『宝石の国』は市川春子先生による人気漫画作品。
昨年放送されたアニメ版ではCGアニメーションを駆使した美しい作画や魅力的なキャラクターが大きな話題を呼びました。
アニメでは1巻〜5巻の内容が放送されましたが、筆者も含め6巻以降も原作を読んだという視聴者は多いようです。
今回は6巻以降に活躍の場が増えるキャラクター、スフェンとペリドットをご紹介。
二人のセリフから学べる人生哲学から、美しいビジュアルだけではない『宝石の国』の深い魅力をお伝えします。
※アニメ未放送部分に関する内容があります。原作未読の方はご注意ください
【宝石の国・あらすじ】主人公のフォスの変化を見守る年長者 スフェンとペリドット
遠い未来、僕らは「宝石」になったーーー。
『宝石の国』で描かれるのは人間がいなくなった遠い未来の世界。
六度の隕石により大陸が無くなった地球には、人型の宝石たちが暮らしていました。
彼らを装飾品にするため月よりやってくる狩人「月人」に対し、宝石たちは28人。
少ない戦力ながらも互いの長所を活かして力を合わせ、寄り添って生きていました。
主人公・フォスフォフィライトはその中で最年少の300歳。
不器用で長所がなく、戦闘力の指標となる硬度が三半で月人との戦争にも出られませんでしたが天真爛漫に生きていました。
そんなフォスはある時両足を失い、足の代わりに繋いだアゲートで駿足になったことで戦闘に出られるようになります。
初戦で失敗し仲間を危険に晒したことを悔やんだフォスは、いつもなら真っ先に寝ている冬眠の時期にアンタークという冬に活動する仲間と一緒に仕事をやるようになりました。
自他ともに厳しいアンタークが次第にフォスを認めてくれるようになったとき、流氷の間に落ちたフォスは両腕も紛失します。
両腕に替わる素材を探していたときアンタークは月人に襲われ、フォスの身代わりとして月に連れ去られました。
アンタークを失ったことに強い自責の念を抱いたフォスは、両腕の代わりに繋いだ合金で最前線で戦うようになり、多くの仲間と共に過ごすようになります。
最年少でトラブルメーカーだったフォスが強い戦士へと変化していくのを見守っていた先輩のうちの二人が、今回ご紹介するスフェンとペリドットです。
スフェンとペリドットが組むことになったきっかけは、仲間との別れの悲しみを忘れることへの罪悪感
フォスはアンタークに次いでゴーストという仲間も、自分の身代わりとして失ってしまいます。
強いショックで正気を失いかけたフォスを支えたのは、アンタークにそっくりな外見をしたカンゴームという仲間でした。
カンゴームと共に仕事にでようとしたとき、先輩であるスフェンとペリドットが声をかけてきます。
三つの長いおさげで緑の混じったオレンジの髪。
派手な外見ですが工芸意匠担当でコツコツした仕事を好むスフェン。
緑色の短髪、切れ長の目が印象的な紙フェチ。
フェチを活かして紙制作担当を仕事とする、仲間の中では珍しい一人称が「私」のペリドット。
登場人物紹介で「チームセクシー」と記載があるように、色っぽくて麗しい外見をしています。
二人はカンゴームに「工芸のにいさん方」と呼ばれており、他の宝石たちより少し年上の兄貴分でペアを組んで戦っていますが、昔は別々の相手とペアを組んでいました。
フォスとカンゴーム、同じく若手のヘミモルファイトと共に見回りの仕事に出たとき、ふだん穏やかにフォスたちを見守っている二人が組むようになったきっかけを語ってくれます。
ヘミモルファイト「前の冬眠延期のとき二人はもう組んでたの?」
ペリドット「私はそのときブルーゾイサイトと」
スフェン「俺はトパーズと組んでたんだよ」
ヘミモルファイト「あ ……ごめんなさい」
スフェン「ああ もう ぜーんぜん!」
ペリドット「気を遣うな
しかし
久しぶりに名前を呼んだよ
ブルーゾとトパーズは冬眠延期の次の春
同じ戦いでさらわれてしまったんだ
直後はさすがにそのことしか考えられなかった
でも不思議なもんでね
思いだす時間がすこしずつ減ってくるんだ
それが とても間違っていることのような気がして
先生に訊きにいったら」
スフェン「俺も同じことを訊きに行ったんだよ
それが組むきっかけになったわけ」
スフェンとペリドットが組むようになったきっかけは、それぞれの相棒との辛い別れ。
ともに戦ってきた相方を失った悲しみは、フォスがゴーストを失ったあと戦闘中に錯乱したように、スフェンとペリドットも非常に苦しませました。
しかし長い時を生き、様々なことが起きていく中で悲しみや辛い思いが薄れていくことに二人は戸惑います。
大切な仲間が遠い世界に消えてしまったのに、思い出す時間がすこしずつ減っていく。
自分の心の変化に罪悪感を覚えた二人は師であり親である金剛先生に苦しみを打ち明けます。
「俺は薄情でしょうか」
「心情や物事は決着がつく方が稀で 完全で最終的な決着がつくことを奇跡という
それは自力で引き寄せることはできない
ある日突然訪れる
歪んで見逃さないように
悲しむのも忘れるのも
自然でいなさい」
筆者はこのエピソードを改めて読んでいて、二年前亡くなった会社の同僚のことを思い出しました。
まだ30代で転職してきて2年目、期待の若手だった同僚。
くも膜下出血で倒れたと聞いた日の翌日朝、訃報が入り職場には衝撃が走りました。
仕事が終わってお通夜に参列し、遺影の中で元気そうに笑う同僚を見たときは言葉にできない辛い感情が湧き上がってきたものです。
二年近く経った今年の3月、異動対象になった社員が順番に挨拶をする中
「この職場では、辛い別れもありましたね」
とおっしゃった方がいました。
その時ふと周りに反応を示した方がとても少ないことに気づいたのです。
私自身もその方の言葉にハッとさせられ、仕事やプライベートで起こる様々なことに心を奪われていく中で、どのくらい亡くなった同僚のことを思い出していただろうかと罪悪感を覚えました。
スフェンたちが苦しんだ心の変化は人間の心の「無常」
帰らぬ人となった大切な人を次第に忘れていく私たち。
スフェンはそんな自分の心を見つめ
「俺は薄情でしょうか」
と相談するほどに苦しみますが、これはスフェンたちだけでなく私たちの心の実体です。
『宝石の国』作者の市川春子先生も高校時代学ばれたという仏教では、人間の心は「無常」だと教えられます。
仏教用語。万物が生滅変化し,常住でないことをいう。
「諸行無常」と用いて,三法印の一つ。
三法印とは仏教の基本的な三つの理念という意味で、学校で習う「平家物語」の「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり」という一節でも広く日本人に知られる言葉です。
万物が消滅変化していくことを無常といいますが、この無常はモノだけでなく心にも当てはまります。
オフ会やイベントで天国のような楽しい時間を過ごしても、その喜びは永遠には続きません。
同じように大切な人を失った悲しみもいつまでも残ることはないのです。
『宝石の国』で活躍する宝石たちは不死身の肉体を持つ存在として描かれ、一見すると永遠に変わらない存在で「無常」が当てはまらないように見えます。
しかし実際は作品の至るところで「無常」の姿が描かれます。
主人公のフォスはスフェンたちからこのことを聞いた後の出陣で首を月人に射抜かれ、意識が戻らなくなります。
頭部だけを地上に残したラピスという仲間の頭部を接合してもらうも、別人の頭部では中々意識が戻らず102年の時が過ぎました。
奇跡的に目覚めたフォスは仲間のゴーシェから衝撃的な言葉をかけられます。
ゴーシェ「はじめまして フォスフォフィライト!」
カンゴーム「八十二年前の夏
おまえの知ってるモルガとゴーシェは月へ行った」
『宝石の国』第一話から登場しているゴーシェとモルガナイトは月人に攫われ、別人であるゴーシェとモルガナイトが生まれていました。
何百年も生きる宝石たちも逃れることのできない「無常」。
私たちはフォスが眠っていた「たったの102年」すらも生きられる方が稀ですから、もっと無常が身近な存在です。
忘れたくない楽しい思い出もいつか色褪せる。
苦しくて苦しくて仕方ない悲しみも続かない。
この無常をスフェンやペリドットのように見つめることが仏教では幸せの第一歩と教えられます。
セクシーでかっこいいだけじゃないスフェンとペリドットの深い洞察力は、私たちに大切なことを教えてくれているのですね。