【刀ステ感想・ネタバレ注意】悲伝「鵺と呼ばれる」の刀剣破壊セリフ「僕たちはどこに向かっているんだろう」の意味を考察する

【2018/11/9投稿 ※2020/05/03 「戯曲「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」の内容をもとに修正しました】

2018年の夏上演され大きな反響を呼び、Blu-ray・DVDはオリコン週間DVDランキング、Blu-rayランキングでともに初登場1位となった「刀ステ」作品の人気作「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」。

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ストーリーとともにファンの間で話題になったのが、このコラムでご紹介する「鵺と呼ばれる」です。

事前紹介がない隠れキャラクターとして登場した「鵺と呼ばれる」は、ブロマイド化を希望する声が多くあがり、後にブロマイド個人セットが発売されるほど人気キャラクターになっています。

今回は前回記事に引き続き「鵺と呼ばれる」が苦しんだ「自分とは何か」という問いかけから、私たち人間の姿について考えてみたいと思います。

※「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」ストーリー全体についてはこちらのコラムでご紹介しています。

【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近から「悲伝」の本当の意味を考察する(大千秋楽公演ネタバレ有り)

【ネタバレ注意・あらすじ】『悲伝 結いの目の不如帰』の新キャラ「鵺と呼ばれる」とは?

戦いの日々に終わりは見えぬーーー

時間遡行軍による歴史干渉は激化していく。

それに伴い、俺たちの出陣頻度は明らかに増えていった。

……時間遡行軍との戦いの最中、突如現れた正体不明の剣士

……その剣士は、様々な出陣先へと出没した

大人気刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』の舞台化作品として人気を集めてきた「刀ステ」。

「刀ステ」シリーズの言わば第一部集大成として発表された『悲伝 結いの目の不如帰』で、物語の鍵を握るのが「鵺と呼ばれる」です。

前回記事でご紹介したように、「鵺と呼ばれる」は激化していく刀剣男士と時間遡行軍の戦いの中で登場した謎の戦士でした。

※前回記事はこちら

【刀ステ悲伝・考察】「鵺と呼ばれる」から知る「ぼくはだれ?」が分からない私たちの苦しみ

『悲伝 結いの目の不如帰』の舞台となる永禄の変で暗殺される足利義輝は、室町幕府第十三代・征夷大将軍。

歴史改変を目論む時間遡行軍が永禄8年に散る足利義輝の運命を変えようと、永禄の変に介入します。

時間遡行軍の気配を察知した刀剣男士たちが現れ遡行軍を殲滅して去った後。

まだ息のあった足利義輝が愛刀に手を伸ばしたとき抱いた、死ぬわけにはいかないという強い思いが刀たちに宿り、歴史上存在するはずのない「刀剣男士」を生み出します。

「……つよくならなくちゃ……

もっとつよくならなくちゃ…

ぼ、ぼくは…

よしてるさま…

し、しなせない…

義輝が最期に抱いた無念から生まれた「鵺と呼ばれる」は義輝の想いを受け継ぎ、死のさだめを覆そうとします。

時間遡行軍は鵺に目をつけ、歴史改変を阻止する刀剣男士と戦うよう吹き込み、鵺はあらゆる時代に刀剣男士をおびき出して経験を積みます。

しかし鵺は戦闘力は上がっても、刀剣男士のように言葉を話すことができません。

その理由は骨喰藤四郎三日月宗近といった、義輝の元にあった刀剣男士と接触したとき明らかになります。

骨喰「待て?お前は誰だ!?」

鵺と呼ばれる「……ぼくは……だれ……?

骨喰「……?」

鵺と呼ばれる「……わからない……

……ぼくは……だれ……

……おしえて……ほねばみ……」

鵺は自分が生まれた元となる刀剣を定義できないため、自分は何者かを定義することができず苦しんでいたのでした。

苦しみながらも鵺はついに義輝と接触。

刀剣男士たちの本丸を殲滅し、義輝に迫る死の運命を覆してみせると誓います。

そして本丸襲撃の日。

時間遡行軍の奇襲を受けた本丸で刀剣男士たちは審神者を守るべく決死に戦い、修行から帰ったへし切長谷部不動行光も加勢しますが大きな被害を受けます。

最終的に審神者の力で強制的に時間遡行軍は弾き出されましたが、ある目的のために仲間である燭台切光忠を傷つけた三日月宗近も本丸から逃亡。

足利義輝は三日月宗近に邂逅。死の運命を変えてほしいと懇願しますが、三日月は協力の姿勢を見せませんでした。

義輝と三日月のやり取りを見ていた鵺は

「……みかづき……いらない……

ほねばみも、だいはんにゃもいらない……

よしてるさま……ぼくが、まもる……」

と己の決心を義輝に伝えます。

鵺が苦しんでいる理由を知った義輝は、鵺の思いに答えるかのように、ある贈り物をします。

鵺と呼ばれる「……なまえない……

たくさんのかたなでできたから……」

義輝「名もなき刀か……

ならば儂がお前に名を与えてやろう

義輝から「時鳥」という名をもらった鵺の最期。その刀剣破壊のセリフも深い意味が…

自分を表現する名を持たず苦しむ鵺に、義輝は名前を授けることでその苦しみを除こうとしました。

義輝「時の鳥、と書いて時鳥

鵺と呼ばれる「ほととぎす?」

義輝「そうじゃ……お前は時鳥じゃ

義輝「時を越えて、儂を連れて行ってくれ

鵺と呼ばれる「つれていく?」

義輝「ああ、この永禄を超えた、まだ見ぬ歴史の先にじゃ……」

義輝から「時鳥」という名をもらった鵺は他の刀剣男士のように人間の言葉を操れるようになります。

あなたが名を与えてくれたおかげで、俺は俺という刀になった。

だから、俺は貴方のために戦う。

俺はあなたの刀であり、

これは俺という刀の物語だからだ」

義輝の最期の日を超えて、彼が見ることのできなかった時代に連れていく時鳥の太刀として、鵺は刀剣男士と対峙します。

しかし最後は皮肉なことに「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と言われる織田信長の刀だったへし切長谷部・不動行光によって命を絶たれます。

その最期の言葉も非常に深く、多くの観客の心を掴みました。

「果たせなかった願いも……

届かなかった思いも……

この瞑目(めいもく)のときも……

全部が俺の物語だ……

かえりたい……かえりたくない……

僕たちは、どこにいくんだろうな……

よしてるさま…」

前回は「ぼくはだれ」と苦しむ鵺の姿から、自分とは何かが分からない人間の姿についてお伝えました。

時鳥という名を授かり散っていった鵺の「刀剣破壊セリフ」も、実は私たちに大切なことを教えてくれています。

「帰りたい…帰りたくない…」時鳥が残した言葉は、私たちに大切なことを教えてくれている

命尽きる最期の時に鵺が残した

かえりたい……かえりたくない……

僕たちは、どこにいくんだろうな……

という言葉。

このセリフには「ぼくはだれ」が分からない苦しみを、鵺が最期まで抱いていたことが現れています。

前回記事でもご紹介していたように、仏教哲学では私たち人間は自分の本当の姿が分からない存在だと説かれています。

私たちには鵺と違い、生まれたときに親から名前を授かり、どこに生まれた何と呼ばれる存在かは分かっているはずです。

それなのに自分の姿が分からないとはどういうことなのでしょう。

自分が分からないとは、言い換えればどこから来てどこへ行く存在なのかが分からないということだと仏教では教えられます。

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」のタイトルにもある「不如帰」。

作中で義輝は「不如帰」について言及する場面が何度かあります。

義輝「不如帰か……」

鵺と呼ばれる「ほととぎす?」

義輝「死出の山からやってくると言い伝えられる、死の遣いの鳥よ。

帰るに如かず……

その名は、帰りたいとも帰りたくないとも解釈することができる

ならばあの鳥は、死んだ者の魂を一体どこに連れていくというのであろうな

と、死んだ人間はどこへ行くのかという疑問を口にしています。

義輝の言葉にある「死出の山」というのは死んだあとの世界を指す言葉です。

室町時代の仏教書には

死出の山路の末、三途の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ

という一節があります。

私たちはたった一人で、死後の世界に飛び込んでいかねばならないという意味ですが、その「帰る場所」はどんな所なのでしょう。

帰りたい」と思えるような安寧の地に帰ることができるのか。

帰りたくない」と思う恐ろしい場所へ行くことになるのか。

死という未来は確実にいつか訪れるのに、魂がどこへ行くのか分からない。

だから不安に満ちているのが人生だと仏教では教えられます。

私たちは日頃、仕事や金銭的な不安など、日々の生活で頭がいっぱいでこの不安が表面に現れることはありません。

鵺はこの世を去るとき「僕たちはどこに向かっているんだろうな」と言い残しますが、お経には

大命将終悔懼交至(大無量寿経)

という言葉があります。

現代の言葉に直すと、臨終に後悔と恐怖が代わる代わる襲ってくるという意味です。

人間は目の前に「死出の山」が迫ってきてはじめて、この不安を自覚すると言われています。

仏教では己の死という行き先を見つめることを無常観と言われ、生きている今、本当の意味で幸せになるための第一歩が自分の死を見つめる無常観だとお釈迦様は説かれていきました。

私たちはどこから来て、どこに向かっている何者なのか

人生に必要な深い問いを、鵺は私たちに投げかけているように思います。