※『宝石の国』最新巻までの内容があります。ネタバレご注意ください。
人間が滅亡した後の未来が描かれる物語『宝石の国』。
市川春子先生による作品で、現在アフタヌーンにて連載中です。
昨年アニメ化され魅力的なキャラクターと深いストーリー性が高い評価を受けました。
原作漫画の読者に加え新たなファン層を獲得し、最新巻の発刊が多くの読者から待ち望まれています。
作者の市川春子先生は高校時代に仏教校に通われており、『宝石の国』にも仏教思想につながる深い哲学が隠れています。
今回は「人間の不安」について、フォスが聞いた月人の言葉を考察。
『宝石の国』が教えてくれる人生哲学をお伝えします。
【宝石の国・あらすじ】変化したフォスは金剛先生を疑うように
地球に六度の隕石が落ち、大陸が海に沈んだ遠い未来。
唯一残った、不毛な大地の浜辺に「宝石」たちが暮らしていました。
人間そっくりな見た目をした宝石たちですが、宝石でできた体は不老不死。
体内の微小生物のおかげで砕けても再びつなぎ合わせれば元に戻る特性を持っています。
無敵にも見える宝石たちには唯一の天敵・月人がいました。
月人は月からやってくる狩人。
仏像のような外見をして、平安時代に描かれた来迎図のように天から雲に乗って現れる謎の存在です。
月人によって宝石たちは幾度となく攫われ、誰ひとりとして帰ってくる者はありませんでした。
彼らに対抗するため宝石たちはお互いの長所を活かし、寄り添って生きていました。
そんな宝石たちの中で最年少で主人公のフォスフォフィライト。
虚弱体質な上に不器用で役に立てないフォスは、取り柄である能天気な前向きさで皆を振り回していました。
しかし300歳の冬に転機が訪れます。
冬が訪れる前、事故で両足を失ったフォスはアゲート化した貝殻を足の代わりに繋いだことで念願だった戦闘に出られるように。
初戦で仲間たちを危険に晒し、何もできなかったことを悔やんだフォスは今までやろうとしなかった冬の仕事に挑戦します。
冬の仕事を担当していたアンタークと絆を深め成長しつつあったとき、今度は両腕を失い合金を繋ぐことになりました。
自分の身代わりとして月人に攫われていくアンタークを見たフォスは、強い自責の念から第一線で活躍する戦士に変貌。
変化したフォスは今まで心の底から慕ってきた育ての親・金剛先生の正体を疑うようになります。
「僕は 先生がなにか隠し事をしてる気がする」
「月人と話してみたい
そして自分で本当のことを見極めたい」
フォスは、月人と意思疎通をして先生のことを聞き出そうと決意します。
月人を待ち構えること十日以上。
夕暮れ時についに月人が現れます。
月人が喋る?フォスが捕獲した月人が言い残した「ふ」「あ」
フォスは失った両腕の代わりに接続した合金を巧みに操って戦い、月人の一人を合金の中に捕獲します。
フォス「僕の
言ってることがわかるか」
月人「ふ」
フォス「ふ?」
フォスに首を締められ動けない月人の目に瞳が現れ、息のような声のようなものが発せられました。
しかし続きを月人が言う前に仲間のアメシストによって退治されてしまいます。
アメシストたちには何も聞こえなかったようですが、フォスはたしかに月人が斬られたときに「あ」と言ったのを聞いていました。
フォス「ふ あ
うーん
発見はあったけど…
息のようなあれは言葉なのか
僕にしか聞こえないのか
何もはっきりしなかった
ふ あ」
ゴースト「ん?」
いつの間にかフォスの後ろにいたゴースト・クオーツ。
「ふ」「あ」と月人が言った言葉を復唱していたフォスに「ん?」と付け加えてみせました。
たしかに「ふあ」とGoogleの検索フォームで打つと検索候補に出てくるのは「不安障害」や「不安」。
そしてこのエピソードが描かれた第三十二話のタイトルは『不安』です。
もしアメシストたちによって斬られていなければ月人は「不安」と言おうとしていたのでしょうか。
月人が言い残した言葉は、不安に満ちた人間の実体 ※ネタバレ注意
フォスが月人との意思疎通を試みたときに聞こえた「ふ」「あ」という言葉。
その言葉の意味を聞けるチャンスが訪れないままフォスは戦闘中に頭部を失い、ラピス・ラズリという頭だけを残して攫われた仲間の頭部を接合されることになります。
別個体の頭を接合したフォスは長く意識が戻らず、100年の月日が経ちました。
100年後、奇跡的に目覚めたフォスは接合したラピスの知能を受け継ぎ、金剛先生の正体を暴く術をより緻密に見つけ出そうとしていきます。
しかし金剛先生に直接問いただすも動揺させることさえ叶わず、もうこの地上でできることはないという結論に至りました。
フォスは月人に連れ去られたふりをして、意識を保ったまま月へ行きます。
「みんなは どこだ
返してもらう」
地上へやって来るときは皆同じような外見をしていた月人たち。
しかし月に帰った途端、姿を替えてフォスたちのように普通に会話ができることが判明します。
「人間はかつて存在した生物の一種で
君たちの祖でもあるな
動物である人間が死と言われる活動停止の状態を迎えた時
人間を構成している肉と骨と魂のうち
肉と骨は星に還る」
他の月人から「王子」と呼ばれ一目置かれている月人のリーダー格・エクメアから話を聞くことができたフォスは、月人の正体を知ることになります。
「月に座礁し変容した人間の魂の集合体
それが私たちだ」
人間が肉体と骨を失い、変質した魂だけが集まった存在が月人でした。
月人たちは現代の人類をも凌駕する技術を持ち月に一大都市を形成していましたが、エクメアはこう言います。
「無になりたい
皆を早く自由にしてやりたい」
欲望を満たすために宝石をさらう肉食動物のように見えた月人たちは、その強さとは裏腹に実際は苦しみに満ちた生を送っていました。
フォスが月人と会話を初めて試みたときに耳にした「ふ あ ん」という言葉は、月人たちの心を占めていた苦しみだったのではないでしょうか。
エクメアはこうも言います。
「奇抜な体だ
進化に疲れたろう
私たちもだよ」
心臓をナイフで刺されるだけで死んでしまう人間と違い、宝石たちも月人も画期的な変化を遂げ、首を刎ねられても蘇生する肉体を得ました。
しかしその「進化」つまり変化こそが苦だとエクメアは言うのです。
『宝石の国』作者の市川春子先生も学ばれた仏教哲学では人間の生は「火宅無常」だと教えられます。
火宅とは炎で燃え盛っている家のこと。
そして無常とは、すべてのものは絶えず変化していくという意味です。
仏教用語。万物が生滅変化し,常住でないことをいう。
私たち人間が生きる世界は絶えず変化しています。
フォスたち宝石が生きる世界は人間が滅亡したあとの世界ですが、私たち人間はいつまでこの地球にいるか分かりません。
人間が誕生してからの世界も、今と100年前では全く違います。
『宝石の国』で活躍する宝石たちは永い寿命を持っていますが、それでもフォスは100年少しで全く別人のように変わりました。
姿だけでなく金剛先生に対する心も大きく変化し
「先生が大好きだから助けたいんです」
と言っていたフォスは、月人から仲間を守るためとはいえ
「みんなを先生から引き剥がす」
と思うほどに変わります。
人の心はたえず変化するので、絶対に自分を裏切らない人はいません。
人間は信じられなくてもお金は信じられるという人もいますが、フォスの生きる世界のように隕石で大陸が沈んでしまったらお金も海の藻屑になるでしょう。
永遠に変わらない頼りになるものが何一つ無いから、私たちの生き様を「火宅」に住んでいるような不安なものだと喩えられているのです。
人間の魂が変容し集まった存在である月人が、フォスに言い残した「不安」という言葉。
今も昔も、これから未来も変わることのない、人間の心が現れているようですね。
仏教は私たちの不安という苦しみを除くために説かれた教えで、不安を除くには不安に苦しんでいる自身の姿を知ることが第一歩だと教えられます。
『宝石の国』で活躍する宝石や月人たちは人間の「不安」に満ちた姿を、私たちに知らせてくれているのかもしれません。