『東京タラレバ娘』はヒット作を連発する漫画家・東村アキコ先生による作品です。
最終巻発刊時には累計460万部を超え、今年1月にはドラマ化し、さらに広い層に愛される作品となりました。
『東京タラレバ娘』のストーリー上無くてはならない登場人物・KEY。
物語の鍵を握るKEYの過去が明らかになるストーリーから、今回は人生と「死」の関係について考察します。
「東京タラレバ娘」の名付け親・毒舌イケメンモデルのKEY
KEY。本名・鍵谷春樹は人気モデルで金髪のイケメン芸能人です。
しかし中身は毒舌で辛辣、至るところで主人公・鎌田倫子(と読者の独身女性たち)の心を抉る発言を飛ばす、アラサー女の敵といっても過言ではない男。
「いいかげん、うるさいよ、こないだから。
さっきから聞いてりゃ
女子でもないのに女子会だの
現れてもいねえのにいい男と結婚だの・・・
いい歳して『痩せたら』だの、『好きになれれば』だの
何の根拠もないタラレバ話でよくそんなに盛りあがれるもんだよな・・・
オレに言わせりゃあんたらのソレは女子会じゃなくて
ただの・・・行き遅れ女の井戸端会議だろ
そうやって一生、女同士で、タラレバつまみに酒飲んでろよ!
このタラレバ女!!」
第一話で読者を震撼させたこの発言を皮切りに
「酔って転んで男に抱えて貰うのは25歳までだろ、30代は自分で立ち上がれ」
「もう女の子じゃないんだよ?おたくら」
といった凄まじい発言の数々は、女子会中毒の独身女の心を木っ端みじんにせんばかりのパワーワードだらけです。
たしかに主人公・倫子とその友人たちは居酒屋で騒ぎすぎとはいえ、ちょっとアラサーに辛辣すぎるイケメン・KEY。
読んでいて自分がそう言われているような気がして呆然としてしまったのは筆者だけではないでしょう(笑)
全世界の独身アラサー女子の殺意を集めるような発言ばかりのKEYですが、実はその言葉の裏には、若くして目の当たりにした大切な人の別れがありました。
「それで死ぬわけでもなし」「人間いつ死んでもおかしくない」辛辣な発言の裏にあるKEYの人生観
倫子は居酒屋で罵倒されるだけでなく、仕事でもKEYに自身が書いた脚本をなじられ、その後ドラマの脚本という大きな仕事を失ってしまいます。
心の拠り所である女子会の邪魔をされるだけでなく、仕事生命も脅かされる倫子。
その後、倫子から枕営業で仕事を奪った女が入院し、再び仕事のチャンスが舞い込みます。
しかしKEYは病院の屋上で倫子と会話し
「あんたらの歳だとチャンスがピンチなんだよ」
と倫子をさらに追い詰める発言を飛ばします。
精神的に弱っている倫子に追い打ちをかけるようなKEYに思わず倫子が
「……なんなの?あんた、何が楽しいの?大人をからかって傷つけて楽しい?」
と返したところ…
「……傷つけよ、そんなこと大したことじゃないだろ、それで死ぬわけでもなし」
ドキュメンタリー映画の撮影で対談しているときのKEYにも、何やら深い背景がありそうな発言が見られます。
「…KEY、おまえってさ、他の役者と目が違っててさ、何かさ、おまえは死にながら生きてるっていうか
そういう目してんだよな」
「……だって、人間いつ死んでもおかしくないじゃないですか
だから僕はあてのない未来に身を委ねているヤツらに腹が立つんですよ」
「人間いつ死んでもおかしくない」から、あてのない未来を想像して「ああだっ『たら』…」「こうなれ『れば』」と騒いでいるアラサーに腹が立つ。
その事実を突きつけてアラサーたちが傷つくのは構わない。
「それで死ぬわけでもなし」、そんな苦しみは「死」に比べたら大したことがないから。
KEYの凄まじい爆弾発言の裏には「いつ死んでもおかしくない」という人生の実態を直視しようとしない女たちへの怒りがあったのでした。
人間はいつか死ぬ、若くして突きつけられた真実が鍵谷春樹をKEYに変えた
「妻は僕の…
僕の主治医でした」
死にながら生きている役者と言われるKEY。
鍵谷春樹をそんな役者にしたのは、初恋の人であり妻の沢田曜子でした。
2人の出会いはKEYが10歳のときです。
「鍵谷君!!
今日から私達は相棒よ!
2人でタッグを組んで病気をやっつけるの!!
私も頑張るからキミも頑張って!!
一緒に病気やっつけよう!!」
赤ちゃんの頃から慢性腎炎で入院を繰り返していた鍵谷春樹は、新米の医者だった沢田曜子の初めての患者でした。
その後病気を克服し、18歳になった春樹。
しかしその頃、30を過ぎた曜子に進行性のがんが見つかり余命いくばくもないことが分かります。
「あーあ、せっかく頑張って田舎から東京に出てきたのに
まさか独身のまま死んじゃうとはね!
もっとこの東京で楽しいことしたかったなー
医者なんてやってると恋愛するヒマないんだもん
でも鍵谷君が元気になってくれたから良しとしようかな
子供の頃からずっと病気で大変な思いしてた鍵谷君が
こんな立派な、かっこいい男の子になってくれて
それだけでも私の人生花マルだよね」
「…何だよ、それ…先生らしくないよ…今度は先生が病気やっつける番だろ!?」
「医者だから分かるのよ、あとは残された時間をどう過ごすか…
私ね、お医者さんの他にもうひとつ夢があったんだよ」
「…何?」
「ふふっ、お嫁さん!」
「えっ」
「あ!あきれてる!あたしだって結婚して幸せになりたいの!
可愛いウエディングドレス着て…ハワイで結婚式あげたかったなー」
「先生!俺あと少しで18だよ
俺と結婚しようよ
俺、子供の頃からずっと
先生と初めて会った日からずっと
ずっと先生のこと好きだった
先生の夢は俺が叶える
結婚して、俺が先生を
幸せにする」
夢を叶えてあげるため「先生」と結婚した春樹。
しかしまだ子供だった春樹は先生の死を受け止められずにボロボロになって学校もやめてしまいます。
そんな春樹を見ていられなかった先生の姉は、芸能事務所をやっていた自身の立場を利用して、春樹に無理やりモデルの仕事をさせたのでした。
先生が亡くなったのは33歳のとき。
倫子と同じ歳でした。
そして先生は倫子とそっくりな見た目と雰囲気だったのです。
先生が余命いくばくもないことを鍵谷に告げ、鍵谷がプロポーズをした中央病院の屋上。
そこにKEYが再び訪れたのは、仕事で挫折していた倫子と話をしたときでした。
KEYが屋上で倫子に言った
「……傷つけよ、そんなこと大したことじゃないだろ、それで死ぬわけでもなし」
という言葉が、非常に重い意味を持つことが分かります。
人間いつ死んでもおかしくない。
そして死という避けられない苦しみに比べたら、生きている間の苦しみなんてちっぽけなもの。
若くして最愛の人を亡くしたKEYは、「結婚できない」というこの世の苦しみについて愚痴ってばかりの倫子たちを見て、憤らずにおれなかったのではないでしょうか。
KEYが『タラレバ女』と言った本当の理由が明らかになる
倫子と一度訪れた中央病院の屋上で、ドキュメンタリー映画の撮影をすることになったKEY。
先生が亡くなった日についてインタビューを受けることについて、口では大丈夫と言っていましたが、仕事当日に急に失踪します。
KEYは浴びるように酒を飲み、以前倫子の仕事ぶりを見に行った北伊豆の浜辺で泥酔して倒れていました。
北伊豆で一緒に仕事をした人からKEYの居場所を電話で聞かされた倫子は、友人たちにKEYの過去を聞かされ、引きずられるように北伊豆へ。
そこでKEYから驚きの真意を聞かされます。
「私、似てる?
似てるから許せなかったんだよね」
「……違う、それは違う、ただオレは……
あんたに教えてあげたかった
人間は、いつか死んでしまうんだってことを
愚痴っているヒマなんてないってことを
今日という日がどれだけ大事かってことを」
初恋の人にして妻である先生が33歳で死んだ。
KEYにとって、33歳の倫子たちが居酒屋で毎日のように飲んだくれて愚痴っている姿は、「人間いつ死んでもおかしくないのにそんなヒマなんてない」としか思えない光景でした。
人はいつか死んでしまう。
早ければ、それは今日かもしれない。
そんな人間の本当の姿から見れば、人生もっと大事なことがあるはずだ。
「もっと生きていたかった」と思いながら33歳でこの世を去った大切な人を想うと、倫子たちに「今日という日がどれだけ大事か」を伝えずにおれなかった。
「人間は、いつか死んでしまう」
「愚痴っているヒマなんてない」
「今日という日がどれだけ大事か」
人間の100%確実な未来である死、つまり無常を見つめる心を、仏教で「無常観」と言われます。
不器用故にその気持ちは歪んだ形で表現されていましたが、KEYの毒舌発言の根底には、自身が痛烈に苦しんだ妻の死で知らされた「無常観」があったのです。
そして大切な、今生きている「今日」に何をすれば悔いがないかも、仏教に教えられています。
一見毒舌キャラに見えるKEYですが、自身の苦しむ姿を通して大切なことを私たちに教えようとしてくれているのかもしれません。