先週、世間はバレンタインムード一色でしたが、オタクの世界でもこんなアンケートが実施され、驚きの結果が発表されていました。
チョコをあげたい男子No.1は一松(おそ松さん)に声優・神谷浩史 フリマアプリ「オタマート」ユーザーアンケート結果発表
女子から最も「チョコを贈りたい相手」として選ばれた一松。
そんな一松の素顔が明らかになったエピソードを仏教の視点から深読みしていきます。
※シリーズ第1回はこちら(この記事だけでも読めます)
[blogcard url=”https://20buddhism.net/about-fujoshi-goukai/”]
一松はマイペースで皮肉屋、卑屈で斜に構えた態度が印象的な薄暗い青年。
兄弟以外の人間と行動することがほとんど無く、ネコ以外友達がいません。
そんな一松が何故チョコをあげたい男子1位に選ばれたのか?!
そのヒントである彼の内心が明らかになるのが前回に引き続き、ここで紹介する5話「エスパーニャンコ」です。
ある日一松の弟、十四松は、デカパン博士という研究者のもとへ一松を連れていきます。
その理由は
「この一松兄さんはね、全然友達がいないんだ!だからあのネコと話せるようになればいいと思って!!」
十四松の相談を聞いた博士は、「気持ち薬」という薬を出してくれました。
「気持ち薬」とは相手が今何を考えているか、本当の気持ちが分かる薬。
ところが誤って一松のネコがこの薬の注射を受けてしまい、人間が心で思っていることを見抜き、言葉で表現できる「エスパーニャンコ」になってしまったのでした。
一松と十四松はこの「エスパーニャンコ」を持ち帰り、ほかの兄弟に披露します。
「一匹狼」一松、実は寂しがり屋?!
エスパーニャンコと夢中になって遊ぶ兄弟たちを尻目に、一松は部屋の隅で三角座りして、兄弟たちの会話に入ってきません。
そんな兄を見て、十四松はエスパーニャンコを抱きかかえて一松に近づき
「ねえ、なんか話せば?」といいますが、一松は見向きもしません。
そんな様子を見た、おそ松たち他の兄弟。
「相変わらず冷めてんな~」
「あのネコだけは友達の気がしてたけど」
「いやいや!一松兄さんに友情とかないから!」
そう兄弟たちに言われた一松は
「まあね、
そういうの生きていく上で必要ないから。
みんなよくやるよね、まわりに合わせてさ。
友達?仲間?
俺には一生いらない。」
と呟き、一同はしーんとしてしまいます。
そんなとき、エスパーニャンコがこう一言・・・
「ホントはそんなこと思ってないけど」
「え?今誰が・・・」
「ネコ・・・」
「ってことは、今のが一松の本当の・・・」
おそ松「あれ~?このネコは本当の気持ちを見抜くんだよ。一匹狼のふりして、友達欲しいんじゃないの~?」
一松「違うよ、そんなのいらない」
エスパーニャンコ「欲しい!」
一松「な・・・!いらないって・・・言ってるだろ!!何でそんな面倒なものわざわざ作らなきゃいけないの!」
エスパーニャンコ「何で僕には友達ができないの?」
一松「!!・・・・ま、まあ・・・そんな価値ある奴はいないけど」
エスパーニャンコ「まあ・・・そんな価値、自分にあるとは思えないけど」
一松「無駄なんだよな、人と距離を縮めるのが」
エスパーニャンコ「怖いんだよな、人と距離を縮めるのが」
一松「労力がもったいない」
エスパーニャンコ「自分に自信がない」
一松「平気で裏切ったりするし、あいつら」
エスパーニャンコ「期待を裏切っちゃうかも、自分が」
一松「つーか、ネコが友達とかありえないでしょ」
エスパーニャンコ「つーか、ネコが友達だと楽でしょ」
一松「言葉通じないし!!」
エスパーニャンコ「だから傷つかないし」
一松「あー馬鹿らしい!!」
エスパーニャンコ「あーさびしい」
一松「友達なんかマジいらねえ!!!」
エスパーニャンコ「友達なんかマジいらねえ!
・・・だって僕にはみんながいるから・・・」
(アニメ「おそ松さん」第5話「エスパーニャンコ」より)
自分が心に秘めていた思いをそのまま暴露されてしまった一松はすっかり動転。
怒りにまかせてエスパーニャンコを追い払ってしまいます。
本当は友達が欲しいのに、自信がなくて、そんな自分が嫌いで、傷つくのが怖くて、友達が作れない。
僕は友達なんかいらない、僕には六つ子の兄や弟たちがいるから、大丈夫・・・そう自分に言い聞かせて虚勢を張ってきたのが一見卑屈に見える一松だったのです。
彼が本当は友達が欲しいのに、「自分はこんな性格だから友達が作れない」と思っていることは、一松のモノローグが中心の16話「一松事変」でも明らかになっていました。
この一松の気持ちに「一松の気持ち、私も分かる!」と思った視聴者は多かったようです。
目立たない地味なキャラクターだった一松でしたが、このエピソード放送後一気に一松ファンが増えました。
一松の胸に秘めてきた苦悩は多くの人に共通するものだったのではないでしょうか。
一松も私たちも幸せになるにはどうしたらいい?
「あの人に私は嫌われているのではないか」
「自分は周囲の人に疎まれているんじゃないか」
と、独りでもんもんと悩んでしまったことがないでしょうか。
こういうことが続くと、人付き合いが辛くなったり、疑心暗鬼になってしまい、気持ちよく人に接することができなくなったりします。
そう、一松の心はまさにこういう状態にあったのです。
こういう気持ちは一松だけでなく、多くの人が感じる不安ではありますが、実際はどうなのでしょう。
現実はみんな、自分のことで精いっぱいなのではないでしょうか。
皆さんそれぞれがご自身を振り返ってみても、他人のことより自分のことを考えている時間のほうが圧倒的に多いと思います。
どんな人でも厳しく叱られたり、喧嘩をしてしまったりすることはあるでしょう。
でも、それはその時、失敗したり、相手にとって都合が悪いことをしていたりしていただけなのです。
私たちが週末、買い物や趣味、女子会、デート等、好きなことに没頭している間、他人の存在を忘れているように、ずっとあなたのことを考えているヒマな人なんてどこにもいないのです。
国内だけでも80万部を超えた「嫌われる勇気」。
この爆発的人気書籍にもこのような一節があります。
しかし実際のところ、他者はそれほどにも「あなた」を見ているものでしょうか?
あなたを24時間監視し、隙あらば攻撃してやろうと、その機会を虎視眈々と窺っているものでしょうか?おそらく違うでしょう。
わたしの若い友人が少年時代、長いこと鏡に向かって髪を整えていたそうです。
すると彼は、祖母からこういわれました。
「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」と。
それ以来、彼は生きていくことが少しだけ楽になったといいます。
「嫌われる勇気 (第二夜 敵と仲間について)」より
私たちが思っているほど、他人は私たちのことを気にしていないものなのですね。
だからといって周囲のことなど構わず傍若無人な振る舞いをすれば孤立してしまいますが、周囲の友人、同僚、上司に、嫌われているのでは・・・と毎日不安でいっぱいになりビクビクする必要もないのです。
あの松井秀喜選手も「自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることだけに 集中するだけです。」と名言を残しています。
本当は悩まなくてもいいことで不安になっていると、余計なことばかり悩んで、本当に悩むべき大事なことを考えられてないこともあります。
人は自分のことしか考えていないのが現実なのです。
この真理に気付くと、人間関係が少し楽になります。
一松に知って欲しい!「諦観」
そういえばこのことで私が思い起こすのは、仏教の「諦観」という言葉です。
「諦観」とは「諦める」という言葉に使う漢字「諦」が入っていますが、実はアキラメルではなく、「あきらかにみる」という意味です。
「諦観」するとは、自分の都合をいれずにものごとをあきらかに、正しく見るということ。
他人の顔色が気になって悶々としてしまったり、失敗してしまったなあと思ったりする時は、立ち止まって心を落ち着けて、その原因を考えてみましょう。
原因が分かれば、後はそれを改善するだけ。
自分が何をすればいいか明確になれば、自信を持って取り組むことができますね。
「おそ松さん」の一松は「あきらかにみる」ことができていないために、友達作りも、仕事に就くことも、「アキラメている」のではないでしょうか。
自分で勝手に作った不安にながされずにあきらかにものごとをみると、すこし生きやすくなります。
一松もホントは「燃えないゴミ」じゃない!
「おそ松さん」2話で、ハローワークに六つ子たちが行き職員に希望職種を聞かれるシーンがありますが一松は
「希望というか…皆に付いていただけなんで。あ、今こいつクズだなって思いました?
クズです、ゴミです、生きる気力のない燃えないゴミ…」
と言っています。
しかしその後六つ子たちがイヤミに騙されてブラック工場で過酷な労働をしていたとき、なんと一松だけが「終身名誉班長」に出世し、過酷なライン労働を抜けて、視聴者を驚かせました。
自称「燃えないゴミ」の一松ですが、決して能力がない訳ではないのですね。
何らかの失敗で自信をなくし、自身のことも他人のことも、あきらかに見つめることができなくなっているのかもしれません。
「チョコレートを贈りたい男子No.1」に一松が選ばれたのは、アニメファンたちの「自分の本当の価値に気付いて!」という彼へのメッセージも込められているように感じました。
もし一松が自分を「諦観」できれば、ニートを卒業し、立派な社会人になれるのかもしれませんね!