この星は六度流星が訪れ
六度欠けて
六個の月を産み 痩せ衰え
陸がひとつの浜辺しかなくなったとき
すべての生物は海へ逃げ
貧しい浜辺には不毛な環境に適した生物が現れた
『宝石の国』は六度の隕石で地上の生物が滅んだあとの世界を描く、アクション・バトル・ファンタジーです。
昨年アニメ化し、大きな話題を集めました。
大陸が流星で沈み、陸が一つの浜辺になった大地には、人類とよく似た外見の「宝石」たちが身を寄せ合って生きていました。
宝石たちは、体内にいるインクルージョンという微小生物の働きで、四肢がバラバラになっても、傷口をつなぎ合わせれば生き返る肉体を持っています。
不死身の宝石たちは数百年から数千年以上生きていましたが、唯一の天敵がいました。
それは天からやって来る月の住人「月人」。
無数にやって来る月人たちは、宝石たちを捕まえバラバラにし装飾品にしてしまうのです。
攫われないよう、宝石たちは各々得意分野を補いながら月人たちと果てなき戦いを繰り広げていました。
※『宝石の国』2巻時点までのネタバレ表現があります。ご注意ください。
フォスフォフィライトが出会った巨大カタツムリの正体は…
宝石たちの中でも最年少である300歳の主人公・フォスフォフィライト。
フォスは虚弱体質と不器用さで仕事がありませんでしたが、特に思い悩むこともなく周囲からトラブルメーカーとして扱われていました。
ある時、宝石たちの師・金剛先生に博物誌の編纂を指示されたフォスは仕事中、毒液が出る体質のため孤立しているシンシャと出会い、何とかして助けたいと思うようになります。
周りにも疎まれ、生きる意味を感じられないシンシャに、生きがいを与える方法が見つからず悩んでいたフォスは、月人が襲来した際に落としていった謎の巨大カタツムリに吸われてしまいました。
聡明なシンシャの知恵により救出されたフォスは、潮水で縮んだカタツムリと会話できるように。
「我こそは
全アドミラビリス族を束ねる王
ウェントリコススである」
何かの一族の王であると自称するウェントリコススは、金剛先生の意向で唯一意思疎通できるフォスと行動を共にするようになります。
「わしは元々この近海に住んでおったんじゃ
美しい殻を持つ我が一族は
根こそぎ月人に連れ去られ
月の甘い水と砂で肥大化し飼われるうちに
思考を奪われた
わしの仲間は今なお
月で養殖されておる
悲しい話じゃろ?」
ウェントリコススがかつて王として統率していたアドミラビリス族という種の動物は、月人たちに襲われ壊滅した後でした。
ウェントリコスス王と行動を共にするフォスは、ある時、海に誘われます。
海に入ることは禁じられていましたが、今は無き故郷の様子が見たいという王の願いを叶えるため、フォスは海の中へ王を連れていきます。
海の中に入ったフォスはびっくり。
カタツムリの姿をしていたウェントリコスス王は、クラゲのように透き通った肉体の美女に変わっていました。
故郷に近づいたため本当の姿になった王の姿は私たち人間に近い、女性と分かる体型をしており、人型の宝石・フォスともよく似ていました。
「僕らなんで似てるわけ?
王ははっきりしないとこなら
知ってんでしょ!教えてよ」
かつての女王ウェントリコススが語る「月人」の正体
本当の姿が自分と似ている理由を問うフォスに、ウェントリコススは滅んだ一族に伝わる、自分たち、そして月人の正体を語り始めます。
「わしらの伝説では
この星にはかつて にんげんという動物がいたという
この星が五度欠けたときまではしぶとく陸に生き残ったが
六度目にはついに海に入り
魂と肉と骨
この三つに分かれたという」
「海に入った衝撃で三つに割れたのに
生きてんの? にんげん動物のくせにやるな」
「あーちがうちがう
かっこいい言い方をすると そうなるだけで
実際は徐々に三種に変化して 生き残ったっていうニュアンスで頼む
わが種族 アドミラビリスはそのうちの 肉だと伝えられている
生殖と死を細やかに繰り返しながら
知を重ね紡ぐ特性を 受け継いだとされる
一方骨は
他の生物と契約し 長い時を渡る術を身につけ 陸に戻った」
「それって……!
僕たちの成り立ちにすっごく似てるんだけど!」
「そう予感はある
なぜなら魂は
ついに清らかな新天地を得、再興のため
肉と骨を取り戻すべくさまよっていると言われている
やつらにそっくりだ」
やつらとは月人のこと。
隕石で大陸が沈む遠い過去に地上にいた「にんげん」。
「にんげん」たちは五度目の流星落下までは陸に生き残りましたが、六度目には海に沈み「魂」「肉」「骨」に徐々に分化。
そのうちの「肉」がアドミラビリス族、「骨」がフォスたち宝石に。
そして人間の「魂」が月に逃れた姿が月人ではないかと言うのです。
つまりフォスたちも、王も、月人も元々は私たち人間だったということ。
「魂は
…月人は
にんげんに戻りたくてあんなことをしてるっていうの…?」
「わからぬ
だがわれらには われらの心がある
今さら道を引き返すようなことができるとは到底思えぬ
やつらが何を考えているのか
不気味で不可解だ
だがおまえの言う通り進むしかない
自分の仲間の為に
戦わなければならない…」
「どうして
そんなことになっちゃうわけ?
王の言う通りなら魂だって昔は
仲間でひとつだったんでしょう?」
元々は同じ「にんげん」だったはずの月人が肉と骨を求め、宝石たちや王の一族を奪い荒らし尽くしている。
王の一族に伝わる伝説が本当なら、月人と自分たちの関係はあまりに悲しい状態でした。
納得できないフォスに、月人たちに一時囚われていたアドミラビリス王は月人から分かる「にんげん」のすがたを語ります。
月人は人間の本質?『宝石の国』で描かれる深い人間観
「月にいた時感じたのは
月人は天敵がいるわけでもないのに争いを好み
満足することがない
なんとなくだが
あの理由なき焦り様は
にんげんが
そういう生き物だったのかもしれぬ」
地上に来るたび返り討ちにされて死んでいく月人たちは、別に宝石が無ければ生きていけない訳でもないのに、何度もやってきて宝石たちを装飾品にしようとします。
「天敵がいるわけでもないのに争いを好み 満足することがない」姿は、王が言うように人間の姿そのものなのかもしれません。
幸いにして日本では現在戦争はありませんが、日本史の教科書を開けば歴史の大部分は戦の時代。
そして平和といわれる今日も、金欲しさに人を殺す者、恋に狂ってストーカー殺人をする者は消えることはありません。
文明を武器にし、道を歩いていて猛獣に食べられることのない安全な生活を手にしたはずの人間。
しかしその心は平穏とは程遠く、お金の無い生活に怯えて財を求め「宝石」にかぎらず求めるものを手に入れようと血眼になり、欲望が永遠に満たされることがないまま死んでいく…
月人は滅んだ人間の「魂」という伝説が本当なら、弓矢や槍を持ってフォスたちに襲いかかり、返り討ちにされて死んでいく月人たちの姿は私たちの映し鏡なのではないでしょうか。
『宝石の国』を生み出した市川春子先生は、仏教系の学校出身の方で、月人に象徴される人間観は仏教に通ずるところがあります。
お釈迦様の説かれた仏教では、私たち人間のことを
罪悪深重 煩悩熾盛
と表現されます。
「あれが欲しい」「あの人と付き合いたい」「楽して稼ぎたい」…
限りない欲が燃え盛っているような存在であり、月人のように欲のために罪を造り続け、その報いに苦しんでいるのが私たち人間だと教えられています。
他人と競いあって争い、欲望に振り回されているうちにあっという間に死が訪れる。
何百年、何千年と生きるフォスたちと比べて、その生はあまりに儚いものです。
宝石を手に入れられないまま散っていく月人のような哀れな最期にならないよう、人生を振り返ることが大切。
そんな「にんげん」への真摯なアドバイスが、この作品からは溢れているように思います。