累計発行部数は400万部。
2012年度にはマンガ大賞ノミネート。
2013年には第37回講談社漫画賞少年部門を受賞をし、9月から実写映画上映中の「四月は君の嘘」。
「ONE PIECE」の作者である尾田栄一郎さんも絶賛した注目作である「君嘘」を考察、仏教哲学の視点から解説しているのがこのシリーズです。
6回目の今回は、いよいよ主人公、有馬公生の「ピアノが聞こえない」という最大のハンデの鍵を握る「母」との関係について考察。
多くの現代人が苦しんでいる問題でもある「母」との向き合い方を仏教の視点から解説していきます。
「何よあの演奏は!!」有馬公生に深いトラウマを残したコンクールでの事件
数々のピアノコンクールで優勝、8歳でオーケストラとモーツァルトの協奏曲を共演し「神童」と言われていた幼き日の公生。
しかし輝かしい功績の数々の裏には、母親の有馬早希による、体罰を伴う厳しいレッスンがありました。
虐待のような厳しいレッスンに公生が耐えていたのは、病気の母親を喜ばせ、元気にしたかったから。
しかし母親が亡くなってから「ピアノの音が聴こえなくなった」公生。
ピアノを弾けなくなった大きな理由に、トラウマとなった母親との事件がありました。
幼い頃のある日、公生は渡に母親について聞かれます。
渡「公生のお母ちゃんの具合どう?体調よくないってウチの母ちゃん言ってたぜ」
公生「今度入院することになったんだ」
渡「えーーなんでーーー」
公生「きっと僕のせいだ」
僕が言われた通り弾けないから
お母さんは怒って身体壊しちゃったんだ
だから僕が1位をとって
お母さんを元気にするんだ
病室に見舞いに行った公生は、コンクールの成績を報告します。
公生「1位だったよ、ハイ賞状」
早希「えらいわね、お母さん元気でるわ、公生の活躍がお母さんの一番のお薬だわ」
公生「僕ね、また1位とるから。お母さんが元気になるなら、1位なんていくらでもとってくるから、だから…」
あるコンクールに、入院していた母親が見に来れるようになります。
公生は「お母さんが元気になってくれるように、喜んでくれるように、最高の演奏を、プレゼントするんだ」と意気込んでコンクールで見事1位を獲得。コンクールの結果発表後、車椅子に乗った母親に駆け寄ります。
次の瞬間、公生は母におもいっきり頬を叩かれていました。
何よあの演奏は!!
譜面をさらえってあれほど言ってるでしょ!!バカ野郎!!
「ごめんなさい」と身構える公生を、母親は杖で叩きのめします。公生のメガネが床に飛び、額からは血が流れます。
周囲の人たちがざわめき、動揺する中、母親はなお公生を叱責し続けました。
公生の脳裏に、母親に叩かれ、杖で殴られながらピアノの練習をした日々が浮かびます…
「そこ弾けるまで寝てはダメ!!」
「何でそんなのも弾けないの!!このグズ!!同じ所間違えて!!」
その瞬間公生に凄まじい思いが吹き上がります。
「僕は、喜んで欲しかっただけなんだ。椿や渡と遊びたくても、叩かれても、ガマンして、ガマンして練習したのに、僕はお母さんに元気になって欲しかっただけなのに、喜んで欲しかっただけなのに、それなのに…
お前なんか
死んじゃえばいいんだ」
それが
母さんと言葉を交わした最後だった
あの時のお母さんの顔を
うまく思い出せない
以来公生は演奏中「自分のピアノの音だけ聴こえなくなる」というピアニストとして致命的なハンデに苦しめられ、ピアノを弾くことを止めてしまいます。
3年後。宮園かをりと出会ってから公生の人生は一変し、再びピアノの全国規模のコンクールに出場。
しかし舞台に上がるとグランドピアノの横には、死んだはずの母親が車椅子に座って笑っていました。
演奏を始めると母親の亡霊が公生の耳元でささやきます。
またお母さんのために1位を取ってくれるんでしょ、公生
そしてピアノの音が聴こえなくなっていきます…
そう、これは罰なのよ、わかるでしょ
かわいいかわいい私の公生
公生がピアノに向かえなくなっていたのは、死してもなお尾を引く母親との関係のねじれが根底にあったのです。
多くの現代人が苦しんでいる「母という病」
私自身も母親との関係で長年悩んできました。
私の母は病弱な娘を守ることが生きがいの、まさに「子供が命」。一人暮らしをしている今も、体を心配し頻繁にご飯を作りに来てくれます。
しかし実家にいたとき、母は時折急に激昂し、暴力的になることがありました。突き飛ばされて頭を打ち、病院に行ったこともありますし、大事にしていた本をビリビリに破かれたり、テレビが飛んできたりしたこともありました。
母は育児ノイローゼから精神疾患にかかっていたことが後に分かります。
母には自殺念慮もあり、小学生の頃、ゴミ捨てに行った母が帰ってこなくて不安で、泣いて探し回ったことも覚えています。
そんな私にとって、不安定な母親との関係がトラウマになっている公生の苦しみは、形こそ違えど、非常に共感できる心でした。
親子関係が深刻な社会問題となる今日、視聴者の方も、公生の苦しみが分かるという方は多いでしょう。
精神科医の岡田尊司さんがベストセラー著作「母という病」で、こういった親子関係の問題について、で取り上げています。
いま親子関係、ことに母親との関係に悩み、苦しんでいる人が増えている。
もっとも堅固なものであるはずの絆が、脆く、不安定になっている。
境界性パーソナリティ障害や摂食障害、うつや不安障害、さまざまな依存症に苦しむ人が急増しているが、それらの障害の根底にも、母親との不安定な愛着が、しばしば関わっている。
多くの人が悩み、深刻な病気のきっかけにもなっているこの社会問題を、岡田尊司さんは「母という病」と命名しました。
母という病を抱えた人は、親という存在にこだわりを持っている。
幼い頃の不足ゆえに親の愛を求め続けるにしろ、重すぎる愛に押しつぶされそうになっているにしろ、親という十字架を引きずり続けている。
(中略)
親に認められない自分をダメな人間だと感じ、知らず知らず自己否定にとらわれてしまうことも多い。
そんな自分を罰するかのように、自分を損なう行為に耽る人もいる。
中には自分を否定してきた親に対して、仕返しや復讐をしようとする人もいる。
その仕返しは、直接親を攻撃し痛めつけることによる場合もあるが、むしろ自分自身をダメにし痛めつけることで、間接的に親に痛みを味わわせようとすることの方が多い。
自分を認めない親を否定し、自分の人生から切り捨てることで、どうにか自分を保とうとする場合もある。
だが、母親と距離をとり、顔を合わせないようにしている場合でさえも、心の安定が守られているわけではない。
体罰を伴う母親のレッスンに耐え、その母親のためにピアノを弾いていたのに認められず、結果的にピアノの音だけが聴こえなくなった公生。
公生の自信のなさや自己肯定感の低さからも、ピアノの天才だった公生が急にピアノを弾けなくなった奥底には、この「母という病」があったと思われます。
仏教には「母という病」を乗り越える道が説かれている
「母という病」は14万部を超えるベストセラーとなっており、親との向き合い方について悩んでいる現代人が多くあることが分かります。
実際この著作では、ジョン・レノンや岡本太郎など著名人にも母という病で長年苦しんだ人が数多くあることが紹介されていました。
「私の親は最低な親だから自分の親じゃない」と親を恨み、否定している方も多々あるかと思います。
しかし「母という病」にも書かれているように、そのように親を恨み否定していては根本的な自己否定感が解消されることがなく、苦しい人生が変わることはありません。
実はこういった親子関係の問題は現代人だけの問題ではなく、昔からもあったことでした。
今から2600年前に書かれた「父母恩重経」という仏典には、親との関係が非常に詳しく説かれています。
そして公生が母との最期の会話から起こったトラウマを克服していくきっかけも、この「父母恩重経」に説かれていることに共通する部分がありました。
公生が母のトラウマを乗り越えた「父母恩重経」の教えとは何でしょうか。
後編に続きます。