9月10日から全国の映画館で上映されている「四月は君の嘘」。
原作は人気漫画の、待望の実写映画化です。
「ONE PIECE」の作者である尾田栄一郎さんが絶賛したことでも有名なこの作品は、漫画では表現が難しい「音楽」の表現が非常に巧みに描かれています。
しかしそれ以上にファンを惹き付けたのは、登場人物の細やかな心の機微や変化でしょう。
そんな「君嘘」で表現される登場人物の心理について、前回は主人公であり、元・天才ピアニストの有馬公生が「ピアノを弾けなくなった理由」から分かることについてお伝えしました。
今回はメインヒロイン・宮園かをりと公生の会話から分かる“生きがい”の本質について解説していきます。
元天才・公生と宮園かをりの出会い
「元・天才少年」の有馬公生。
重い病気でピアノを弾けなくなった公生の母親は、毎日長時間、殴ったり怒鳴ったりして、厳しいピアノの練習を息子に強いていました。
病気の母からの期待に応え、元気になってもらいたいという思いから、幼い公生は虐待に近いピアノのレッスンに耐え、数々のコンクールで優勝を獲得。8歳でオーケストラとモーツァルトの協奏曲を共演し、神童と評されます。
しかし3年前の11歳の秋、母親が死亡。
公生は急にピアノが弾けなくなってしまいます。
公生にとって「お母さんを喜ばせ、元気にするため」というピアノを弾く目的は、人生を“生きる意義”にもなっていました。
お母さんが亡くなってから、唯一の生きる意義を失った公生の人生は14歳にして、色あせてしまいます。
椿の目にはきっと風景がカラフルに見えているんだろうな
僕とは違う
僕にはモノトーンに見える
譜面の様に
鍵盤のように
そんなある日、公生は椿に、公生と椿の幼なじみ・渡亮太に好意を持っているクラスメイトを渡に紹介する際、3人では気まずくなるので一緒に来てほしい、と頼まれます。
約束の日、渋々待ち合わせ場所に行った公生は、子どもたちとピアニカを吹く美少女に遭遇。
彼女こそが公生の人生を大きく変えることになるヒロイン・宮園かをり。
宮園かをりは、これからヴァイオリンのコンクールに出ることを告げ、公生を誘います。
コンクールの舞台で、かをりは課題曲「ベートーヴェンヴァイオリンソナタ第9番『クロイツェル』」を演奏。その型破りで圧倒的な個性を放つ演奏は、聴衆の心と公生の心を鷲掴みにしました。
楽譜を全く無視した演奏は、コンクールでは評価対象外となりましたが、審査結果の発表時間をスタッフに案内されたかをりは一言
気にしないでください、そういうの私、興味ないですから
と笑顔で手を振ります。
「トップ以外意味ないのよ、そういう世界なのよ」という母親に認められるため音楽を奏で、その母親が死んだ日から演奏ができなくなった公生は、評価を気にしない演奏家・宮園かをりに惹かれていきます。
片想い相手・宮園かをりの言葉に揺さぶられる公生
作曲家に喧嘩を売るような強烈な個性で『クロイツェル』を演奏した宮園かをりの姿が忘れられなくなった公生。
学校に行ってもぼんやりし、体育の授業ではバスケットボールが顔面に直撃、授業までサボって音楽室の床で寝ていても、彼女の演奏が脳裏に蘇っていました。
今日はどうかしてると、帰路についた道中、心の中をいっぱいに占めていた宮園かをり本人が現れます。
かをりは意中の人・渡とデートしてもらうために待ち伏せしていたと言いますが、その渡が他の女の子と帰る予定だと聞いていた公生は、かをりを傷つけないよう、部活で練習中だから会いに行かない方がいい、とごまかします。
するとかをりは公生をデートの代役に任命し、喫茶店に付き合わせました。
喫茶店にはアップライトピアノがあり、子どもたちが弾いていましたが、かをりは公生に子どもたちと一緒にピアノを弾くよう強要します。公生が昔、神童と謳われる天才ピアニストであったことを知っていたのです。
かをり「ピアノはもう弾かないの?」
公生「やっぱり。君は僕を知っているの」
かをり「同世代で君を知らない演奏家はいないよ。君は私達の憧れだもの。
どうしてやめちゃったの?」公生「ピアノの音が、聴こえないんだ。初めはね、聴こえるんだ。でも…途中から集中する程、その演奏にのめり込む程…」
かをり「甘ったれんなっ!!暗い!!弾けなくても弾け!!手が動かないなら足で弾け!!指が足りないなら鼻も使え!!」
そして公生と出会った日に出たコンクールの二次予選の伴奏者に公生を指名します。
頑なに伴奏することを固辞した公生ですが、かをりの言葉に押されコンクールに出場。
公生は途中から音が聞こえなくなり演奏を中断。二人はコンクールに敗退しますが、聴衆の心にその演奏は刺さり、大きな拍手が起こりました。
しかし演奏後、かをりは舞台で倒れます。
入院した病院先に見舞いに行った公生は、二人きりとなった病室でかをりにこう言われます。
君は忘れられるの?
ピアノは君のほんの一部。
でもあの瞬間、
確かにピアノは、君の全てだった。それを無理やり引きはがそうとしてる。
手足をもぐ様に
だから痛くて、痛くて、仕方ない
苦しくって、苦しくって仕方ないって顔してる君は忘れられるの?
ううん、絶対に無理!!
私達は、あの瞬間のために生きているんだもん!!
この宮園かをりの言葉には、私たち演奏家でない一般人にも共通する“生きがい”の本質が隠れています。
かをりが訴える“生きがい”の大切さと本質
前回の記事でも解説しましたが、公生が“生きる意義”と思っていた「お母さんのためにピアノを弾くこと」は、本当の生きる意義ではありませんでした。
ではピアノは公生にとって何だったのか。
「お母さんのために頑張る息子」である前に、演奏家であったのが有馬公生。
演奏家である公生にとってピアノは、かけがえのない“生きがい”だったのです。
そして宮園かをりにとってもヴァイオリンは生きがいでした。
私たち人間は何かの生きがいなくしては生きられません。
公生たちのような演奏家でなくても、趣味や家庭、仕事など、私たちは何らかの生きがいを持って生きています。
宮園かをりが「私達は、あの瞬間のために生きているんだもん!!」と言うように、日々努力をし何かを成し遂げようとする人間にとって生きがいは無くてはならないものでしょう。
それだけに生きがいに裏切られたときの苦しみは大きく、かをりは生きがいを失い苦しむ公生を
だから痛くて、痛くて、仕方ない
苦しくって、苦しくって仕方ないって顔してる
と表現しています。
忘れられない生きがいを捨てようとしても捨てられない公生の人生は、モノトーンのように色あせていました。
演奏家の生きがいであるピアノを再び心の灯りとできるよう、かをりは公生にピアノを弾かせようとするのです。
かをり自身も“生きがい”に苦しんでいく
しかし同時に、「ピアノは君のほんの一部。」とかをりが言うように、生きがいは、「これをすれば何があっても後悔はない」という本当の“生きる意義”ではないのではないでしょうか。
それは生きがいは、私たちをずっと支えてはくれないからです。
「あの瞬間のために生きている」と言っていたかをりもこの後、病気でヴァイオリンを弾けなくなり、生きがいを失う強い苦しみに対峙していくことになります。
しかし本当の生きる意義を正しく知れば、生きがいもより光を増して輝くのです。
仏教を説かれたお釈迦様はこの“本当の生きる意義”について生涯をかけて明らかにされた、と言われています。
より詳しく学んでみたい方はこちらの解説を読んでみてください。
宮園かをりと出会ってからの公生は苦しみながら、迷いながらも変化を遂げていきます。
その変化とは?
また公生の成長から私たちが学べることは?
次回に続きます。