「老いることが怖い」昭和元禄落語心中の大名人噺家・八雲 心の叫びから分かる老いへの恐怖※ネタバレ注意

2期に渡ってアニメ化した雲田はるこ先生による本格落語漫画『昭和元禄落語心中』。

自身も落語好きである山寺宏一さんはじめ、豪華キャストによる噺家の演技が話題を集めました。

ヤクザだった主人公・与太郎を更生させ、噺家にしたのは昭和最後の大名人といわれた噺家・八雲

今年1月にアニメ版が放送された『助六再び編』で描かれたのは、大名人・八雲に訪れた思わぬ苦難でした。

天才噺家を苦しめたのは私たちも逃れることができない「肉体が朽ちていく」恐怖。『助六再び編』に描かれた老いの恐怖と向き合い方について考察していきます。

※ストーリーの核心部分に関する記載があります。ネタバレご注意ください。

『助六再び編』あらすじ紹介

『助六再び編』は、主人公・与太郎のターン。故人に囚われた八雲の心を解放するべく、一人前の噺家になろうと奮闘する物語です。

八雲が自身の過去を与太郎に打ち明けてから10年。与太郎はついに噺家としての最高の階級・真打になり、三代目助六を襲名します。

「助六」が再び現れたのです。

苦しい真打生活をスタートした与太郎ですが、次第に自分の強みを見つけ人気噺家として大成していきます。

一方の八雲は、与太郎との親子会のときに心筋梗塞で倒れます。一命は取り留めたものの八雲はすっかり意気消沈し、噺家を引退すると言い出します。

他人を襲う老いと自分に差し迫った老いの恐怖

10年前、「昭和最後の大名人」といわれ、落語界の頂点で活躍していた八雲。

萬月の父親・萬歳師匠との二人会の後、萬月とこんなやり取りをしていました。

萬月「どうされました?浮かない顔をされて」

八雲「いや……萬歳師のことを考えてました。お加減は……あまり芳しくないようですな

こんなこたぁ言いたくありませんけど、萬歳師とのこういう会は今年で最後かもしれませんなァ」

萬月「舌も回ってないし声量もなかった……………父はもう以前のようにはできないと思います」

八雲「噺家も人間です。アタシもアナタもいずれそうなる

噺家ってェのは罪な商売ですな、立ち去るときは芸もなにもかも一人で持っていっちまう

人一人失うことがあんなにも痛い。

人だけじゃありません

街も風習もなくなって、噺の実感がどんどん薄くなる

吉原や長屋も知らねぇ人だって出てくる

いまはまだすくなくとも居るだけいい

けど10年、20年先どうなるってェんです

考えるだけで気が遠くなる

こんなふうにこぢんまりした芸はね。後生大事に保護したって味気ねェ

身近でなくなりゃ一緒に終わり

それで良いんです

だったらパッと散ったほうが……いくらか粋じゃ……

初老と言われる年齢ではあったものの、まだまだ第一線で活躍していた八雲。

このとき自分より高齢の噺家・萬歳が衰えた様子を見て

噺家も人間です。アタシもアナタもいずれそうなる

「パッと散ったほうが……いくらか粋」

と冷静に老いは逃れられぬ未来だと受け入れていました。

変わり果てていく肉体も世間の変化も、パッと散ったほうが粋だと感じていたのです。

ところが、いざ眼前に老いが迫り、高座で倒れてしまった八雲の苦痛は想像以上に凄まじいものでした

「声が…うまく出ねえんだ、またあんな醜態さらしちまうかと思うと、恐くて高座に上がれやしない

思い通り喋れねえなんざ地獄の釜ン中さね

もしかしたらアタシぁ、ずっと恐れていた日がついに来ちまったんじゃないかって…

アタシの生涯でそんなこたァ、一時も考えたことはなかった

アタシの中から、落語がなくなる…

そうなったらアタシなんざ、もぬけの殻だ

商売道具であり、生きる国宝級の噺を生み出すための声が出なくなる。生涯をかけて極めた芸という生きがいが自分から消えていく…

眼前に迫った自身の老いは、他人事だったときとは全く違う恐怖だったのです。

お前さん方にはわからねえだろう

体が朽ちていく恐ろしさが

今までどいだけ手前(テメエ)の肉体に依存して落語をやっていたか

ほんの少し欠けるだけで、恐くてずっと震えてらァ

客に言葉が通じねえ苦しみがわかるかい

思う通り声が出せねえのも

噺を忘れていくおそろしさも…

何もわかっちゃいねえ、お前さんは…」

老いという「四苦八苦」は自分に迫って初めて分かる

老いの苦しみと聞くと、私たちにはまだまだという感じがするかもしれません。

しかし「10代とは違う」と思ってしまうことは20代や30代でも多々ありますね。

貫徹で遊んだあとの疲れは10代の頃とは違いますし、女子高生のようにすっぴんでも歩ける肌のアラサー女子はなかなかいないでしょう(笑)

四苦八苦」という言葉がありますが、元々は仏教の言葉で、人間が逃れられぬ代表的な苦しみを表した言葉です。

四苦の中の一つが老苦、つまり老いる苦しみです。

老いの苦しみはどんな人にも例外なく降りかかる。天才噺家の八雲にもその苦しみは例外なく降りかかり、噺家という体を奪っていきました。

老いの苦しみは体だけではなく、心にも重くのしかかります。

コミュニケーション・ストラテジストの岡本純子さんによると、特に男性は歳を取るごとに友人を作るのが難しくなり、その「孤独」が深刻な問題なのだそうです。

人は年を取るごとに、新しい友人をつくるのが難しくなる

また友人の数も減っていく。

(中略)

つまり5~6人に1人の男性が絶対的孤独を抱えているという現実。

社会から置き去りにされたような孤立感は生きがいや幸福感をむしばみ、生きる意欲をそいでいく。

日本人の自殺についての統計を見ると、40~60代男性の自殺率が最も高く、同世代女性の2倍以上に上っている。

日本のオジサンが「世界一孤独」な根本原因ーーー東洋経済オンライン

40を過ぎた頃といえばまだまだ、老人とはいえない若さですね。

それでも老化は降りかかり、特に男性には友人を作ることが難しくなり「孤独」という心の苦しみもやってくる。

お釈迦様が老いる苦しみを「四苦八苦」と言われたのは私たちの真の姿なのです。

落語「野ざらし」にもでてくる「生者必滅会者定離」はこの世の真理

古典落語に「野ざらし」という噺があります。

昭和元禄落語心中アニメ公式ガイドブックによると、「野ざらし」は『落語心中』の主要キャラクター全員が作中で口演している唯一の噺だそう。

読者にとっても特に印象に残る噺ではないでしょうか。

作中至るところに繰り返し登場するこの噺にも八雲が晩年苦しんだこの世の真理が隠れていて、若い頃八雲が幼い小夏に演じてみせるシーンには、こんな一節があります。

「回向、死者の冥福を祈って手向けの句を詠んだ。

『野を肥やす 骨にかたみの 薄かな

生者必滅会者定離 頓証菩提南無阿弥陀仏』

と、瓢にあった酒を骨にかけてやると

気のせいか赤味がさした…」

この部分は、落語の中に出てくる清十郎という男が「野ざらし」になっていた頭蓋骨を見つけ、不憫に思い手向けの句を読んだという部分です。

ここに出てくる「生者必滅会者定離」も仏教の言葉で

生ある者は必ず死に、出会った者は必ず別れるのがこの世の定めであるという仏教の教え。

「故事ことわざの辞典」(あすとろ出版)

という意味です。

生まれたものは必ず死なねばならない。

老いは私たちが逃れられぬ変化であり、これを仏教では「諸行無常」といいます。

「諸行無常」とは、すべてもの(諸行)は常が無い、続かない(無常)ということです。若さも身体の健康も長続きはしないのですね。

そして私たちにとって最も恐ろしい無常は「」でしょう。

『昭和元禄落語心中』は天才噺家が老いによる肉体の変化に苦しむ様子が描かれ、一人、また一人と主要登場人物がこの世を去っていく物語でした。

まさに老いという苦しみ、そして死・別れという人間が避けられないこの世の理「生者必滅会者定離」を描いた物語だったのではないでしょうか

人間国宝クラスの噺家・八雲も、孤独に苦しむ40代のサラリーマンたちも無常からは逃れられません。

まさに八雲も言った「アタシもアナタもいずれそうなる」は真実でしょう。

しかしここで重要なのは、仏教は決して私たちに残酷な現実を知らせて落ち込ませることを目的として説かれたものではありません。

仏教では

無常を観ずるは菩提心のはじめなり

とも教えられます。

「菩提」とは、無常を自分の問題として真っ直ぐ見つめること。現代の言葉でいうと、本当の意味での幸せに近づく第一歩だと教えられているのです。

老いる無常、死という無常を真っ直ぐに見つめ、本当の意味で幸福な心になるための方法を模索する。そんな仏教思想を学ぶことは“世界一孤独なオジサン”という老苦を少し和らげるきっかけになるかもしれませんね。