ブブブ…!ブブブ…!
突然スマホの緊急速報メールが自室に鳴り響き、オンラインミーティング中の私達を煩わせました。
頭に一瞬よぎった「津波かも!」
もはや地震=津波と、頭に擦り込まれている方も多いと思います。
幸い千葉県で震度4の地震に留まり、津波の心配はありませんでした。
2日間に起こった地震の恐怖とコロナのストレスに、今こそ安息が欲しいところです。
周囲の人との会話でも「普通に外出できた生活が幸せだった」と口を揃えて語ります。
今回は辛すぎる毎日が、実は私達に大きな示唆を与えている事を、私ナッチョが東日本大震災での実体験を元に共有していきたいと思います。
海の上では、事実を受け入れることしか出来ない
2011年3月11日
私は全長約100mの油タンカーに乗り山口県と福岡県の間、関門海峡を通過し愛媛県松山市に向かって航行していました。
当日は天気も良く、海面も穏やかだったことを覚えています。
好天の中、突如として地震と津波が発生し、瀬戸内海でも50cmの津波警報が海上保安庁により発令されました。
天候不良でも瀬戸内海では、警報が発令されることは滅多にありません。
違和感を持ちつつも、TVニュースによる津波の映像を見て一変、乗組員一同は青ざめました。
船長は会社に連絡を取り、他の船員は家族に安否を確認。
ただ、安否を取れたからと言って船から出られるわけでありません。
どんなに辛く悲しい出来事でも、私たちが守るべき人に直接働きかけることは出来ないのです。
起こった事実を受け入れ、固唾を呑んで安全航海に徹する。
私たち乗組員に出来るのは、今の業務に徹することだけでした。
【常が無いのがこの世】という事実
震災後、乗船していたタンカーは多忙を極めます。
西日本で灯油・軽油・ガソリン等の精製油、合計5,000KLを積み込み、関東・東北の港を往復して荷物を運びます。
輸送のため、東北の沖はよく航行しました。
漂流物と原発の懸念もあるため、海岸から50海里(約90km)を航行します。
驚いたのは、普段よりも陸から大幅に距離を離して航行していたのにも関わらず、漂流物が多く流れていたことです。
特に千葉県銚子市沖から宮城県石巻市沖にかけて、海面上に木材が散乱し、ひっくり返った漁船やヨット、ぬいぐるみやペットボトルなどが多く流れていたことも覚えています。
私たちは網や家屋が自船のプロペラに巻き付くことを恐れ、注意深く見張りをしていました。
夜になると、通常では視認できるほどの街の明かりや灯台の光すら無く、ただ真っ暗な闇の中、船を走らせていたことも記憶に新しいです。
航行中に悟ったこと
人類が築いた文明も、自然の力に掛かれば一瞬にして飲み込まれてしまう。
常がないのが、この世の中なんだ。
という儚すぎる現実でした。
私は震災で悟った現実を受け入れ、変わり続ける世の中で変わらないものは何なのか?を哲学するようになったのです。
世の中が無常と思えた時、人は学ぶ
毎日のように繰り返される非情な世の中を、仏教では2,600年以上から無常という言葉で説かれています。
中学1年生の頃に平家物語にある「祇園精舎の鐘の声」の中にあった諸行無常という言葉で覚えている方もいると思います。
すべてのものは常がなく、続かないという意味です。
私達、人間は身の回りにある物や環境、家族や友人がいつまでも存在し続けると無意識に捉えがちです。
しかし、いつか物は朽ちますし、人は老いて必ず死にます。
紛れもない私たちの心もそうです。
毎日のように一喜一憂を繰り返し、常がありません。
今回の新型コロナウィルスと地震をきっかけに、「何気ない日常が、実は幸せだった」と話す人もいれば、苦しい状況を打破する方法を模索したり、幸せについて問う人もいます。
仏教では無常を観ずるは菩提心の一なりという言葉があります。
人は無常を感じた時、普遍的な幸せへの第一歩を踏み出すという意味です。
無常な世の中を理解し、どうやったら普遍的な幸せに辿り着けるのか、一緒に哲学していきましょう。
今後も海×仏教の記事を書いていきます。
興味のある方はぜひチェックしておいて下さい。