「活撃 刀剣乱舞」が今年7月から放送決定しました。
「刀剣乱舞 花丸」に続き、ufotableによるアニメ化が決定し、更に注目を集めているゲーム作品「刀剣乱舞-ONLINE-」。
「活撃 刀剣乱舞」では、アニメ「Fate/Zero」で作画監督を勤めた白井俊行さんが初監督、「魔法使いの夜」「Fate/stay night [Unlimited Blade Works]」などの曲を手がけてきた深澤秀行さんが音楽を担当されることでも注目を集めています。
今年、最も目が離せない作品「刀剣乱舞」。
多くの女性たちを魅了する「刀剣男士」の魅力は容姿だけではありません。
前回は中でも人気の加州清光にスポットを当て、ファンたちが共感する加州清光の「愛欲」について解説しました。
「愛されたいキャラ」で「愛されキャラ」となった加州清光
加州清光といえば、「愛されキャラ」ならぬ「愛されたいキャラ」。
自分の主人である審神者(プレイヤー)に重宝されたい清光は、可愛くしていれば重宝してもらえると信じて疑いません。
主に愛されるため、可愛さを磨くことを怠らない清光の姿が多くの審神者を魅了し、“世界一かわいい“刀剣男士として人気を得ています。
そんな加州清光のもう一つの際立った特徴といえば「女子高生キャラ」でしょう。
原作ゲームでも装備をつけてあげると
「よーし、デコっちゃってぇ!」
「ちょっとは、可愛くなったかな!」
「いーじゃん、いーじゃん!」
と、はしゃぐ姿はまさにキャピキャピした女子高生のよう。
アニメ版「刀剣乱舞 花丸」でも海水浴に行くときには、完全UVカット装備に高級そうな日焼け止めを持参する様子が描かれていました。
本物の女子も負ける清光の女子力ですが、彼が「女子高生」と言われるのは外面的なところだけではなく、女性が共感しやすい苦しみを持っているからです。
女性が共感しやすい苦しみとは何でしょうか。
「刀剣乱舞 花丸」5話で描かれた清光が陥りやすい思考回路と苦しみ
清光が陥りやすい思考回路を分かりやすく描いたのが、「刀剣乱舞 花丸」第5話の「優しいは、強い」です。
加州清光が活躍する“とある本丸”に現れた刀剣・三日月宗近。
原作ゲームでも高いスペックを誇り、レアリティも最高級の刀剣男士です。
加州清光「うちの主、三日月宗近が早く来ないか、ずっと心待ちにしてたんだ。
今頃きっと喜んでるだろうな」
大和守安定「それは良かったね」
清光「…ったく、単純だなお前は。
三日月が来たら、俺たち可愛がってもらえなくなるかもよ」
美しさと強さを兼ね備えた名刀、三日月宗近が顕現したことにより「自分は可愛がってもらえなくるかも」と不安に覆われる清光。
さらに三日月宗近は来たばかりにもかかわらず隊長に任命され、清光はますますイライラし、戦場でも周囲の状況を見誤って仲間の五虎退を負傷させてしまいます。
本気を出した三日月宗近は周囲の敵を一掃し、窮地を脱却させたのでした。
戦のあと本丸の屋根の上で、清光は同室の仲間・大和守安定に弱音を吐いていました。
加州清光「…主の出陣の狙いは、これだったのかな…自分の腕を過信してた。
どうして敵の存在を全て把握できなかったんだ」
大和守安定「仕方ないよ」
加州清光「五虎退を守れなかった。それに、三日月まであんな傷を負って…これが今の俺の実力。
主はそれを俺に言いたかったんだ。
あ~あ、嫌われちゃったかな」
三日月宗近への嫉妬によって冷静な戦況判断ができなかった自分のことを主は嫌いになってしまったかもしれないと、清光はどん底に沈んでしまったのでした。
清光が苦しんだ不安が苦しみを呼ぶ“負のスパイラル”
しかし清光は本当に主からの信用や寵愛を失ったのでしょうか。
実際は主から清光へお叱りがあった訳でもなければ、本丸から追い出された訳でもありません。
何の根拠もないのに、清光は三日月宗近が現れたことで自分は主から重宝されなくなると思い込みました。そのことで三日月を妬み、嫉妬心から戦況を正確に把握できず仲間を負傷させ、その失敗で必要以上にさらに落ち込み、主に嫌われてしまったのではないかと思っているのです。
このような、苦しみがどんどん深まっていく思考の過程を仏教で「惑業苦(わくごうく)」といいます。
惑業苦【わくごうく】
仏教で煩悩(ぼんのう)の原因である貪(とん)・瞋(しん)・痴の三惑と,その惑のゆえに生じる業(ごう)と,その業の報いとしての苦をいう。
人間は惑・業・苦によって輪廻(りんね)の環の中で生生流転(るてん)すると説く。
「惑」とは惑いのことで、イライラして乱れたり、迷ったりしている心の状態のことです。
「業」とは悪い行いのこと。心が乱れたり迷ったりしているときは、どうしても悪い行いや失敗をしてしまいます。そしてその悪い行いや失敗によって生み出された苦しみを「苦」といいます。
最初は小さな惑いだったはずが、その惑いによって失敗すると、大きな苦しみが生じてしまいます。
そしてその惑いが原因となってさらに悪い方向へ事態が動いてしまう…。まるで車輪が回っているように、惑→業→苦を繰り返して、どんどん苦しみの輪が大きくなることを”惑業苦”というのですね。
こういったことは、清光だけでなく、私たちにもよくあることでしょう。
「挨拶しても返ってこなかったけど、もしかしてあの人に嫌われているんじゃ?」と思い始めると、疑心暗鬼になってしまいます。
「最近あまり会ってもらえないけれど、ひょっとしたら彼に飽きられてしまったのではないか」というような不安から、彼氏のLINEをチェックしたくなる女子も世の中には多いでしょう。
そんなちょっとした不安から、職場にいる周囲の人や大切なパートナーに対しピリピリしてしまい、その結果仕事で失敗したり、さらにその人との関係がこじれてしまう。
「どうしてこんな取り返しのつかないことになってしまったのだろう?」と冷静に状況を整理すると、実はちょっとした自分の不安や苛立ちが苦悩を生んでいた、ということはよくあります。
死ぬまでなくならない、愛欲が生む清光のスパイラル※死亡台詞ネタバレ注意
前回記事でもご紹介したように、清光の「愛されたい心」は煩悩の一つであり、煩悩は死ぬまで消えないと仏教で教えられています。
刀剣男士たちは刀ですが、人間の肉体を得たという設定なので、ゲームによくある「死んだら戦闘終了後に蘇生してもらえる」ということが刀剣男士たちにはありません。戦で死ねば二度と生き返ることはないのです。
審神者にとって最も辛いのが、愛する刀剣男士との死別。
加州清光も、不幸にして命を落とすことがあります。
そのとき主に最期に残す言葉は、
俺、最期まで愛されてた…?
清光の愛されたい心も、その心が生む惑業苦も、彼が死ぬまで無くならないのです。
私たちも同じ。愛されたいという煩悩は死ぬまで消えず、それにより起こる惑業苦も生きている限り私たちに付きまといます。
どうすれば“惑業苦”の苦しみの輪を止まるのか
惑業苦はなくすことのできないものですが、起こってしまったときにはどうすればいいのでしょう。
「刀剣乱舞 花丸」にはそのヒントが隠れています。
主に嫌われたと思い込み、落ち込んでいた清光のところに、三日月宗近が現れます。
加州清光「これが今の俺の実力。主はそれを俺に言いたかったんだ。あ~あ、嫌われちゃったかな」
三日月宗近「それは違うぞ」
大和守安定「三日月さん、手入(治療のこと)終わったんですね」
三日月宗近「うん、世話されてきた。隣、いいか?」
屋根に上がってきた三日月宗近から、清光は意外なことを聞かされます。
三日月宗近「先ほど主のもとへ戦績報告に行ってきた。そこで、今回の出陣におれが選ばれた理由を聞いてきた。
それはな、おれに加州の戦いを見て欲しかったからだそうだ」
清光「えっ…」
三日月「主は加州の戦い方が最も勇猛で頼りになると褒めていたぞ。愛されているな」
実際には清光は愛されていないどころか、最も頼りになると主に信頼され、愛されていたのです。
しかし惑業苦に陥っていた清光は、主に愛されなくなるかもという不安に苦しんで仕事で失敗し、さらに思い込みを激しくしていたのでした。
そこへ現れた三日月宗近は清光の心の状態を見抜き、惑業苦を断ち切ったのです。
私たちも人生でも、清光のように落ち込んでいるとき、ちょっとした出会いが大きな人生の転機になったということがあるでしょう。
人間の心はとても移ろいやすいので、どんな人と縁を持つかが、とても大事になってきます。
清光にとって三日月宗近という縁は、負のスパイラルを断ち切ってくれる縁だったといえますね。
惑業苦を断ち切られ、三日月宗近の優しさに触れた清光は心の底から満面の笑みを浮かべ、物語のラストを締めくくっていました。
渋い表情ばかりしていたこの話の清光も一瞬で愛らしい笑顔に様変わりするほど、縁という存在は大きいもの。
ちょっとした不安から悪い方向に考え込んでしまったときこそ、良い縁に近づくことが大切だと仏教では教えられています。
不安になることや悩んでしまうことは誰にでもありますが、その苦しみを誰に相談するかで大きく人生は変わるのです。
私たちも三日月宗近のような、仲間を励まし幸せにしてあげたいと思ってくれるような人に近づき、相談するようにしたいですね。