5月24日。
記事を更新した今日が「おそ松さん」の六つ子たちの誕生日です。
日本中の女子を釘付けにするニートたち。
その誕生日を祝して、今日は「おそ松さんBIRTHDAY PARTY」が東京で開催されます。
前売り券だけで入場券は完売、多くのファンが六つ子の生誕を祝う一日になりそうですね。
そんな「おそ松さん」の六つ子たちの破天荒な活躍を通して、私たちが学べることを今回も探っていきます。
※5月27日には待望のBlu-ray&DVD「おそ松さん 第五松」も発売。第四松同様、早くも予約が殺到しています。
前回はBlu-ray&DVD限定で収録されている「おそ松さん」の3.5話「童貞なヒーロー」から人間の「妬み」の心について解説してきました。
※前回記事はこちら
[blogcard url=”https://20buddhism.net/osomatsusan-ichigeruge/”]
※これ以降の内容はBlu-ray&DVD限定収録の3.5話「童貞なヒーロー」の内容を含みます。ネタバレご注意ください。
3.5話「童貞なヒーロー」はこんなお話
ある日河原を歩いていたチョロ松の前に「新品ブラザーズ」と名乗る怪しい5人が現れます。
どうやらチョロ松以外の六つ子が、ヒーローの格好をしているらしい「新品ブラザーズ」。
彼らの活動主旨は、他人の幸福を見て「妬み」の心を溜め、上を下に引き摺り下ろすことで小さな快楽を得ることでした。
他人の幸せな姿はなんとなく面白くない。
優秀な人や人気者が失敗したり困っていたりすると、心の中でニヤリとしてしまう。
そんな全ての人が持つ人間の本性「妬み」の心を憚りなく公言し、自分たちより幸せそうな人間に嫌がらせをする…
そんなダーク過ぎるヒーローが新品ブラザーズです。
その新品ブラザーズの四男、新品の一松、そして五男、新品の十四松に悲劇が起こります。
まず新品の十四松は、バーベキューを始めた幸せそうなリア充を見て何故かショック死。
さらに新品の一松が、バーベキュー集団の中で一組の男女が意気投合、仲間の輪から外れ、二人の世界に入っているところを目撃してしまいます。
ラブラブで幸せそうな二人を見た新品の一松は、妬みでガタガタと震え始め
「許せなああああああい!!!!」
と叫び、紫色の不気味で巨大な人面ナメクジに変身してしまいました。
妬みの権化「リア獣イチゲルゲ」に起こった変化
「他人の幸福が許せない」という一松が抱える妬みの心。
その成れの果ての姿であるイチゲルゲは、幸せそうなリア充たちを食い殺そうとしますが、新品ブラザーズたちは一松が大好きな猫を与えることで何とか暴走を止めます。
そして末っ子、新品のトド松は兄の仇を討とうと(リア充たちは特に何もしていないのですが…)一人対岸に向かいました。
ところが、トド松は兄弟たちをあっさり裏切り、リア充たちと楽しくバーベキューを始めます。
新品のカラ松は、裏切ったトド松を殺しに行きますが、しばらくするとトド松と一緒に帰ってきました。
なんと妬みから憎悪を募らせていたリア充たち当人に、バーベキューに誘われたのです。そしてすっかりリア充の仲間入りをしたトド松も、兄たちを誘います。
そしてそのやり取りを聞いていたイチゲルゲに変化が。
トド松「はーやく行こうよぉ~」
イチゲルゲ「マァーッテェ…」
トド松「ん?」
一松「…ボクモイクゥ…!」
トド松「へっ!?ほんとにっ?」
おそ松「おい!なにを言いだすんだバケモノ!!」
一松「バーベキュー、シタイ…!!デアイガ…ホシイ…!!」
チョロ松「今度はなに!……えっ、なにこれ……!?」
イチゲルゲは突然、辺り一面に光を放ちます。
光がおさまると、そこには仁王像のような出で立ちをした一松が浮いていました。
「童貞ゴッド」から学ぶ“妬み”の心との付き合い方
カラ松「あれは!童貞をこじらせきった男がやがて辿り着くという伝説の童貞……!ただ羨ましかっただけなのをついに認めた神!(童貞ゴッド)」
一松は妬んでいた相手からバーベキューに誘われたことをきっかけに、自分の中で渦巻く妬みの心を受け入れます。
すると不気味な巨大ナメクジだった一松が清らかな姿に変身しました。
その名も「童貞ゴッド」。
「童貞ゴッド」と表示されていますが、正式には「ただ羨ましかっただけなのをついに認めた神」と読むようです。
兄弟以外の人間とまともに会話ができず、友達がいない一松。
でも実は寂しがり屋でもある一松は、たくさんの友達に囲まれ、幸せそうにバーベキューをするリア充を見て、妬みの心を爆発させ、不気味なバケモノになってしまいました。
でも妬んでいる相手が今、幸せそうなのは、本人の努力の結果です。
リア充たちは、詳しく描写されてはいませんが、友達を作るため色々な努力をしてきているでしょう。
友達を作るには、自分の要求ばかり通していては相手に嫌われるので、大なり小なり、毎日色々な気遣いをする必要があります。
対してニートで引きこもりの一松は、六つ子の兄弟たちとの人間関係だけに閉じ籠り、他人との接触を避けて生きてきました。
以心伝心の兄弟たちとだけ接触する毎日は、気遣いもいらず傷つくこともなくラクですが、その結果、一松は友達も恋人もできない人間になってしまいました。
さらにイチゲルゲになった一松は、妬みの心で我が身を振り返る知恵が吹き飛び、自分より優れた相手や幸せそうな相手を食い殺そうとします。
しかし幸せそうな人を呪い、あげく抹消しようとしていては、いつまでたっても向上は無く、友達もできず、幸せになれないままなのです。
そんな一松でしたが、リア充たちにバーベキューに誘われたことをきっかけに変化が起こります。
自分がリア充たちに殺意を抱いていたのは、
「僕もあのリア充たちのように、友達がほしい・・・」
「僕もあのリア充たちのように、女の子との出会いがほしい・・・」
と羨ましく思い、憧れていたからだと気づいたのです。
自分の心の中にある憧れから、妬みの心が起こっていたことに気付いた一松は、「ただ羨ましかっただけなのをついに認めた神」となりました。
そしてリア充たちを妬みから殺すのではなく、歩み寄って仲良くする選択をしたのでした。
妬みの原因を見つめることが“幸せへの第一歩”
自分より幸せそうな人、自分より優れた人を見ると、面白くない心が起こってくる、そんな妬みの心は一松に限らず、すべての人間が持っている心です。
そして妬みは「煩悩」のひとつで、仏教では人間は生きている限り煩悩を消すことはできないと教えられています。
でもこのような妬みの心のままに友や同僚を妬み、上司を憎み、周囲の環境を呪っていては、どんどん孤立し一松のように目も死んでしまい、幸せから遠い人生となってしまいますね。
仏教ではそういう妬みの心が自分にあることを知り、見つめていくことが幸せの第一歩だと教えられます。
妬みの心でいっぱいの私たちですが、妬みの心は
「僕もあの人にように人徳のある人になりたい」
「あの人のような気配りのできる大人になりたい」
というような、自分がなりたい姿や願望の裏返しでもあります。
「本当はこんな人になりたいのに、私の今の姿は程遠い」
「あの人は私がなりたい姿になっていて羨ましい、ずるい」
という心が妬みの心の奥にあるのです。
しかし池や川で気持ちよさそうに浮いているカルガモが実は水面下で必死に足を動かして泳いでいるように、幸せそうな人はその現状の裏に、色々な努力をしています。
妬ましい相手を憎むのではなく、その人の努力や日頃の行いに目を向けることができれば、自分も幸せになるにはどういう行動をすればいいのかが分かってきます。
「善いことは真似でもせよ」ということわざもありますね。
幸せそうな人を引きずり下ろすのではなく、本人がどういう努力や心がけをしてきたかを知り、善いことは自分も実践する。そうすれば妬んでいる相手も尊敬できるようになり、良い関係が築けるはずです。
一松も家で引きこもってリア充を妬む毎日から、自分の妬みの心に気付いたことをきっかけに一歩前に進めたのでした。
ただこのストーリーのオチは「次週、仲良くなった女の子はマルチのカリスマ」。
「童貞ゴッド」は妬みの心を見つめ改心しましたが、憧れていた相手の努力の方向が、マルチ商法に向いていたことは見抜けなかったようです(笑)
妬んでいる相手の善い行いを見習うのは向上に繋がりますが、悪いことは真似しないようにしていきたいですね。