう子で、私はそれを聞くことがすごく苦痛でした。
あるとき、我慢が出来なくなった私は、Rちゃんから離れ、他の友達と遊ぶようになりました。
私がRちゃんから逃げた先の友達らに、Rちゃんの悪口を日々聞いていてうんざりしていることなどを話したこともあってか、Rちゃんの周りには誰も集まらなくなり、Rちゃんはひとりぼっちになってしまいました。
このとき私の心の中ではこんな葛藤が起こっていました。
「これでもう悪口を聞かなくても良くなる!よかった…!…でも、Rちゃんと話し合おうともせずに、何も言わず離れてしまった、、これで良かったのかな?」
しかし当時の私は、話し合いをする勇気もなく、Rちゃんの事を放っておいたまま、数日間あっという間に時間は過ぎていきました。
そんなある日です。
私が学童保育が一緒で仲の良かった、Sちゃんから呼び出され、話をされました。
「みさきち、Rちゃんと仲良かったのに、なんで最近あの子ひとりぼっちなん?」
かなり深刻そうな顔をしながらSちゃんが言いました。
その雰囲気に耐えがたかった私はすかさず、今までRちゃんがよく人の悪口を言っていたこと、そしてそれを聞くことが辛くなってRちゃんから距離を置いたことなどを話しました。
これは今考えて思うことですが、このことを話せば、Sちゃんも他の子と同じように、自分に同情してくれると無意識的に思ったからだと思います。
しかし、Sちゃんからの返事は予想外のものでした。
「それが嫌なんは分かるけど、ちゃんとRちゃんと話し合わないと、今の状態やったら、みさきちがRちゃんを無視していじめてるように見えるで」
と私の目を見ながら諭したのです。
私はドキッとしました。
「私がいじめ…?」
自分とは縁遠い単語だと思っていたものなのに、まさか自分がそれに加担しているかもしれないなんて。
それと同時に、今まで心の中にあったもやもや、葛藤もその言葉で決着が着きました。
「Rちゃんと話し合おう」そう思ったのです。
最終的には担任の先生にも間に入ってもらい、Rちゃんと話をして、お互い満足し合うことができました。
いじめっ子という恐ろしい存在になろうとしていた私ですが、Sちゃんが杖を折ってくれたおかげで、それを免れることが出来たのです。
「縁」が運命を左右する ピンチを救った “ちいかわ” の存在とは?
「ある人のおかげで、間違った道から軌道修正することができた」。
みなさんもこのような経験はあるでしょうか?
この、杖を折ってくれる存在、それを仏教的に考えると、いい縁だったんだなと今なら思えます。
みなさんもよく聞く言葉だと思いますが、実は縁とは、仏教から出ている言葉なんです。
どんな縁を選ぶかで、幸せか不幸か変わってしまうと言われています。
その人の出会いで人生が変わる、そんなこともあります。
自分を甘やかしてくれる環境が、いい縁とは言えないのです。
Sちゃんのように、あえて厳しく自分に接して、気づかせてくれる人。
これが私にとって、いい縁になりました。
私は、Sちゃんという縁に巡り会ったおかげでRちゃんとの関係を修復することが出来たということです。
ここで再びちいかわのあのシーンに戻りましょう。
ハチワレは恐ろしい見た目になってしまい、ちいかわを今にも食べてしまいそうになりますが、ちいかわが杖を折ってくれたおかげで元に戻りました。
これは、ちいかわという、いい「縁」に恵まれたからだと言えるのかもしれません。
みなさんの周りには、困ったときにアドバイスをくれたり、時には耳の痛いことも言ってくれたりする人はいますでしょうか。
大人になるにつれて何事でも自己責任となり、よくないことを「よくない」とビシッと叱ってくれる存在が少なくなってくるように思います。
自分を甘やかしてくれる存在もときには大事ですが、厳しく接してくれる人も大切にしたいものです。
そんな厳しく接してくれる人こそ、ちいかわ、ハチワレ、うさぎの関係性のように「本当にあなたのことを思ってくれている人」なのかもしれません。
あなたの周りがそんなステキな人たちでかこまれますように…
あなたの周りにもいるんです、ちいかわのように杖を折ってくれる存在が。