2016年ユーキャン新語・流行語大賞に「おそ松さん」がノミネート。
ノミネートナンバーがNo.6と、六つ子を連想させるナンバーでもあり、ニュース番組でもその人気っぷりが紹介されていました。
12月1日に発表される流行語大賞の受賞も期待される「おそ松さん」の六つ子たちから学べる、人間の本質を解説していきます。
今回のテーマは第21話「神松(かみまつ)」です。
ある日、突如現れた7人目の弟である「神松」によって地獄をみることになったおそ松たち。
前編に引き続き、第21話「神松」のラストに出てきた“悪松”の正体を仏教から解説していきます。
※前編はこちら
「善の心」のカタマリ・神松を殺害しようとするおそ松たちに起こった事件
ある日現れた七番目の兄弟・神松。
神松はおそ松たち六つ子が日々の生活の中でこぼれ落としていった、人としての良い部分が少しずつ溜まって出来た存在だと自己紹介します。
神松は、毎日六つ子たち兄や両親に親切や孝行をし、両親からの信頼を一身に受けるようになります。
おそ松たちは反対に両親から蔑まれ、六つ子たちの片想い相手・トト子ちゃんすらも神松に夢中になり、六つ子たちは立場を失っていきました。
部屋で何やら打ち合わせする六つ子たち。長男おそ松の手には巨大なハサミ、末っ子トド松の手には大きな鎌が。
おそ松「いや~だから…神松が…こう部屋に入ってくるだろ?
そこをさぁ…はいィ!こう!!」チョロ松「なるほど!即死だね!!」
トド松「じゃあこれは?こう来たところをね…」
チョロ松「おお!!ミンチミンチ♪」
六つ子たちはなんと、神松を見習うどころか殺害する計画をたてていたのでした。カラ松はガトリングガン、一松はダイナマイト、十四松は釘バットと、かなり殺る気満々。
チョロ松「みんな最高だよォー!!マジで愛してるよォ~兄弟~!!」
おそ松「いやーこんな結末になるとはねえ」
トド松「しょうがないよ、あいつは父さんと母さんを正気に戻した」
鬼か悪魔かといいたくなる会話をする六つ子たちの部屋へやってきた神松。
為す術なしかと思いきや、神松は六つ子たちからこぼれ落ちた「人としての良い部分」を吸収しさらに強くなります。
そんな最強かと思われた神松ですが、ある者により倒されてしまいます。
神松を殺したのは「悪松」でした。
悪松「ハッ!!他愛ない!!人としての良い部分?
いやいや、我々の人としてのクソな部分を舐めてもらっちゃあ困る!
なあ兄弟、己のクソさにもっと自信を持て!
そしてまたいつでもこの『悪松』を呼び出すがいい!!フハハハ!!!」
ポケモンのゲンガーが巨大化したような怪物・悪松が見下ろす地上には、六つ子が意識を失い、白目を剥いて痙攣しながら倒れていました。
そして悪松は6つに分裂し、六つ子たちの中に帰っていきます。
最強と思われた神松を瞬殺した「悪松」。
その正体は何者なのでしょうか。
神松が人間サイズなのに対し、悪松は全長3メートル以上はありそうで、強くて大きな悪松は六つ子の極悪っぷりを表現しているようにも思われます。
「人としての良い部分」を一瞬で潰すほどの「クソな部分」がある、つまり悪の心でできている極悪人が六つ子なのでしょうか?
実は仏教の視点からみていくと、この「悪松」の正体が分かります。
匿名ブログから分かる、六つ子を笑えない人間の本性
前編でもご紹介したように、仏教では私たち人間の行為に3種類あり、「身業」「口業」「意業」と言われます。
三業の1つ目は「身業(しんごう)」で、身体で行う行為、「口業(くごう)」は口で行う行為のことを、「意業(いごう)」とは心で思う行為をいいます。
そして仏教では、口で言うことや体でやることより心で何かを思う「意業」の行いを重くみつめていくのです。
私たちは普段、心の中で思っていることを全て周りの人に伝えてはいません。
それは何故か。答えは至ってシンプルで、思っていることをそのまま全て言ってしまうと、周りの人に嫌われてしまうからです。
裏を返せば、私たちはとても周りの人に言えないようなことを思っているのですね。
六つ子は神松回で、心の中で思っていることを100%全開に出しているため、ファンからもニコニコ動画のタグ等で「松野クソブラザーズ」と称されました。
しかし「クズ」な心を持っているのは本当におそ松たちだけなのでしょうか。
今年8月、はてな匿名ダイアリーで「心の中の悪口について」という記事が反響を呼んでいました。
この記事では、筆者が朝の通勤電車で、人が降りるのに扉付近で頑なに動かない女性に対し「死ねよ」「低脳」などと心の中で酷い悪口を呟いてしまうことを打ち明けます。
そして「皆は心の中で悪口を言わないのだろうか?」と読者に問いを投げかけています。
自分は心の中とネット上でしかそういうことはつぶやかないので、会社では「いい人」「優しい人」扱いされている。でも実際は全然ちがう。
自分がそんなもんだから、周りの優しい人のことも「この人、心の中では俺のこと見下してるのかもなー」と思って見てしまう。
実際のところ、みんな心の中でどれ位悪口をつぶやいているもんなんだろうか。
この記事は300字という非常に短い記事でありながら、はてなブックマークで600件を超えるシェアがあり多くの方が共感していたようです。
たしかに読んでいてなかなかギクリとさせられる記事ですね。
自分自身も振り返ると、心の中で悪口を言わない日はないような気がしてきます。
私の場合、満員電車でよろめいてぶつかってしまった人に、謝ったのに無視されて20秒くらい足をグリグリ踏まれたときには殺意が沸いてしまったことがあります(笑)
仕事が忙しいときは、おそ松たちのような働かずに家でゴロゴロしてたらご飯が出てくる生活がしてみたい!と思ってしまうこともあるでしょう。
しかしこんなことを周囲の人に言ってしまうと印象が悪くなってしまうので、私たちはこういった本音を言いません。
「自分たちがニート生活を満喫するためなら邪魔者は殺す」という六つ子の姿は私たちが普段言えない心の中の悪口の体現かもしれませんね。
普段人に言えない悪口、怠惰な思いや素直な欲望をありのままに表現するのがおそ松たち。
だから私たちは「松野クソブラザーズ」と言いながらも、六つ子たちのあまりにも残酷な素直さに引き込まれるのかもしれません。
悪のカタマリ“悪松”の正体は…
「働かずに家でゴロゴロしていたらご飯が出てくる生活を満喫したい」
この欲望を満たすために悪松殺害計画を考えた六つ子たちですが、こういった欲の心を仏教で「煩悩」といいます。
欲や怒りといった煩悩が人間には108あり、「煩わせ」「悩ませる」という漢字の通り、私たち人間を悩ませる心だと仏教で教えられています。
神松回のおそ松たちでいうと、ニート生活を続けたいという欲の心も、両親やトト子ちゃんの心を奪われ怒り苦しむ心も煩悩。
苦しみのあまり暴走した六つ子たちは悪松を召喚し神松を殺害しました。
「楽をしたい」「想い人を奪っていった相手を消し去りたい」といった誰にでもある煩悩。
それが実体化した悪松の正体は私たち人間の持つ「煩悩」なのではないでしょうか。
神松回から私たちが学べる人生訓
煩悩の権化・悪松で神松を殺した六つ子たち。
一見、ニート生活を邪魔する神松を排除し、安穏とした生活が返ってきたかのようなエンドに見えますが、長い目でみると実は六つ子たちは幸せになるチャンスを逃しています。
クリスマスの日に「来年こそは彼女作る」と意気込んでいたおそ松たち。
しかし自分たちを改心させてくれる縁となったはずの「神松」を殺したことで、結局次の年も念願の彼女ができることもなく、苦しむことになるのでした。
そんなおそ松たちを笑いながら見ている私たちですが、自分の心を見つめてみると煩悩でいっぱいなのが実態ではないでしょうか。
小人閑居して不善をなす
という言葉があります。
故事ことわざ辞典にあるように、「人は暇を持て余すと、とかく悪事には走ってしまう」ということですね。
実際に試験勉強をしようとするとき、時間がまだまだあると思うとついつい漫画手を出したり、Youtube動画をダラダラと見てしまいがちです。それだけ煩悩いっぱいで誘惑に弱く、環境に流されてしまうのが私たちなのです。
反対に、時間が限られる状況では脇目も振らずに集中して勉強できた、という経験がある人も多いでしょう。
おそ松さんでいうと、仮に自分に5人の兄弟がいて、しかも皆ニートだったら、自分もニート生活に抵抗がなくなりますし、神松のような人間が現れたときに排除をしたくなるでしょう。
六つ子の心も、私たちの心も、「楽して良い目をしたい」煩悩でいっぱいなのです。
しかし煩悩のままに邪魔者を排除するだけの人生は不幸しか待っていません。
そんな私たちだからこそ、煩悩に流されて不善をなしそうになったとき、落ち着いて心を見つめなおせる良い縁が必要です。
仏教では、煩悩で苦しむ私たちがどんな縁を求めれば幸せになれるのかも、詳しく教えられています。
六つ子も私たちも幸せになれる人生のヒントを仏教から学んでいきましょう。