【2018/10/12更新しました】
「刀ステ」の愛称で親しまれる「舞台『刀剣乱舞』」は刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』を原作とする演劇作品シリーズです。
自由度の高い世界観設定から様々なメディアミックス展開で成功し、広いファン層に支持されているのも「刀剣乱舞」の特徴ですね。
2016年5月にスタートした「刀ステ」は今年、集大成「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」が上演され、大きな反響を呼びました。
来年公開予定の『映画刀剣乱舞』には「刀ステ」で刀剣男士を演じた俳優さんが5名、同役で出演されることが決定。
映画化を機に「刀ステ」に関心を持たれる方も増えてきました。
「刀ステ」といえば高いレベルの殺陣などアクション面が評価を受けてきましたが、深いストーリーも大きな魅力の一つです。
今回ご紹介する『外伝 此の夜らの小田原』は新小田原城への来場者100万人達成記念として行われた「刀ステ」シリーズ初の野外公演。
演出・脚本の末満健一さんもご自身のTwitterで
日付変わって本日5月23日、舞台『刀剣乱舞』外伝 此の夜らの小田原、BD&DVDの発売日。「外伝」という冠、1ステージのみの上演、野外公演、70分という尺、ですが、本公演となんら変わらぬ意気込みで作りました。魂を込めました。何卒よろしくお願いいたします! pic.twitter.com/Br5WC9tqX0
— 末満健一 (@suemitsu) May 22, 2018
と自信を見せておられる作品で、筆者はBlu-rayで鑑賞したのですが100公演くらい上演して頂きたかったくらい見ごたえのあるステージでした。
Blu-rayも発売前からAmazonの演劇部門でベストセラー1位を獲得しています。
俳優さんの鮮やかな殺陣や深い演技を際立たせる、小田原城を使った大胆なプロジェクションマッピングによる演出。
そして小田原の地にピッタリな南ゆにさんの神秘的な音楽。
(サントラの発売を心から願っております)
さらに虚伝と義伝、そしてジョ伝へとリンクする物語が展開され、「刀ステ」シリーズ全体で重要な役割を果たす山姥切国広、へし切長谷部、そして小夜左文字の内面に迫る物語が描かれていきます。
人間の本質を考えさせられる、深い心理描写も「外伝」の魅力です。
“小田原城の麓で出会う、或る一夜の出来事”が教えてくれる深い哲学を考察します。
※「戯曲 舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」を購入させて頂いたので、セリフ等を「戯曲」の「舞台『刀剣乱舞』外伝 此の夜らの小田原」部分から引用させて頂き、加筆修正しました。
【ネタバレ注意・あらすじ】舞台「外伝 此の夜らの小田原」で描かれるのは、山姥切たちの「惑い」
一夜一夜を折り重ね
一重二重と歴史を綾(あや)なす
小田原の空の下
今宵
一夜(ひとよ)の物語を
始めよう
『外伝 此の夜らの小田原』はタイトル通り、小田原城で起こる歴史事件、小田原征伐の開戦前の或る夜が舞台です。
山姥の舞を披露する北条氏直と、それを見守る足利長尾氏当主・長尾顕長の場面から、物語は幕を開けます。
長尾顕長は刀ステシリーズの主人公・山姥切国広が生まれたきっかけとなった歴史人物です。
堀川派の祖として名を残す刀工・堀川国広に、長義作の刀・山姥切長義の写し(山姥切国広)を打つよう命じたのが顕長でした。
堀川国広の一番弟子・藤原在吉は稀代の名工と呼ばれる自分の師に写しの作刀を命じたことに不満を感じ、顕長にその理由を問いただしにきます。
納得のいかない様子の在吉が去ったあと、顕長の背後に忍び寄る黒い影がありました。
それは「時間遡行軍」。
過去に遡り歴史を改変しようとする「歴史修正主義者」の命によって、様々な時代に現れる集団です。
歴史修正主義者による歴史改変を阻止するため、時の政府によって「審神者(さにわ)」という能力者が過去へ飛び、時間遡行軍と戦っていました。
審神者の持つ、物に宿る心を励起する特殊能力によって人の形を与えられた付喪神「刀剣男士」が『刀剣乱舞』の主役です。
「……鈴の音?
……なんじゃお前たちは?」
刀剣男士たちが来る前に小田原城に現れた時間遡行軍は、顕長に襲いかかります。
悲鳴とともに姿を消した顕長がいた場所には、「山姥」がいました。
「人のたどりし昔日よ……
時のうつろう陽炎よ……
なんぞや……
歴史とはなんぞや……
歴史とは、十重二十重となる惑いの重なり……
ならば
此の夜らの小田原に、惑いの鈴を響かせよう……」
時間遡行軍が顕長に取り憑いた「山姥」が口にするこの言葉。
その意味は物語のクライマックスで明らかになっていきます。
刀剣男士の山姥切国広、へし切長谷部、小夜左文字の三振りは永禄年間の調査任務に向かいますが、たどり着いたのは小田原征伐発生前の小田原でした。
小田原は山姥切たちにとって因縁の場所。
本丸ができて間もない頃、山姥切が任務で失敗し一度近侍を解任された、苦い思い出のある地でした。
山姥切「あの時、第一部隊の隊長であった俺は部隊を危険にさらした。
ここは俺にとって、敗北の地だ」
長谷部「そうやっていつまでも悔やんでいては、主命を果たすことなどできんぞ」
山姥切「長谷部に言われたくはない」
長谷部「ん?どういうことだ?」
山姥切「長谷部も、織田信長のことをいつまでも引きずっている」
長谷部「馬鹿を言うな。信長などどうでもいい」
山姥切「まだ信長に下げ渡されたことを根に持っているのか」
長谷部「根に持ってなどいない」
言葉の端々からにじみ出るのは、山姥切国広とへし切長谷部の心の「惑い」です。
根に持っていないと言いつつ、600年以上前に死んだ信長への愛憎という惑いに苦しみ続けている長谷部。
そして再び近侍に任命されながら「写しの刀」であることに強いコンプレックスを持ち続ける山姥切の惑い。
刀剣男士たちがヒトの身を得た故に苦しんでいたのは「惑い」でした。
「山姥」は心にいる?長谷部と小夜のセリフから分かる「山姥」の本当の意味
山犬の群れに襲われる一人の男を助けた山姥切国広たち。
その男は長尾顕長の命により、山姥切国広を打った刀工の弟子・藤原在吉でした。
「写しは所詮、写しにすぎぬ」
自分の生みの親である堀川国広の一番弟子が露わにした「写し」への侮蔑を聞き、山姥切はすっかり落ち込んでしまいます。
逃げるように小田原を一刻も早く離れようとする山姥切。
長谷部は山姥切に「自分がこの任務で主から誉(ほまれ)を貰ったら近侍を変われ」という賭けを仕掛け、小田原に留まろうとします。
山姥切のコンプレックスを乗り越えられるのは山姥切自身しかいない。
そう思った長谷部は、自分たちがこの地に時間遡行してしまった理由を探るため山姥切に賭けをふっかけたフリをし、小夜と二人で調査しようとしたのです。
写しである山姥切国広の本科「山姥切長義」は人の世を騒がす山姥を斬ったという伝説から霊刀と呼ばれていました。
調査中、長谷部は小夜に「山姥切」の由来である山姥について
「本当にそんな化け物がいると思うか?」
と問いかけます。
山姥はただの伝説上の化け物なのか、それとも本当に「山姥切」は山姥を斬った刀なのか。
その問いかけに、小夜が返した答えは意外なものでした。
小夜「それを言うなら僕たちも刀の化け物です」
長谷部「俺たちは、化け物などではない」
小夜「どうでしょうか。
少なくとも、
僕の心は復讐に取り憑かれた化け物のように思えてなりません
物である僕たちは、
人の想念から生まれた化け物なのかもしれません
長谷部さんは、どうして近侍になりたいんですか?
……どうして、ですか?」
長谷部「……ふん、誰が言うものか」
小夜「……やっぱり化け物だ」
長谷部「……ふ。主命を果たすためだったら、化け物にだってなるさ」
「山姥」と聞くと、おとぎ話の化け物のように私たちは思います。
しかし小夜左文字曰く、化け物がいるのは自分たちの心。
己の心を見つめた二人のやり取りは、筆者の大好きなシーンです。
他愛ない会話のように見えるこのやり取りですが、実はこの後の展開に繋がる深い意味が隠れています。
一方「山姥」は、足利氏直を城の外におびき出していました。
顕長の姿で現れた「山姥」は、歴史の通り籠城するのではなく、討って出るのが得策だと氏直に進言。
父・北条氏政の決めたことに逆らう訳にはいかないと氏直が返すと顕長は「山姥」の姿に変化します。
「さあ、小田原を血で染めるのじゃ」
籠城すれば北条氏は滅び、父親は切腹することになると「山姥」に脅された氏直は狼狽。
氏直「儂が秀吉を……」
山姥「さあ、惑え……惑うのじゃ……」
山姥の言葉で歴史とは違う道を歩みそうになった氏直を、冒頭に出てきた藤原在吉が助けにきます。
さらに刀剣男士たちも加勢。
山姥切国広は在吉の
「俺の刀は、斬る刀ではなく斬らぬ刀だ。
いつかこの世から戦がなくなり、抜かれることがない日を願う刀だ。
(中略)
せめて、斬ることはいつか
斬らぬための願いであってほしいんだ!」
という言葉を受け、己が在吉の刀となることで刀に対する在吉の願いを守ろうとします。
しかし「山姥」が持つ錫杖の鈴は人の惑いを増幅する力がありました。
人の心を持った山姥切たち刀剣男士も、惑いの心が吹き出して戦闘不能になっていきます。
山姥「惑いの鈴の音よ……さあ、お前たちはどんな惑いを見せるか……」
長谷部「あの男は、
命名までしておきながら、
直臣でもない奴に俺を下げ渡した。
だから俺は……」
小夜「もはや復讐が果たされているのに、僕は復讐を求めてしまう……
胸の奥に焼き付いた、この黒い澱みは、いつになったら……」
山姥切「どうせ写しには、すぐに興味が無くなるんだろう。
わかってる……」
長谷部に「本当に山姥なんて化け物がいると思うか」と聞かれたとき、小夜は自分の心が化け物だと答えていました。
人間を苦しめる「山姥」は怪談話に出てくる化け物ではなく、自身の心にいる。
小夜の言葉通り、惑いの心が刀剣男士を苦しめます。
「生きることは、惑うこと」実は深い「山姥」のセリフ
「そうじゃ、生きるとは惑うことじゃ。
それは悲しき哉、
いくら乗り越えようとも
決して抜け出すことのできぬ
終わりなき地獄よ」
ヒトの心を得たがゆえに「惑い」に苦しむことになった刀剣男士たち。
その苦しみを見抜いた山姥の言葉には、実は深い哲学が隠れています。
人間の生は「惑い」だという考え方は、仏教に説かれる人間観が根底にあります。
大晦日にお馴染みの「除夜の鐘」を打つ回数で知られるように、お釈迦様は人間には108の煩悩があると説かれました。
煩悩は漢字の意味の通り、人間を煩わせ悩ませるもの。
煩悩は人間の心に「惑い」を生み、惑いによって人間はさらに自分を苦しめるような悪を作ると仏教では説かれています。
山姥は惑いが生む更なる苦しみのことを「終わりなき地獄」と表現しますが、仏教用語では「惑業苦」といいます。
仏教で煩悩(ぼんのう)の原因である貪(とん)・瞋(しん)・痴の三惑と,その惑のゆえに生じる業(ごう)と,その業の報いとしての苦をいう。
貪(とん)・瞋(しん)・痴の三惑とは、仏教用語で「貪欲(とんよく)」と呼ばれる欲の心、「瞋恚(しんに)」と呼ばれる怒りの心、「愚痴(ぐち)」と呼ばれる妬みや恨みの心のことです。
山姥切や長谷部は「主に愛されたい」という欲が「写しの自分にはすぐに興味が無くなるのではないか」「織田信長のように主もまた俺を捨てるんじゃないか」といった惑いとなって更なる苦しみを生み出します。
同じく小夜は元の主から受け継いだ「復讐」という恨みの心が吹き出し、苦しんでいました。
「山姥」はどこか別の世界からやってくる妖怪ではなく、煩悩が生み出す「惑業苦」の象徴なのではないでしょうか。
時間遡行軍が長尾顕長に取り憑いて山姥となったとき、山姥は
歴史とは、十重二十重となる惑いの重なり
と言いますが「歴史」とは人の営みが積み重ねてきた文明の軌跡。
人間は惑う存在だから「惑いの重なり」が歴史なのです。
氏直は父・北条氏政の籠城作戦について
「……儂は、惑っておった。お前に言われるまでもなく。」
と後に打ち明けます。
小田原征伐でも、氏直の死後に起こる関ヶ原の戦いでも、常に惑い苦しんできたのが人間なのです。
山姥切国広が「山姥」を斬ったときに気づいたのは人間の「惑い」の本質
戦えなくなった山姥切たちの元に現れたのは本丸の仲間たちでした。
救援部隊として加勢した山伏国広、骨喰藤四郎、同田貫正国、博多藤四郎、日本号、ソハヤノツルキが山姥に挑みます。
しかし山姥は手強く、また本体が長尾顕長なので刀剣男士は全力で戦うことができず苦戦を強いられます。
負傷した仲間たちに襲いかかる山姥の攻撃を止めたのは山姥切国広でした。
山姥切「生きるとは惑うこと……お前はそう言ったな?」
山姥「そうじゃ……その惑いから決して逃れられぬ……
地獄よのお」
山姥切「……ならば、俺は
その地獄で惑い続けるしかない!」
山姥切は自身に聞かせるように言いながら、山姥の動きにスキを作ります。
仲間たちの力を借り、山姥切は依代である山姥の面(おもて)だけを破壊して顕長を時間遡行軍から解放したのでした。
除夜の鐘を何年聞いても私たちの欲や怒りの心が消えないように、人間から煩悩を消し去ることはできません。
煩悩が無くならない以上「惑業苦」という惑いが生む苦しみからも、離れることができないのが人間です。
山姥切はそんな人間の姿を知らされたかのように「ならば俺は その地獄で惑い続けるしかない!」と言い切り、山姥を斬ります。
惑いを断ち切ろうとするのではなく、ありのまま正しく自分の姿を見つめる大切さが仏教では教えられます。
「外伝」の後の物語である「義伝」では小夜の復讐という恨みの心が、大きなテーマの一つに。
恨みという煩悩から惑業苦で苦しむ小夜を変えることになるのは、山姥切国広の言葉です。
是非「義伝 暁の独眼竜」で味わって頂きたいと思います。
※こちらの記事で「義伝 暁の独眼竜」から小夜の心を考察しています。