もちょです。
ジョジョの奇妙な冒険は、荒木飛呂彦先生による1986年から現在まで34年間も連載しつづけている個性派バトル漫画。
直近では、『第4部ダイヤモンドは砕けない』における登場キャラクター、岸辺露伴を主人公とするスピンオフ作品『岸辺露伴は動かない』が、2020年12月28日から30日までの3夜にわたって、なんと実写ドラマ化。
しかも2021年2月18日、Netflixにて、アニメOVA『岸辺露伴は動かない』全4話が独占配信されました!!
配信されているエピソードは「懺悔室」「富豪村」「六壁坂」「ザ・ラン」。
興味のある方はぜひぜひご視聴ください。
今回はその『岸辺露伴は動かない』シリーズの「懺悔室」から幸せという名の絶望について考察していきたいと思います。
この記事はこんな方におすすめ
- ジョジョ4部が好きな人
- ピンクダークの少年を定期購読している人
- 金やチヤホヤされるためにマンガを描いている人
- 最も難しいことは自分を乗り越えることだと思う人
では冒険していきましょう! 今回はネタバレ有です!
最初は、「岸辺露伴」について説明するので、懺悔室についてすぐに知りたい人はこちら↓
『岸辺露伴は動かない』「懺悔室」のあらすじ
ジョジョ6部の考察記事はこちら
【ジョジョ6部考察】徐倫→死亡→アイリン?一巡後の世界と輪廻転生について
『岸辺露伴は動かない』とは?
『岸辺露伴は動かない』は、30年以上も続く「ジョジョの奇妙な冒険」のスピンオフ作品です。
その主人公は、タイトルにもある通り、岸辺露伴。
本編では『ジョジョの奇妙な冒険 第4部ダイヤモンドは砕けない』において登場しています。
読者からも作中のキャラクターからも「露伴先生」と呼ばれ親しまれていますが、彼は一言で表すなら「ブレないイカれた漫画家」。
まずは、それがよく分かる名言や名シーンを一部ご紹介します。
岸辺露伴の名言や名シーンといえば?
なるほどクモってこんな味がするのか
「なるほどクモってこんな味がするのか」
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、21巻、205ページ、岸辺露伴)
さぁ、1発目からとばしておりますが、これは本編ジョジョ4部初登場時に「クモの味見をした」シーンで発されたセリフです。
自分たちが住んでいる杜王町に有名な漫画家がいる、という話をどこからか聞きつけた広瀬康一と間田敏和。
彼らがアポなしで訪問した豪邸には、かの有名な若手漫画家、岸辺露伴が住んでいました。
初めはいい顔をしなかった露伴ですが、2人が自分のファンだと知り、家に招き入れます。
そこで間田の肩にちょこんと乗っていた小さなクモ。
露伴はそのクモをつまみ、図鑑片手に調査しはじめます。
普通の人なら害虫として駆除するだけのクモも、漫画家の露伴にとっては「マンガの材料」です。
どういう風に脚や目がついているか、どこから糸が吐き出されてどう固まるのか。
内臓はどのように詰まっていて、死に際したらどうもがき苦しむのか。
構造や反応、果ては感情までもリアルに知りたいという気持ちの強い露伴。
2人の客人の前でクモの腹を割いて、舐めまわします。
『リアリティ』だよ!
そんな露伴に対し2人は残酷すぎる、と抗議をしますが、露伴は次のようにバッサリ。
「『リアリティ』だよ!」
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、21巻、198ページ、岸辺露伴)
もちろんひとつの命を奪うことは褒められたことではありませんし、ひょっとすると毒を持っている可能性のある虫を口にする行為は非常に危険です。
しかし、そんな「世間一般の常識・倫理観」や「健康を害する危険性」などは露伴にとって二の次なのです。
なぜなら、彼にとってはマンガが全てだから。
金やちやほやされることのためにマンガを描いているわけではありません。
作品を描くためならば、リアリティのある経験ができるならば、金も名誉も友人も何もいらないと言いきるほどの信念を持つ人間。
それが岸辺露伴なのです。
だが断る
「だが断る」
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、26巻、76ページ、岸辺露伴)
岸辺露伴といえばこのセリフ。
ジョジョを知らずとも、このセリフは知っているという人も多いと思います。
「だが断る」は、本編ジョジョ4部にて、弱点のないスタンド「ハイウェイ・スター」に追い詰められ、自分の命までも危ういという窮地に立たされた時に、露伴が言い放った名言です。
本作の主人公・東方仗助を差し出せば見逃してやると脅迫されてもなお、NOを貫き通す露伴先生。
もしや仲間想いなのか?なんて思ってしまいますが、あくまでも「自分自身のことを強いと思っている奴にNOと言ってやる」のが好きとのこと。
ホントにいい性格してます。
ちなみにこれは余談ですが、露伴の「クセの強さ」がよく表れている描写がこちら。
「●ファンレター
・先生の作品は最高です。ますますガンバッテください。(中2男子)
・読み始めたらやめられない。サインください。(小5男子)
・気持ち悪いよ、あんたの絵!(21歳学生)
・毎週10回は読み返します。(高1女子)
・見るだけでムカつくマンガ、とくにカラーが嫌いだ。(高3男子)
・これは不幸の手紙だ。明日までに99通出せ。(不明)
・イイ気になってんじゃねーぞ、ボケ!(不明)
・愛してます。結婚してください。(28歳OL)」
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、21巻、245ページ)
これは「漫画家のうちへ遊びに行こうその④」の表紙に載っている文章で、露伴あてに作中のファンから届いた手紙とのこと。
上記のファンレターを読むと、熱狂的なファンとアンチに二分しているような印象を受けます。
それだけ露伴の描くマンガはクセが強く、それ故ピタッとはまった読者はどんどん虜になっていくし、はまらなかった読者は絵柄が受け付けない・ストーリーが気に食わないとはねのけるようになるのでしょう。
いい作品の評価には「★5と★1が多い」とよく言われますが、露伴の作品も同様なのかもしれません。
また、個人的には、このファンレターは実際に当時、荒木先生のもとに届いた声なのではないかなと予想しています。
考えてみると、『ジョジョ』は一般的には非常にクセが強く、個性的・独創的なマンガ。
その溢れ出る魅力に惹かれ、「若い頃、ジョジョの影響を受けた」と語る芸能人も少なくありません。
連載当時からずっと好きで追っているという古参ファンも多く、根強い人気を誇っています。
しかしその一方で、劇画調の画風や何の前触れもなくキャラクターが死ぬという衝撃的なストーリー展開がニガテという声も聞きます。
(筆者が5頭身くらいの画風になかなか馴染めないのと同じですね……)
更に、他のありとあらゆる作品とは一線を画している点が色使い。
荒木先生以外には使いこなすことのできない、類まれなる色彩感覚も一つの特長です。
「とくにカラーが嫌いだ」というファンレターはこれを示唆しているのでは、なんて思っています。
『岸辺露伴は動かない』エピソード16「懺悔室」
さて、今回ご紹介するのは、シリーズにおける第1話「懺悔室」。
ジョジョ4部から7年、27歳となった岸辺露伴が、取材で訪れたイタリアにて体験した奇妙な出来事の話です。
懺悔室とは、教会の中に設置されている木製の電話ボックスのようなもの。
入り口が2つあり、片方には神父、もう片方には懺悔したい人が入ります。
互いの顔が見えない暗がりで、自分の犯したあやまちを告白し、長年溜め込んだ「誰にも言えない秘密」を吐き出す場所です。
イタリアの教会で、禁止とされながらも目を盗んで写真を撮りまくっていた露伴。
更なるリアリティを求め、懺悔室の中に脚を踏み入れました。
岸辺露伴、何年経ってもブレません。
ですが、なんと露伴のくぐった入り口というのが「神父側」の入り口でした。
そこに絶妙なタイミングで、ある男が懺悔室に入ってきます。
図らずして他人の罪を聞くことになってしまった露伴は、その男から「ある罪」を告白されます。
「懺悔室」の告白のあらすじ
当時24歳だった男は、トウモロコシの食品市場で昼夜忙しく働いていました。
そこに、1人の浮浪者がやってきます。
「何か食べ物をくれ」と絞り出した声はカラカラでした。
しかし、ずいぶん虫のいい話だと疑った男は「自分の代わりに仕事を手伝い、完了したら食べ物を分けてやる」と言い放ちます。
目も回りそうなほど空腹の浮浪者に、「やるのかやらないのか」と迫ります。
しぶしぶ手伝うことを了承した浮浪者は、重い荷物を担ぎあげ、少し歩くと倒れ込んでしまいました。
それを見てナマけるなとぼやいた男の足元から、なんと鬼のような形相の浮浪者が顔を出します。
困惑する男に、浮浪者は「お前が幸せの絶頂の時に必ず戻ってくる」と言い残して、息絶えてしまいました。
突然の出来事に困惑しながらも、男は殺人犯として扱われることなく年を重ねます。
その後の彼は、遺産が入ったり、開発したお菓子が爆発的にヒットしたり、モデルと結婚して娘を授かったり……他の人が憧れ羨むような人生を歩んだといいます。
しかしある日、娘と一緒に公園で遊んでいた時、「なんて私は幸せなんだろう」と思ってしまいました。
その瞬間、あの浮浪者が、目の前に。
幸福の絶頂からたたき落とすために、舞い戻ってきたというのです。
浮浪者に対し男は、必死になって「逆恨みだ、何を言っているかわからない」と否定を繰り返します。
ところが、浮浪者は待ちません。
運命はほんのちっぽけなことでわかると言い、「3連続で高く投げたポップコーンを口でキャッチしろ」と命令します。
成功すれば殺しはしないが、失敗すれば殺すと。
かつての浮浪者のように、「やるのかやらないのか」と迫られた男は、しぶしぶ命令に従うことを選びました。
これまでの幸福に支えられているのか、男は順調に2投目までクリア。
そして彼の生死を決める3投目。
ポップコーンに群がる鳩を避け、口に一直線かと思われたその時……
太陽の光によって目がくらみ、ポップコーンは男の肩へ。
そうして男は浮浪者によって首をはねられ、死んでしまいました。
語り手の男は結局生きていた?ラストの意味
えっ? どういうこと……?
男は今生きていて、露伴に対して懺悔しているんじゃないの?
と思ったはず。
大丈夫です。
もう少しだけ話は続きます。
露伴も同じように疑問に感じ、眉をひそめます。
その時、懺悔室の外から何かを引きずるような音が……。
露伴がこっそりと入り口から外を伺うと、若き日の姿をした男が、切り離された首を抱いて地面を這っているではありませんか。
「あっしを整形手術させて怖い目に遭わせた恨みは忘れねぇ。許さねぇ」と怨恨に満ちた言葉をぶつぶつ口にしています。
なんと、男は使用人に整形手術を施し、「浮浪者が記憶している若き日の男の姿」にさせ、身代わりとしたのでした。
おそらく、3連続ポップコーンゲームが始まる前には、既に整形し終えていたと考えられます。
男に扮した使用人が必死に「逆恨みだ」「自分は何も知らない」と訴えていたのも、身に覚えがなかったからでしょう。
「浮浪者を殺してしまったのは故意ではない」という気持ちから来るセリフかと思っていましたが、そうではないようです。
「懺悔室」に隠された甘美な幸せという名の”絶望”
今回の「懺悔室」というエピソードを考察すると、自業自得が真っ先に思い浮かびます。
故意でないとはいえ、浮浪者を殺してしまった1人の男が、恨みを買って報いを受けていく。
それは身代わりを立てたとしても、避けられるものではない。
身代わりを立て、また1人、人間の命を奪い恨まれて報復を受ける……。
そこに、終わりなき復讐の連鎖を感じ取ることもできます。
しかし、これは『岸辺露伴は動かない』の中のエピソードの1つ。
「なぜ露伴がこの話を語ろうと思ったのか」は重要です。
というのも、岸辺露伴という人物は、承太郎やジョセフのように「誰かに道を示して導く」キャラクターではないんですね。
どちらかというと、誰かを諭すというよりも、身をもって経験したことを吐露するキャラクターとしての役割を担っています。
なので、今回のエピソードは「露伴自身も体験し、痛感し共感したからこそ語った」と考えるのが妥当ではないかと思います。
では、露伴は懺悔室での告白の、どこに共感したのでしょうか。
幸せと不安は紙一重
「しかし気分がいいのはちょっとの間だけさ………この完成したマンガを誰も読まないんじゃあないかと思って不安な気分がだんだん大きくなるからさ」
(荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 集英社文庫コミック版』、集英社、21巻、237ページ、岸辺露伴)
本編にて、露伴が呟いたセリフです。
全身全霊でマンガを描き、それを読んでもらうことが全てといっても過言ではない露伴にとって、思った通りの作品を生み出した際の「達成感」や「多幸感」は相当なはず。
しかし、そんな彼でも「この作品が受け入れられないのではないか」「読まれないのではないか」という不安に苛まれるというのです。
彼もひとりの人間だということを改めて感じるとともに、幸せと不安は紙一重だとわかります。
懺悔した男も「幸福の絶頂に絶望がやってくる」と宣告され、いつこの幸せな生活が崩れ去るかわからない、と確実に来る絶望に怯えていました。
幸福の先に絶望があるとわかれば、恵まれた環境も何もかも、不安のタネになります。
作中、懺悔した男は、自分がとんでもなく幸せになったことを「バカつき」と表現していますが、この代償はどれほどのものかという不安が常にあったに違いありません。
もしかして、殺されるのではないかと戦慄し、使用人を身代わりに立てたのも頷けます。
金・名声・人脈・やりがい・家族……わたしたちがそれぞれ大事にしているものも同じです。
みな何かを愛で、何かにすがっています。
そしてそれらの大事なものが失われることに恐怖し、不安の渦に飲み込まれていきます。
もともとは自分から手に入れようと求めた、自分に幸せを感じさせるものなのに。
幸福を求めているようで、その実、不幸を求めているのが私たちなのかもしれません。
幸福がおびやかされて不安になる理由
では、なぜ不安を感じてしまうのか。
男は「確実に幸せは奪われるはずなのに、いつ奪われるかわからない」と恐怖していました。
そこに全てがおさまっています。
仏教では、この世を火宅無常と譬えられています。
予想だにせず、家に火がつき燃え盛り、大切にしていたものを失くしてしまう。
この世は、予期せぬ出来事に見舞われて、いとも簡単に幸せが絶望へと転じてしまうような不安な世界だということです。
私たちも、そんな思ってもみない不幸に悩まされることがあります。
筆者の知り合いで、こんなことがあったという人がいます。
露伴も、本編で1度火事に遭っており、まさに「火宅」無常。
他にも、不慮の事故に見舞われ、命の次に大事な右腕を負傷したり(「ザ・ラン」参照)、土地価格の値崩れによって文無しになったり(「六壁坂」参照)。
露伴自身も「まさかこんなことになるとは……」と嘆いている通り、思ってもみない不幸に頭を抱えました。
「懺悔室」を含め、『岸辺露伴は動かない』は、「私はなんて幸せなんだろう」と感じている時に突如襲い来る「火宅無常の絶望」を表した作品なのかもしれません。
まとめ
今回は、『岸辺露伴は動かない』「懺悔室」の意味を解説してきました。
時はジョジョ4部から7年後、舞台はイタリア。
懺悔室で明らかになる男の罪。
人望にも収入にも家族にも恵まれた男が、幸せの絶頂で常に感じていたもの……
それは「いつこの幸せな時が過ぎ去ってしまうか」という不安。
男は不安のあまり身代わりを立てるわけですが、それがまた復讐の連鎖を作っていくのでした。
若くしてマンガ家デビューした露伴も、共感せざるをえなかった「幸せの最中でつきまとう不幸への不安」。
そのような誰も逃れられない不安の正体をご紹介しました。
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