孤独死しないために結婚すべき?独身を震え上がらせたツイートから考える幸せの本質

「孤独死したくなければ結婚しとけ」1万近くリツイートされた アラサーの心をえぐる衝撃のツイート

今年始め、うーさーさんという方の「孤独死したくなければ誰でもいいから籍を入れろ」というツイートが話題になっていました。

https://twitter.com/wooser/status/952386168703733761

https://twitter.com/wooser/status/952387413430517760

筆者のようなアラサー独身の心を抉る文言がひたすら並ぶ、独身勢のメンタル破壊力バツグンのツイートですが、中でも鋭いのはこちらでしょう。

30〜35歳までに仕事の合間を縫って結婚しないとその先一気に一人で生きていく以外の選択肢がなくなるぞ

孤独死したくなければ誰でもいいから籍を入れろ

この方のツイートは大きな反響を呼び、瞬く間に1万人近くにTwitter上でリツイートされました。

多くのコメントや引用リツイートが寄せられ、その様子がtogetterにまとめられています。

「孤独死したくなければ誰でもいいから籍を入れろ」30〜35歳までに結婚しないとその先ずっと一人で生きていくかも

ほんとそれ

「私も後輩に同じ話しした(笑)」

その通りでございます(号泣

残酷な現実を突きつけたこのツイートは独身、既婚を問わず多くのTwitterユーザーを唸らせ、賛同の意見が多く寄せられました。

筆者の周りは独身のお友達の方が多いのであまり危機感が無いのですが、自分も「孤独死したくなければ誰でもいいから籍を入れろ」と言われる年になってしまったのだなあとしみじみ思いました(笑)

結婚できたとしても「孤独死」は免れない?結婚すると別の地獄が待っているという声も

現実をズバリ言ってくれる衝撃のツイートは、多くの方を唸らせ頷かせましたが、一方で結婚=「孤独死を回避できる」とは限らないという意見も寄せられています。

筆者のようなアラサー独身は結婚している方を見ると、その状態だけを見て

家族に囲まれて人生勝ち組

孤独死とは無縁で幸せそう

と思ってしまいがちです。

しかしそれは今の状態しか見ていない、近視眼的な視点であることが、これらの意見を見ていると知らされます。

結婚という「幸せ」の形を手に入れてもその「幸せ」を維持するのは大変なことだからです

ご紹介したツイートにもあるように、熟年離婚に仮面夫婦など結婚したあとに待ち受ける人生の苦難は枚挙に暇がありません。

筆者は昨年、結婚して二児のお子さんに恵まれた既婚者の方とお仕事していました。

典型的な幸せな家庭をお持ちだなあと思っていたのですが、ご本人曰く実際は仕事後帰ってからも育児サポートで毎日が終わるそうで自分の時間はまったく無く、毎日常に睡眠不足だそうです。

幸せそうなパパにも大変な苦労があるのだなあと知らされましたが、ワンオペ育児なんて言葉もあるくらいですから女性はさらに大変なのではないでしょうか。

冒頭に紹介したうーさーさんのツイートはたしかに現実で、我々は結婚相手にいろいろ条件を付けていられる年齢ではないかもしれません。

しかし真実は、結婚したあとも家族のため日々並々ならぬ努力をし、事故死や突然死をせず、死ぬ瞬間もちょうど病院に付き添ってくれる家族がいる…そんな最期を迎えることができて初めて「孤独死」という人生のバッドエンドルートを回避できるのです。

結婚生活を円満に維持するためには、一生懸命働かなければいけません。

さらに夫や妻に先立たれても最期を看取ってくれるような子供や親戚も必要ですから、貴重な休みには子供との時間を大切にし、親戚と仲良くする努力も欠かせません。

近年若者の平均収入は少ないと言われ、長時間労働に身をすり減らす方も多く、20代独身にとって結婚すること自体、中々ハードルが高いものです。

その上に結婚後の努力や家族や親戚、友達の縁に恵まれて初めて回避できるのが「孤独死」。

現代社会で「孤独死」しないために人生を操作していくのは、本当に大変なことなのではないかと思います

独身で孤独死する=「不幸」な人生なのか。私たちは「孤独死」しないために生きているのではない

 「独身で孤独死した」と聞くと私たちは、不幸でかわいそうな人生と思いがちです。

しかしこうして考えてみると、孤独死=不幸という訳ではないように思えてきます。

家族や友に看取られて死にさえすれば人生幸せだったという訳ではありません。

「孤独死」しないために結婚したことによって、地獄の人生になる可能性だってある訳です。

私たちは「孤独死」しないために生きている訳ではありません

死の縁は無量
という言葉が仏教の書物にあります。
事故死や突然死、そして孤独死。

どれだけ家族や仲間に恵まれた環境を整えても、最期どんな死に方をするかは分かりません。

仏教ではその人の生が幸福だったのかどうかは、どんな死に方をするかではないと説かれています。

人と人の繋がりは大事なことで、決して「孤独死」が増えている現状は喜ばしいことではありません。

「孤独死」を防ぐために行われている種々の施策や取り組みはとても大切なことです。

しかし一方で、私たちは最期一人で死なないために生きている訳でもないはずです。

冒頭にご紹介したツイートでは

「一人で生きていく方が楽で自由に感じてしまうけど、突き詰めると金で買えないものもやっぱり色々あって
その必要性に気付く頃には相手を見付ける方法がなくなってるんや」

と書かれており

金で買えないもの」が婚期を逃すと手に入らないと書かれ、多くの人が共感していました。

たしかに家族の愛というものはお金があれば必ず得られるものではないので、かけがえのないものでしょう。

しかしその家族に裏切られて地獄のような人生を送っている人も世の中にはいます。

お金や家族といった私たちが幸せを運んでくれると思っているものは、本当の意味で私たちを幸せにするものではないのですね。

たとえ孤独死したとしても最期の瞬間に、為すべきことができた悔いのない人生だったと思えることが本当の意味での幸せでしょう。

そんな本質的な幸せが仏教では教えられています。

独身であることに焦りを感じているときは、家族や子供といったワードそのものが自分に幸せをもたらしてくれると思いがちです。

しかし人生の選択に迷うこういう時期こそ、最期本当に後悔しない人生を送るために必要な生き方を知ることが大切だと「孤独死」のツイートを見て学ばせて頂きました。