「最悪なのに どうして星が こんなにキラキラしてるんだろう」
実写映画化で話題を呼んでいる「四月は君の嘘」の魅力といえば、作者の新川直司さんによる、登場人物たちの細やかな心理描写でしょう。
「あるある」「この気持ち分かるなあ~」と思わず思ってしまう等身大の悩みや思いは、多くの読者を「君嘘」に惹き付けた一因です。
今回はそんな「四月は君の嘘」の登場人物の心理描写を分析。
そこから分かる私たち人間の心の本質についてお伝えしていきます。
嬉しいはずのことが喜べなくなった、椿の心理描写
心の中で思っていることを素直に表現できない所のあるキャラクター、澤部椿。
彼女の心の動きは作中でも特に細かく描かれています。
椿は主人公・有馬公生の幼なじみなのですが、自分でも気付かなかった公生への恋心への自覚が、巧みな描写によって描かれています。
まず、物語の序盤、宮園かをりに公生への思いを聞かれた椿は
私にとって公生はダメダメな弟って感じ。
と言っています。
しかしこの後、椿の身に起こった「嬉しいはずのできごと」に対する椿の心中の描写を見ていくと、椿の心の変化が伝わってきます。
ある日、憧れの斉藤先輩に告白された椿。
野球部の元キャプテン
かっこよくって、頼りがいがあって女子生徒の憧れだった
私もそうだった
結局何も言えず、その恋は、卒業式の雪と共に溶けて終わっ
そういう恋だと思ってた
嬉しい、凄く嬉しい
なのにどうして
心がキラキラしないんだろ
きっと卒業式の頃なら
冬の星座みたいにキラキラしていたのに
女子生徒たちの憧れの的で、絶対に叶わないと思っていた恋が急に成就。その事実は「凄く嬉しい」できごとのはずでした。
しかし椿の率直な心は「キラキラしなかった」のです。
卒業式の日、先輩に「写真撮ってください」と言った日に告白されていたら、きっと冬の星座のように心はキラキラしたはずなのに…
嬉しいはずのできごとを、喜べない自分の心に、椿は戸惑います。
その後、憧れの斉藤先輩と交際をスタートさせてから、椿は認めくない自分の気持ちに気づきます。
それは「宮園かをりに幼なじみの公生を取られるのではないか」という醜い嫉妬でした。
やだよ、やだよ、やだよ
わかってる、こんなこと思う資格なんてないってこと
だけど、やっぱりやだ、やなもんはやだ
いつも一緒、いつもそばにいた
嬉しい時、悲しい時も
でもいつの間にか
遠くにいる
私はそばにいない
中学最後の大事な試合にも集中できなくなり、地区総体で椿は失敗、足も挫いてしまい、チームとしても敗退してしまいます。
最悪だった地区総体の帰り道、椿が見上げた空は…
落ち込んで帰る道中、椿は公生にばったり出会います。
公生はひと目で椿が足を怪我したことに気づいており、手に包帯と氷のうを持っていたのです。
嫌がる椿の足を一瞬で応急処置してみせた公生は、椿をおんぶして帰ってくれました。
椿「公生、恥ずかしい」
公生「誰も見てないよ」
椿「誰にもバレなかったのに」
公生「何年の付き合いだと思ってんだよ、椿のガマンなんかすぐわかる」
椿「かを…ちゃんは?」
公生「帰ったよ、『一人で椿ちゃんのとこに行け』って
大車輪事件の時と同じ
子供の頃とちっとも変らないんだから」
椿「変わったよ」
ーーー心がよく揺れる
気づけば椿は公生の肩にしがみつきながら泣いていました。
変なの
負けて悔しいのに 落ち込んでるのに
足が痛いのに 目が涙でぐしょぐしょなのに
最悪なのに どうして星が こんなにキラキラしてるんだろう
髪から音楽室の匂い
少し荒い息づかいが聞こえる
涙で濡れた肩口が暖かい
私は そばにいる
このまま 時間が止まればいいのに
心の状態によって見える世界はこんなに違う
憧れだった斉藤先輩から告白されたこと、そして中学最後の地区総体で負け足を挫いた帰り道のこと。
同じ通学路で起こった2つの出来事ですが、客観的にみたできごとの良し悪しと、椿の喜びは全く違うものでした。
前者は女子生徒たちの憧れだった先輩に告白されるという、嬉しい、周囲にも自慢できるようなサプライズな出来事。
なのに椿の心は「心がキラキラしない」と、嬉しくて当然なはずの出来事を喜べず、宮園かをりに対する醜い嫉妬心を自覚するきっかけになり、どんどん迷いが深くなり、部活の試合でも支障が出るほどに。
このシーンが描かれた話のタイトルは「曇天模様」。
斉藤先輩と眺めた空は今にも雨が振りそうな空でした。
対して自分の失敗で中学生最後の大会で負け、足も怪我するという最悪の状況で、心の中を占めていた幼なじみにおぶってもらって帰った通学路では
「どうして星がこんなにキラキラしてるんだろう」
「このまま時間が止まればいいのに」
と、失敗や辛い出来事だらけだったのにも関わらず時間が止まってほしいほどの喜びを感じています。
先輩に告白されたときは、嫉妬や迷いでいっぱいで、見上げた空は「曇天模様」。
大会で負けた後、公生におぶってもらって歩んだ帰路は、最悪な一日のはずなのに公生との絆を意識して安心し空は「キラキラして」見えていました。
このように椿の揺れる心をつぶさに描いた表現から、人間は心によって見える世界が全く変わることが分かります。
心の向きや見方で毎日は幸せにもなり、不幸にもなる
椿のように甘酸っぱい恋に悩む10代でなくても、同じものを見ても心の状態によって全く違うように見えるということはよくあります。
私はこれまで学園モノや恋愛モノの漫画には全く興味がなく、アクションシーンの多いアニメや漫画ばかりを見ていました。
しかし「君嘘」にハマってから今まで見向きもしなかった青春系漫画を見ても「読んでみようかな」と目に止まるようになりました。
このような人間の実態は仏教でも説かれており、心の状態によって、人間は見える世界が全く異なる、と教えられています。
何に関心を持つか、どこに注意を向けるかによって、見えるもの、聞こえるもの、身の上に起こる出来事の感じ方が変わってくるのですね。
「君嘘」の第1話でも、椿が
美和が言ってたよ
『彼と出会った瞬間 私の人生が変わったの
見るもの 聞くもの 感じるもの
私の風景 全部が カラフルに色付きはじめたの
世界が
輝きだしたの』
と言っていますが、まさに椿の言う『美和』は、彼との出会いで心が喜びでいっぱいになり、見るもの聞くもの全てをキラキラさせているのでしょう。
“一水四見”という言葉もあります。
一水四見(いっすいしけん)とは、唯識のものの見方。認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例え。
人間にとっての河(=水)は
天人にとっては歩くことができる水晶の床
魚にとっては己の住みか
餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
このたとえからも分かるように、見方や受け止め方一つで見る世界が変わり、幸せにも不幸にもなるのが私たち人間なのです。
私たちは周囲に自分が支えられて生きていることになかなか気づけず
「こんなに苦労しているのに、誰も分かってくれない!」
と思ってイライラしたり、クヨクヨしがちです。
しかしそれは、水が餓鬼にとって炎の燃え上がる膿に見えているようなもので、自分が毎日どれだけの人たちに支えられて生きているか、周囲の人に感謝して生きられるようになれば、その心が毎日を幸せに彩るのではないでしょうか。
「四月は君の嘘」を読んでいて、私も心がけていきたいと思いました。