よく耳にする「情けは人の為ならず」という言葉ですが、結構多くの方が間違って使っています。この言葉は「情けをかけるのは相手の為にならないからやめなさい」ということではないのです。
では、本当の意味はどんなものなのでしょうか。今回は仏教の「因果応報」という言葉との関係から掘り下げていきたいと思います。
情けは人の為ならずの意味とは?
「情けは人の為ならず」の意味とは、「情けをかけることは自分の為になる」という意味です。相手に良くしておけばそれはそのまま自分に返ってくるんですよということがこの言葉の本来の意味です。
本来の意味を強調するために、次のように言われれることもあります。
情けは人の為ならず 巡り巡って己が身のため
言い方がちょっと悪いですが、あなたが相手に良くしておけば、恩を売ることができます。
恩を売られた相手は、その感謝が深ければ深いほど良くしてもらったという事実を忘れることができません。「あの人には良くしてもらったから恩返しをしないと…」と今度はあなたに良くしてくれます。
このようにして、相手によくすることでそれが自分に返ってくるということを表す言葉が「情けは人の為ならず」なのです。
情けは人の為ならずと因果応報の関係とは
「情けは人の為ならず」という言葉は「因果応報」という言葉からより詳しく説明することができます。
例えば、相手に親切をしたとしても、必ずしも相手から返ってこないじゃないか思う人もいると思います。確かに、相手に親切したからといって相手がそのことをずっと覚えているとは限りませんよね。
でも、「情けは巡り巡って返ってくる」というのは本当のことなのです。それを仏教の「因果応報」という言葉から詳しく解説したいと思います。
因果応報の深い意味とは
「因果応報」という言葉をもっと砕いてみると次のように言うことができます。
- 善因善果
- 悪因悪果
- 自因自果
この意味は、良いことをしたら良い結果が返ってくる、悪いことをしたら悪い結果が返ってくる、すべてあなたの行いの結果であるという意味です。
例えば、毎日適度な運動をすれば健康になりますし、毎日不摂生な生活をしていたら不健康になります。誰かが運動をしたからとあなたが健康になるわけではないですし、健康という良い結果を手に入れたかったらそれに見合ったこと=種まきが必要になるのだということです。
仏教では、この「因果応報」ということは絶対に例外がないと教えられています。私たちが経験するあらゆることが因果律に則っているというのです。
でも、先ほど挙げたように「情けは人の為ならず」というけど、全然良い結果が自分に返ってこない場合もありますよね。このケースはどうなるのでしょうか。
因果応報に関する2つの誤解
ここには2つの誤解があります。それは「結果はそのままは返ってこない」というものと「結果はすぐには返ってこない」というものです。
まず、「結果はそのまま返ってこない」というのは、あなたがAさんに親切したからと言って必ずしもAさんがあなたに良いことをしてくれないということです。
あなたに良くしてくれるのは、あなたの親切を見ていたBさんかもしれないし、話を聞きつけたCさんかもしれないのです。
このように、良い結果というものは親切をした相手以外のところから返ってくる場合が多いため、なかなか自覚することが難しいのです。
また、「結果はすぐには返ってこない」ということも重要です。私たちは「良いことをしたら良い結果がすぐにやってくる」と考えがちですが、時間がかかるケースがほとんどです。
あなたが親切をしたAさんは実はそのことをずっと覚えていて、あなたが忘れた頃に何かしてくれているのかもしれません。
時間がたてば私たちは驚くほど多くの物事を忘れてしまいます。実は良いことが返ってきているのだけど、忘れているがゆえに自覚できていないというケースもあるのです。
私たちはどうすればいいのか?
「因果応報」という観点から考えてくると「情けは人の為ならず」という言葉はには例外がありません。
「良い結果なんて返ってこない」と思っていても実は形を変えて帰ってきていたり、時間がたっていることで自覚できていない場合がほとんどであって、きちんとあなたのもとに返ってきているのです。
だとすれば、私たちがやることは1つだけ。どんな相手にも親切にしてあげればいいのです。
そうすれば、あなたのした親切は形を変えて必ずあなたのもとに返ってきます。相手に親切にすることで相手も幸せになり、それが返ってきて自分も幸せになるという良いスパイラルが出来上がっていくのです。
「情けは人の為ならず」ということをよくよく心に留めて、まずは身近な相手を幸せにしてあげましょう。