こんにちは、ポンタです。
9月になり、まだまだ残暑厳しい日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
今回、母親と一緒にレイトショーで鑑賞した『あなた、その川を渡らないで』の内容を仏教の観点から紹介していきます。
あらゆる賞を総ナメ、著名人からの絶賛のコメント多数
この映画は、韓国での動員数480万人、10人に1人が観た奇跡のドキュメンタリーと言われています。
受賞した作品賞は、
- モスクワ国際映画祭 観客賞
- ロサンゼルス映画祭 最優秀ドキュメンタリー 作品賞
- ビジョン・ドゥ・リール 国際映画祭 観客賞
ほかにも、香港アジア、シドニー、ハワイなどの映画賞を合わせ、全部で20ものの賞を受賞しております。
老夫婦の物語にも関わらず、観客全体の約半数が20代の若者が占めています。若者からお年寄りまで、国中が深い共感と静かな感動に包まれました。
そのほか、著名人からも多くの絶賛されるコメントが寄せられています。
その中の一部をご紹介したいと思います。
その他、(共に本作のパンフレットより引用))
今日も綺麗だね、って、愛してるよ、ってもっともっと言おう。
そしていくつになっても手をつないで歩くんだ。
世界一素敵でかわいいおじいちゃんとおばあちゃんのおかげで素敵な目標ができました。
(料理研究家・コウケンテツ)
半人前同士でひとつになる、
そんでひとりひとりでひとつになる、支え合うとはコレや!
昔なら映画にならへん事、今感動と共に気づくんや。
(ジャズシンガー・綾戸 智恵)
などなど、賞賛の声は後を絶ちません。
作品あらすじ~愛情あふれる丁寧な毎日の記録
ここで、あらすじと登場人物を紹介します。
登場するのは小さな村の川のほとりで、仲睦まじく毎日を過ごす結婚76年目の98歳のおじいさんと、89歳のおばあさん。
子供たちは独立し、愛犬2匹と共に暮らしています。
毎日、2人はお揃いの服を着て、手をつないで歩いて行きます。
老人会の遠足、街の病院に、市場に買い物へと…
本当にいつも一緒でとっても仲良しで、春は山菜を採ってナムルを作り、花を摘みお互いに髪に飾る。
夏はポーチで昼下がりにお昼寝、涼風が吹く縁側に腰掛けて談笑する。
秋になれば落ち葉を投げ合って微笑み合い、冬になれば雪合戦。凍りついた手に息を吹きかけて温め合う。
「足が痛い」と膝を見せたおばあさんに、フーフーと息を吹きかけて癒します。
自身の体調を崩した後も、おばあさんの健診に付き添い病院へ向かう。
おばあさんの作った料理についても、
おじいさんは文句を言ったことは一度もないよ。
まずければ残し、おいしければ平らげる。
最後に必ずありがとうを言ってくれるよ。
と答えられていました。
このエピソード通り、おじいさんは徹底しておばあさんに優しい。
常に、おばあさんを大切に気遣われ、思いやりあふれるおじいさんの言動には、私たちにも学ぶ要素が沢山あります。
そんなおじいさんですが、ある日を境に、病に突っ伏します…
私たちを苦しめる「病苦、老苦」について
おじいさんの咳は日に日にひどくなり、夜中も目が覚めてしまいます。
おばあさんはおじいさんのため、灯りを消さずに寝る日々。
病院へ行って薬を処方されても、高齢のため、もはや薬が効かない体にまでなってしまいます。
さらに追い打ちをかけるように、ある日、元気だった愛犬のコマが死んでしまいます。体調を崩していたおじいさんはショックを受け、気力さえ失ってしまいました。
また、こんな場面もありました。
おじいさんが、壁に全身鏡をかけようとした時のこと。
今まで、簡単にかけられたのに…出来ない。目が悪くなり、細かい作業が出来なくなっているのです。結局、自分の子供たちにかけてもらうことに。
おじいさん「今までだったらもっとすぐにかけられたんだ!!」
おばあさん「イライラしないで!!」
おじいさんのイライラはしばらく静まることはありませんでした…
幸せな生活にも、やがては訪れる病の苦しみ。
そんな病の苦しみをはじめ、人生にはさまざまな苦しみがやってきます。仏教ではそれらの人生の苦しみを四つに大別し、四苦といわれています。
四苦と聞くと、「四苦八苦」という言葉が思い浮かびますよね。
今では、非常に苦労したときに「四苦八苦した」と使っていますが、本来の意味は以下にあるように人間のあらゆる苦しみのことです。
四苦八苦は仏教用語で、人間のあらゆる苦しみのことをいう語。
誰もが避けられない四つの苦しみ
いつでもどこでも必ず受けなければならない苦しみである「四苦」。
四苦を詳しくいうと、
- 生苦
- 老苦
- 病苦
- 死苦
の四つです。
生きることそのものに苦しみ(生苦)、1日1日年を重ね(老苦)、高齢になればなるほど身体のあちこちが痛み出してガタが来て(病苦)、そして最後には死んでゆく(死苦)。
どれもみな身体的に苦しいことでもあります。しかしそれと同じくらい、いえ、それ以上に特に精神的にも苦しくなってくるのが、老苦や病苦ではないでしょうか。
先ほどお話ししました、全身鏡をかけようとしたシーンでも、普段は本当に温厚で、おばあさんの毎日出される料理に文句1つ言わないおじいさんが、珍しく声を荒げてました。
「今までだったら・・・!!」と。
私は、このシーンが特に印象に残っています。
普段温厚なおじいさんでさえも、「今まで当たり前に何の苦労もなく出来ていたこと」が「自分でも把握出来ないくらい」猛烈な速さで 思い通りに出来なくなることに対する、自分への苛立ち。
私も20代前半までは当たり前に徹夜で遊んで、飲みに行ったりカラオケに行って、そのままシャワーを浴びて、服だけ着替えて仕事に行くこともありました。
なおかつ、仕事も普通にこなせていました。
ところが20代後半から、徐々に仕事中に眠くて仕事に身が入らなかったり、ぼーっとしてきて、30代となった今では、徹夜で遊んでそのまま仕事に行くなんて考えられないですね。
どんな人も老いる苦しみを逃れることはできません。
おじいさんの容体は、悪くなる一方。咳も止まらない。
「穏やかな生活は長くは続かない」
そう考えるおばあさんは、大好きなおじいさんに確実に迫りゆく「死」を受け止めるべく、おじいさんと手をつないで市場に出かけます。
足取りは心なしか、少し重たいです。
目的は、ずっと忘れたことのない死んだ子供たちのために寝間着を購入するため。
夫婦、どちらかが死んだら、天国で子供たちにその寝間着を渡すためです。
「死んだ子供たち」に「寝間着を渡す」とは、いったいどういうことでしょうか?
次回、物語の核心に迫ります。