【刀ステ悲伝・考察】「鵺と呼ばれる」は何故生まれたのか?鵺と義輝のセリフから知る人間の迷い(ネタバレ注意)

鵺と呼ばれる」は刀ステの最新作『悲伝』で登場するオリジナルキャラクター。

物語の重要な鍵を握る人物である「」は、公演の上演期間中から大きな話題を集めてきました。

数ある『刀剣乱舞』のメディアミックス作品の中でも、これまで登場したことのなかった特徴を持つ「鵺」はファンによって盛んに考察がなされ、様々な解釈がTwitter等で広がっています

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筆者は京都劇場で鑑賞したときから鵺たん沼にハマり、鵺見たさにアーカイブ配信、Blu-rayを購入し、毎日鑑賞させて頂いています。

Blu-ray・DVDが発売、オリコン週間DVDランキング、Blu-rayランキングでともに初登場1位となったことでも話題を呼んでいる「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」。

悲伝』の深いストーリーを改めて振り返り「鵺と呼ばれる」を生み出したのは一体何だったのかを考えてみたいと思います。

※「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」ストーリー全体についてはこちらのコラムにてご紹介させて頂いています。

【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近から「悲伝」の本当の意味を考察する(大千秋楽公演ネタバレ有り)

足利義輝の無念が生んだ「刀剣男士」が登場。刀ステ『悲伝 結いの目の不如帰』あらすじ(ネタバレ注意)

舞台『刀剣乱舞』」通称刀ステのシリーズ集大成として今年6月から上演された「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」。

シリーズ全体を通しての伏線を回収していくストーリー構成と衝撃の結末が、多くの観客を驚かせ話題を集めました。

中でも「鵺と呼ばれる」は『悲伝』の冒頭から登場するオリジナルキャラクターで、劇場では「鵺」が出てくる度にオペラグラスを構える方がたくさんおられました。

既存の『刀剣乱舞』ファンにとっても初めて出会う「刀剣男士」が「鵺と呼ばれる」だったのです。

舞台は永禄8年に起こる永禄の変。

室町幕府第13代将軍である足利義輝が襲撃、殺害される政変です。

『刀剣乱舞』の主役である刀剣男士たちの敵・時間遡行軍が永禄の変に出没、足利義輝が永禄の変で死なないよう歴史改変を図っていました。

刀剣男士たちは主(あるじ)である審神者(さにわ)の命を受けて出陣し、時間遡行軍を殲滅していきます。

出陣部隊の中にいた三日月宗近元主・足利義輝と遭遇。

義輝が三日月に斬りかかり刀を交わしたとき

「儂は……幾たび死んだのだ…!」

と義輝は永禄の変での死を繰り返していることに気づきます。

「まだじゃ…まだ…終わらぬ…

儂は…こんなところで……死ぬわけには…

刀…たちよ…」

この義輝が最期に抱いた思いが、収集していた複数の刀に宿り歴史に異変が起こっていきます。

義輝の遺体の背後にある桜の木は血を吸ったように真っ赤に染まり、桜に形が似た赤い花が落ちていきます。

まるで刀剣男士が顕現するように、花が落ちたところから生まれたのが「鵺と呼ばれる」でした。

一切まばたきをせず見開いたままの大きな瞳、角のようなハネがある銀髪、黒い羽にも見える毛皮のようなものが肩にある戦衣装を着た「刀剣男士」です。

「鵺」は、他の刀剣男士にはない独特の話し方や動きも、見る者の目を引きつけます。

鵺が人の身を得て最初に目にしたのは、己の刀と肉体、そして足利義輝の遺体。

目を見開いたまま動かない義輝の身体を抱き起こした鵺は、義輝の「」を理解した途端、悲壮な表情で天が震えるかのような大きな咆哮をあげます。

顕現してすぐは言葉も発さず、吹き上がる強い感情を咆哮に変えているように見える鵺ですが、夢の中で義輝の遺体と対面してから人の言葉を少しずつ発するようになります。

「よしてるさま…

つよくならなくちゃ…

もっとつよくならなくちゃ…

ぼくは…

よしてるさま…

し、しなせない…

目を覚ました鵺の元には黒い影が。

義輝を救おうとする鵺に時間遡行軍が目を付け、味方に引き入れようと近づいていたのです。

時間遡行軍たちの中央には「舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」で刀剣男士たちを苦しめた強敵「黒甲冑」がいました。

黒甲冑「名もなき刀よ

道半ばで果てた義輝の無念が、お前の力となる

その心がお前に宿り、強さとなるのだ」

鵺「ぼくは……つよくない……よしてるさま…しんじゃう…!

黒甲冑「我らの悲願を遂げるためには、刀剣男士たちを排除しなければならない」

鵺「とうけん…だんし…」

黒甲冑「命令は降りた。作戦を決行する。あらゆる時代へと、奴らをおびき出すのだ!」

鵺と義輝を突き動かす「死」の運命を乗り越えたいという願い 二人が陥っている落とし穴から分かること

「よしてる…さま…」

「奇妙じゃ…儂は、お前のことを知っておる…

何度も、会ったことがある」

刀剣男士たちが出陣するあらゆる戦場に出没し、経験を積んでいった鵺はついに足利義輝と接触。

黒甲冑たちも現れ、義輝の心を揺さぶっていきます。

鵺「ぼくは…よしてるさま…おたすけします…

そのためにぼく、たくさんしゅつじんして、つよくなった

れきし…かえる」

義輝「お前は、この先に起こりうる未来を知っておるのか」

黒甲冑「我らは時を遡りし者。

足利義輝、我らが貴方をお救いする。

定められた歴史に抗い、貴方を死から救済してみせよう

義輝「儂は…!

父が将軍の頃から、京を追われては近江に逃れ

京に舞い戻ってはまた近江に逃れる

その屈辱の中に生きてきた

かつては皆がひれ伏した将軍の威光は、もはや傀儡に成り果てていた

だから儂は…将軍の威光を再びこの手に取り戻そうとしたんじゃ!

それなのに…

儂は道半ばで果てるというのか…!

鵺「しなせない!!

よしてるさま…ぼくが…まもる…!!

「鵺と呼ばれる」は義輝が最期に抱いた無念から生まれているので、己の死期を知った義輝もまた、鵺とともに歴史を変えようとしていきます。

一見「悪役」のように見える鵺と義輝ですが、彼らは私たち人間のありのままの姿を教えてくれています。

もし私たちが明日殺されると未来からやってきた者に言われたら、自分の死の定めを変えたいと思うのではないでしょうか。

前作「舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」で、同じく時間遡行軍とともに歴史改変を試みた「弥助」を演じた日南田顕久さんもパンフレットのコメントで

「舞台『刀剣乱舞』表向きは善と悪の戦いの様に見えますが、正義と正義の戦いです

それぞれが、愛する人の為、己の為、歴史の為、現実を受け入れる為、様々な信念が錯綜しています」

とおっしゃっているように、人間なら誰しも抱く心が「刀ステ」には繊細に描かれています。

しかし鵺と足利義輝の目指す未来には、大きな落とし穴があります

彼らの陥った落とし穴を知る鍵になるのは「二条の狂い桜」。

『悲伝』の冒頭で目を引く、劇場の舞台左右上部を華やかに彩る桜です。

「奇っ怪じゃ…桜の季節は過ぎたというに…

ぬしは狂い咲きの桜か…

それとも、儂とともに散るのを待っていたか…?」

死地の足利義輝が「狂い咲きの桜」と呼んだこの桜。

時間軸の乱れで、咲くはずのない季節に咲いていたこの桜は、あることを象徴しているように思われます。

狂い桜は「無常」の象徴 桜と無常観の密接な関係

「日ノ本に生きる者たちは、千年、二千年と後の世まで

こうして桜を愛でることができるじゃろうか

ある目的のために本丸を去った刀剣男士・三日月宗近と邂逅した足利義輝は二条の狂い桜を前にこう言います。

「桜は、我ら日ノ本に生きる者にとって母たる花じゃ」と義輝がこの場面で言っているように、日本人にとって非常に身近な花が桜です。

桜は仏教で説かれる「無常観」の象徴として、日本人の美的感覚の根底に在り続けてきました。

仏教的無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。

単に「花」と言えばサクラのことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。

「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。

「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。

無常「日本人と無常」ーーーWikipedia

『平家物語』の冒頭でもよく知られる「諸行無常」という言葉は、仏教哲学の根本思想です。

諸行とはこの世にあるすべてのもの、無常とは常が無く変わっていくという意味で、この世に変わらないものは一つもないという意味です。

「千年、二千年と後の世までこうして桜を愛でることができるだろうか」という義輝の言葉にも、諸行無常のこの世で未来はどう変わっているだろうかという思いが感じられます。

そして私たちにとって一番避けられない「諸行無常」は自身の死です。

仏教には「生死一如」という言葉もあり、生きとし生けるものすべてにとって死は紙一重だと説かれています。

『悲伝』のパンフレットで足利義輝役の中河内雅貴さんが

儂の生き様、儂の死に様を見てほしい

とコメントされているように、生と死は本来切っても切り離せないものです。

しかし一方で人間は自身の「死」と「生」を切り離して考えてしまう存在だと仏教では説かれています。

これは筆者自身もですが、「死」が必ず自分に訪れるとはどうしても思えないもの。

人間は「常」がどこかに存在すると思わずにいられず、そうせずには一日たりとも生きていられません。

永禄の変で死ぬと知らされた義輝のように、いざ自身の死が迫ると「今死ぬわけにはいかない」「準備ができていない」としか思えないのが私たちなのです。

そして永禄の変をいかに改変したところで、いつかは何らかの形で死が訪れます。

鵺と足利義輝の陥っている落とし穴は、永禄の変の先に永遠の命があるように錯覚しているところにあるのではないでしょうか。

鵺と義輝のセリフから分かる、私たち人間の深い迷い

頭では「諸行無常」がこの世の真実と分かっていても、自分に「無常」という死がやってくるとはどうしても思えない。

「無常」であることを本心から受け入れることはできない私たちの深い迷いを、仏教で「四顛倒といい、人間が持つ4つの誤った考え方だと説かれています。

仏語。真の仏の智慧からみれば誤っている四つの考え。

(デジタル大辞泉)

四顛倒ーーーコトバンク

顛倒」とは逆さまということで、逆立ちして世界を見ているような状態が人間の本当の姿ということ。

その人間が持つ、四つの誤った見方の一つが「です。

この世の真実は諸行無常で、私たちにとって避けられない無常は「死」。

それを忘れ、あたかも「常」という自分の命がいつまでも続くかのような錯覚をしているのがすべての人間の姿なのです。

「よしてるさま しなせない

しなない ぼくたちがまもる」

と義輝に繰り返し言う鵺の姿も、私たちのありのままの心なのではないでしょうか。

義輝と鵺は三日月宗近とこんな会話を交わしています。

義輝「お前は、この儂などよりもずっと長い間、この国を見てきたのであろうな

この儂の最期も見てきたか

儂の脳裏に現れる死の光景は、繰り返される歴史なのか!

鵺「しなない!ぼくたちが…まもる」

義輝「力を貸してくれ三日月宗近よ!

儂は…まだ死ぬわけにはいかん!

それともお前は、儂の最期を見届けに来ただけか?

所詮は…人を殺めるために作られた道具ということか

(中略)

…儂に…歴史通りに死ねと申すか

この身の行く末を知ってさえ尚、歴史のままに果てよと!?

三日月「足利義輝よ!

お主の行く末は、お主だけのもの!

己が思うままに生きるが良い」

ここで一見、歴史改変を認めるような言葉を三日月は義輝に返します。

しかし長い目で見れば「行く末」は100%訪れる「無常」ともいえるので、これは非常に深い意味があるのかもしれません。

「時を超えて、儂を連れていってくれ

この永禄を超えた、まだ見ぬ歴史の先にじゃ」

足利義輝は鵺に「時鳥」(ほととぎす)という名を与え、死の定めを変えてくれる希望を時鳥に託します。

しかし永禄の変で生き延びる未来を作ったとしても、足利義輝は不死身になる訳ではありません。

どれだけ自分の死期を先延ばししても、いつか必ず訪れる「無常」という確実な死の定めを受け入れられない人間の姿が、そこにあります。

人間が捨て去ることのできない、根深い迷いが生み出したのが「鵺と呼ばれる」なのではないでしょうか。

「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」というタイトルにある「不如帰」。

義輝は不如帰について

「人を死出へと誘う冥府の使いよ

死出の山からやってくると言い伝えられる、死の使いの鳥よ

と繰り返し「死」の象徴として語っています。

死という己の無常と向き合っていくことになる義輝と鵺の物語が『悲伝』なのかもしれません。

改変を試みるも変わらなかった永禄の変。己の無常を突きつけられた義輝は…

れきし…ひとのれきし…!

おわらせやしない…!

鵺は大阪冬の陣で三日月宗近と対峙したとき、こんな言葉を口走ります。

かつては地上で繁栄していた恐竜の姿が現在どこにも見当たらないように、いつか人類もいなくなるときが来るでしょう。

ひょっとしたら『刀剣乱舞』の舞台である2205年には、人類の滅びが見えているのかもしれません。

自分たち人類が滅んでいくという無常も、人間には到底受け入れられないこと。

時間遡行軍が必死に歴史を改変しようとしている理由が、もし人類の滅びという無常を「常」にしようとしているなら…

「刀ステ」はまさに人間が信じる「正義」と「正義」の戦いといえるでしょう。

『悲伝』で歴史の定めに抗おうとした足利義輝と鵺は歴史改変を成し遂げることは叶わず、永禄の変での死を迎えることになります。

「先祖よりを続く将軍の威光を取り戻したかった!

この国が…!

どこまでも在り続けることができるよう

安寧の世をこの手で作りたかった!

だが、もはやここまで…

儂の生とは何だったのだ!?

誰もが幸せな安寧の世がどこまでも続くことがないのは、今までの歴史も現代社会を見ていても明らかなこと。

その真実が到底受け入れられない人の心が現れる、何度見ても目から冷却材な場面です。

避けられない死という無常を突きつけられた義輝は「儂の生は何だったのだ」と叫びます。

いつか必ず無常という死が訪れるなら、いま懸命に日々を生きる私たちの生に一体何の意味があるというのか。

この無常を静かに見つめることが「無常観」です。

仏教では「無常観」は人生を意義あるものにするための第一歩だと教えられています。

自分の死後、信長をはじめ様々な武将が天下を取ることを聞いた義輝はこう言います。

古き時代は終わり、新しい時代が始まる

世はそれの繰り返しじゃ…!

二条に咲く狂い桜は

それを儂に教えてくれようとしたのかもしれんな

古き時代とともに、散りゆくために…!」

目前に迫った「無常」を受け入れられず、新たな「刀剣男士」を生み出すほどに強い「常」を信じる心を露わにしたのが『悲伝』の足利義輝。

しかし義輝は最期、自身の無常を受け止め、通常考えられない時期に咲く「無常」の象徴、二条に咲く狂い桜の下で散っていきます。

その美しい情景は、無常を静かに見つめることの大切さを教えてくれているのかもしれません。

※ご紹介している内容は、視聴したアーカイブ配信の内容を筆者が文字化しているため、セリフなど細かい誤りがある可能性があります。書籍版「戯曲」が発売されたら、修正したいと思っています。

 

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    獄上(ごくじょう)

    中学生でBL萌えに目覚めてしまい、腐女子になってはや15年近くの、筋金入りの「腐った」OLです。 三国志大戦、Lord of Vermillionといったカードゲームや音楽ゲームが大好きで、ゲーセンゲーマー歴も気付けば8年。 現在は『刀剣乱舞』のへし切長谷部と日本号、燭台切光忠、歌仙兼定や大倶利伽羅を中心に色んな組み合わせに萌えたり、夢を見たりの沼生活を送っております。 沼全開のTwitterはこちらです→@gokuzyo