「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
鶴丸国永はゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士。
『刀剣乱舞』は2015年に運営開始した刀剣育成シミュレーションゲームです。
女性を中心に爆発的人気となり、ファンの呼称「刀剣女子」は2015年の新語・流行語大賞にノミネートされるほど社会現象となりました。
ブーム冷めやらぬ内に昨年アニメ化された『刀剣乱舞 花丸』は早くも来年1月に2期が放送決定。
今年7月から放送されるufotableによる『活撃 刀剣乱舞』は、大ヒット作『Fate/zero』アニメ版を生み出したスタッフが製作を担うことも決まっており、多くのアニメファンの期待を集めています。
儚い外見とギャップのある性格が人気!「驚きじいさん」の異名を持つ鶴丸国永
物に眠る想いや心を目覚めさせ力を引き出す能力を持つ主人公「審神者」により刀剣から生み出された存在「刀剣男士」。
この「刀剣男士」たちが歴史を修正しようとする敵と戦う物語が『刀剣乱舞』です。
どの刀剣男士も、モチーフとなった名刀にふさわしい麗しい姿や魅力的なキャラクター性を持ち、多くのファンがいます。
今回ご紹介する「鶴丸国永」はその中でも特に人気の刀剣男士。
各地で行われた非公式人気投票では何度も1位を獲得しており、ゲームリリース直後から現在まで高い人気を維持している刀剣男士の一人(一振)です。
外見は鶴をイメージさせる白一色の着物に白いフードの付いた羽織、銀髪に金色の瞳、色白で線が細く儚げな表情が印象的な美青年。
しかし何といっても鶴丸国永の特徴は、外見イメージから想像のできない個性的な性格でしょう。
「今日はどんな驚きが待ち受けているかな?」
「はっはは!それじゃあ、驚いてもらおうか」
「あぁ。驚きの結果を君にもたらそう」
儚げな外見とは裏腹に、ゲーム中のセリフの約4割に「驚き」というワードを含み、日々誰かを驚かせることを楽しみにし自身も驚く出来事を求める、おちゃめで飄々とした性格。
外見とは反対に、男前な話し方をするところに魅了されるファンも多いようです。
刀として生まれたのが平安時代ということもあり「驚きじいさん」「サプライズじいさん」という愛称もあるほど、プレイヤーを「驚かせる」刀剣男士。
主人公である審神者を驚かせていると思われる
「わっ!…あっはははは!驚いたか?ああ、いやいや、すまんすまん」
というセリフもあってか、二次創作では落とし穴を掘って誰かを落とそうとするキャラクターが定着しています。
今月開催された刀剣乱舞のイベント「秘宝の里」にも落とし穴がありますが、筆者は自軍の第一部隊にいる鶴丸が掘っているのではないかと思ってしまいますね(笑)
昨年10月から放送された『刀剣乱舞 花丸』ではスコップを持っている姿や落とし穴に落ちるシーンもオープニングで描かれていました。
高い人気もあって鶴丸国永が「驚き」に強くこだわる理由については多くのファンの方々が考察されています。
筆者も既に一振目はカンスト、二振目もカンストに近づいている、隠れ(?)鶴丸クラスタです。
今回は鶴丸推し審神者として、鶴丸の謎を仏教哲学の視点から切り込んでみたいと思います。
鶴丸が「驚き」にこだわる本当の理由は…
「人生には驚きが必要なのさ。予想し得る出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく」
鶴丸国永を近侍にすると聞ける日常会話の一つが、このセリフ。
人生に「驚き」は無くてはならない要素で、無くなってしまえば心からヒトは死んでしまうのだと鶴丸は言います。
外見は10~20代にしかみえませんが、中身は平安生まれなので妙に説得力のある言葉ですね。
考えてみれば、鶴丸だけでなく私たちも日々驚きを求めて生きています。
日本人の多くが期待する一大イベント、2020年の東京オリンピックだって「驚き」の一つ。
テレビやネットで森友問題や加計学園グループ問題、政界スキャンダルなどを頻繁に取り上げているのは、もちろん報道の使命もありますが、あっと「驚く」ニュースが注目されるというのも事実でしょう。
政治やニュースだけでなく、「これ欲しいな!」とトキめくファッションも、「めっちゃ良かった!」と感動する『君の名は』『逃げ恥』だって心を踊らせる「驚き」の一つ。
筆者ならコミケや『閃華の刻』で頒布される新刊の同人誌も、萌え~!という名の「驚き」です。
人によって性質は違えど、私たちはみんな大なり小なり何かの「驚き」を求めて毎日生きているのではないでしょうか。
春はお花見で、どんなキレイな写真をインスタグラムにアップしようかな?とわくわく。
夏は夜空を染める花火、秋は紅葉、冬はクリスマスのイルミネーション…
スマホゲームの「次はどんなイベントが待ち受けているかな」といった「驚き」から、結婚・出産のビッグニュースまで、全ての驚きが無くなったら私たちはどうなるでしょうか。
鶴丸じいさんの言う「心が先に死んでいく」にはうなずける部分があります。
「驚き」が無くなると見えてくる人間の本質を鶴丸国永は見抜いている
筆者が10歳前後の頃、東京ディズニーランドの「ミレニアムカウントダウンパレード2000」を家族と見に行ったときこんなことがありました。
旅行の何日も前から楽しみにしていたパレード。
グランドフィナーレで花火が打ち上がり感動を味わった帰り道、形容し難いイヤな感情が湧き上がってきたのです。
私は母に「なんか、つまらない」と言いました。
当然ですが「せっかく連れてきたのに何てこと言うの!」と怒られたのを今でも覚えています(笑)
それが「むなしい」という感情だと分かったのはずっとずっと後のことでした。
小学校を上がると高校受験、大学受験、就活戦争…と忙しいイベント続きで「むなしさ」を感じることは無くなっていきましたが、今でもイベントの帰り道等、“ふとぽっかりと心に穴が空いたような”虚しさを感じることがあります。
友達と連れ立って見に行った花火大会の帰り道、学園祭の打ち上げの後、オフ会の帰りに乗る新幹線…
ふと我に返るように「なにか、むなしい」と思ったことはないでしょうか。
人生に何か空虚感を持つ。
このこと自体は何も病気ではなくて、心の深層部分に誰もが持っている闇だと仏教では説かれています。
1000年以上生きた鶴丸国永は、人間の本質を知ってしまったのかもしれない
「鶴丸国永だ。平安時代に打たれてから、主を転々としながら今まで生きてきた。
ま、それだけ人気があったってことだなあ。
……ただなあ、俺欲しさに、墓を暴いたり、神社から取り出したりは感心できないよなあ……」
鶴丸国永をゲットすると聞ける「はじめまして」の挨拶台詞には、1000年以上の歳月の中、鶴丸が様々な主の下で過ごし、人間の最後の行き場所である墓にまでいた経歴が語られています。
様々な人間の生き様を見て死に様を見送り、その末路の墓でも暮らした鶴丸は、人生が本当はむなしさに満ちていると気付いてしまったのかもしれません。
社会人から一番人生で楽しい時といわれるのは大学時代ですが、そんな大学生からよく聞かれるのは
「なんか面白いことないかなあ」
という空虚感に満ちた言葉。
鶴丸国永を近侍にし、10分間ゲームを操作せずにいると聞ける放置音声
「やれやれ、退屈で死んでしまいそうだぜ」
という言葉にも、大学生たちが抱えるむなしさが表れているようですね。
仏教では人間の心の深層には闇があると教えられますが、普段はその暗い部分に気づくことはありません。
会社であくせく働き、休みの日は好きなことに打ち込み、友達と会ったり、恋人を作ったり…仕事や趣味、ライフイベントの充実といった楽しみという名の「驚き」で覆ってしまえば、気づくことがない心の本質なのです。
むなしさを忘れさせてくれる「驚き」を求めて人間は文明を発展させてきました。
そんな人間たちを1000年見てきた鶴丸は、「驚き」がなければ人生は死んでいるのと同じくらい虚しいものだと知ったのかもしれません。
鶴丸が生まれた平安時代よりさらに1600年も昔、仏教を説かれたお釈迦さまはこの心の闇を徹底的に見つめ、「驚き」がなくても幸せに生きられる幸福のあることを生涯説いていかれました。
鶴丸国永が「驚き」を求めずにはいられない、私たちの心の奥底に横たわるむなしさとは何でしょう。
そしてその闇を無くす方法とは…
次回に続きます。