【2019/10/18投稿 ※2019/11/08更新・追記しています】
葵咲本紀と書いて「きしょうほんぎ」。
ミュージカル『刀剣乱舞』、通称「刀ミュ」シリーズで最多の公演数となる最新作が「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~葵咲本紀~」です。
筆者は「ミュージカル『刀剣乱舞』 〜三百年の子守唄〜」をBlu-rayで鑑賞、その後ありがたいことにお誘い頂いて「三百年の子守唄2019」を京都劇場で鑑賞し、すっかり刀ミュ沼の底に。
ファンクラブ先行で今回「葵咲本紀」9月18日の兵庫公演を鑑賞させて頂きました。
「葵咲本紀」は登場人物でもある鶴丸国永のセリフを借りて言うなら
「驚かせて貰ったぜ…」
というのが第一の感想です。
冒頭から驚きの場面、まさかの展開の連続。
まさに刀ミュを創り上げるキャストさんやスタッフさんの皆様によって届けられた壮大な「驚き」というプレゼントでした。
今回は刀ミュ初登場の刀剣男士・御手杵と永見貞愛との数奇な出会いを通して、「葵咲本紀」が教えてくれる深いメッセージを考察したいと思います。
※「葵咲本紀」は予想外のストーリー展開が大きな魅力の一つです。未鑑賞の方は是非、ご鑑賞後にお読みください。
【あらすじ】「三百年の子守唄」と対になる「葵咲本紀」徳川家康とその息子たちをめぐる新たな物語
※本コラムは「葵咲本紀」9月18日の兵庫公演と大千秋楽公演(配信)を鑑賞させて頂いた筆者が内容をご紹介しています。あらすじ紹介が誤っている可能性もありますが戯曲が発行されたら修正予定です。
【この後、大きなネタバレを含む内容になりますので、ご注意ください!】
「葵咲本紀」は、なんと徳川家康の長子・松平信康が家康によって切腹させられる場面から始まります。
歴史上の出来事として語られることが多い「妻である築山殿と長男の信康を死に追いやった家康」そのものな場面。
筆者を含め「三百年の子守唄(みほとせ)」とは違う世界線の物語かと思った方も多かったと思います。
しかし実はこの場面は徳川家康の次男・結城秀康が見た夢でした。
物語の舞台は、なんと「みほとせ」の真っ只中。
「みほとせ」で描かれなかった松平信康の死後が明らかになる展開となっています。
歴史上の人物だけでなく、本丸でも「夢」を見ていた者がいました。
「葵咲本紀」で初めて姿を見せた本丸の仲間・御手杵は、炎に包まれるような夢を度々見ていたのです。
御手杵が見る夢の正体は「葵咲本紀」の物語が展開していくとともに明らかになっていきます。
御手杵の元主で、「みほとせ」で刀剣男士たちがその生涯を見届けた徳川家康の次男である結城秀康。
本丸に顕現したばかりの刀剣男士・篭手切江と御手杵は結城秀康についてこう話しています。
篭手切江「二度天下を逃した」
御手杵「ああ、俺のかつての主・結城秀康様は…天下を二度逃してるからな」
結城秀康は家康の次男に生まれながら、天下人の後継者になる機会を幾度も逃した、薄幸の武将として知られています。
養子に出されたまま父である家康に3歳まで会うことが叶わなかった秀康を、不憫に思った松平信康が執り成す場面も「葵咲本紀」では描かれています。
信康「父上、於義丸に言葉をかけて下され
……父上!
於義丸は父上の子であり、信康の弟でございます!」
家康「於義丸……儂がお前の父じゃ……この顔、よく覚えておけ」
初めて会う父に冷たい態度をとられ、落ち込む秀康をあたたかく包み込んでくれた優しい兄が信康でした。
「泣くな、於義丸。きっと父上には、何かお考えがあるのじゃ。
よいか於義丸……悲しい気持ちになったら、この兄を思い出せ!
儂はいつ如何なる時も、お前の味方じゃ!」
優しい兄はなぜ、切腹させられることになったのか。
晴れぬ疑問は家康への不信に変わっていきました。
そんな秀康に目をつけた時間遡行軍により、秀康が持っていた刀剣(篭手切江は「先輩」と呼んでいます)は歴史を改変しようとする存在に変貌。
その刀剣に取り憑かれた秀康も時間遡行軍の手に堕ち、刀剣男士たちの前に立ちはだかります。
物語が「みほとせ」と繋がっていく。家康への思いに苦しむ千子村正。そして御手杵と永見貞愛の出会い
「みほとせ」では岡崎城が時間遡行軍に襲撃され、松平家は後に徳川家康となる竹千代君を残し全滅します。
刀剣男士たちは徳川家の家臣と成り代わり、竹千代君を徳川家康へ育て上げ、その長子・松平信康も立派に育てあげました。
しかし信康はともに成長してきた吾兵の戦死がきっかけで刀を握れなくなり、家康との絶縁を懇願。
許されなかった信康は死を決意します。
それは歴史上、信康が切腹した日とされる天正七年九月十五日でした。
「…半蔵…頼みがある。…わしを斬ってくれ。
…父上の跡を継ぐのは…わしではない方がいいのじゃ…」
服部半蔵に成り代わっていた石切丸は、我が子同然の信康を殺すことができず、歴史の異物を排除しようとする謎の存在検非違使を呼び寄せてしまいます。
信康は検非違使から石切丸を庇って斬られ、歴史から姿を消します。
実は信康は一命をとりとめ、その後「吾兵」として生きるのですが、それを知る刀剣男士は「葵咲本紀」の時代には残っていませんでした。
「葵咲本紀」では、井伊直政に扮する千子村正と本多忠勝に扮する蜻蛉切が家康の徳川四天王を演じ続けていました。
実は千子村正は「みほとせ」で育て上げた松平信康に、強い思い入れを持っていたことが明らかになります。
「蜻蛉切、ワタシはあの男が嫌いデス
…信康さんの一件以来、ハッキリと…嫌いデス」
信康が吾兵として生きていることを知らない村正は、信康を死に追いやった家康への嫌悪感を、はっきり口にするようになっていました。
村正と蜻蛉切が残された時代では、時間遡行軍と秀康との戦いに加え、検非違使との戦いも勃発。
援軍として鶴丸国永、御手杵、篭手切江、明石国行が駆けつけました。
しかし2つの敵勢力との戦いは刀剣男士たちを不利に陥らせ、村正は信康の死に囚われた心を制御できなくなり重傷を負ってしまいます。
混戦の中、刀剣男士たちは二手に分かれ、それぞれ驚きの出会いを果たすことに。
結城秀康を前に槍を持つ手が止まってしまい、自身の不甲斐なさに落ち込んでいた御手杵。
そこになんと、秀康と同じ顔をした神主が現れたのです。
神主は結城秀康の双子の弟・永見貞愛でした。
筆者はキャスト陣の情報を一切入れずに観劇したので、最初は秀康役の俳優さんが一人二役をされているのかと思いました。
後で兄弟が揃う場面で、初めて双子の役者さんが演じられていることが分かり驚愕したのを覚えています。
実際の双子である兄の二葉 勇さん、弟の二葉 要さんは、現代に蘇った秀康・貞愛のようなリアルさで、天下人の下に生まれた双子の宿命を鮮やかに表現されています。
信康の傍にあったはずの御手杵は、元主の弟である貞愛を見たことがなく驚きを隠せません。
御手杵が貞愛を知らなかった理由は、貞愛自身が明らかにします。
永見貞愛「あんたらが知ってる、この国の歴史上の人物で
双子がいたことがあるかぁ?
双子なんてのはな、本来そんなに珍しいもんじゃねぇ
それなのに!この国には双子の歴史がねえ!
つまりは…そういうことなんだよ…」
篭手切江「どういうこと?」
明石国行「消されとるんや…歴史から」
双子で生まれたために、歴史から消された天下人の息子が永見貞愛だったのです。
永見貞愛は刀ミュのオリジナルキャラクターではなく、実在していたとされる人物です。
「葵咲本紀」で描かれていたように、秀康が冷遇されたのも双子だったからという説があります。
明石国行が説明していますが、双子は忌み嫌われてきた歴史があり、一度の出産で複数赤子が生まれることを「畜生腹」と言う、差別的な言い方もありました。
また権力者にとっても、双子は後継者争いの元とされる存在でした。
家康は秀康の双子の弟・貞愛を、生まれなかったことにして神主の家に送り込み、歴史から抹消していたのです。
一方、御手杵は東京大空襲で消失し、存在しない槍となっていました。
神主とは思えないほど口の悪い貞愛に、最初挑発的な態度を見せていた御手杵。
しかし歴史から意図的に消された天下人の息子と、焼けて歴史から消えた名槍という共通項が、二人に絆を生んでいきます。
永見貞愛が語る、双子が背負ってきた宿命。「歴史から消された」家康の息子に御手杵が贈った言葉
「今更俺が死んだところで、後世の歴史には何も影響がねえ」
歴史から消された自分はたとえ命を奪われたとしても後世に影響はないと、貞愛は御手杵に伝えます。
飄々とした言い方ですが、それはあまりにも残酷な現実でした。
実際、史実で伝わっている永見貞愛は、家康の実子でありながら経歴は歴史にほとんど残っておらず、31歳という若さでこの世を去っています。
家康に近い血縁にありながら、歴史モノの作品で彼にスポットが当たることはほとんど無く、ここまで貞愛の姿に迫った作品は「葵咲本紀」がおそらく初めてでしょう。
同じく歴史から消えた自身を重ねるように、御手杵は貞愛の存在意義を深く考えるようになります。
永見貞愛「俺がこの世に存在したことは、確かだからな」
御手杵「すべての人に!…………忘れられてもか?」
貞愛「なんでそんなこと聞くんだよ」
御手杵「……何となく……」
貞愛「だったらお前が覚えてろ!……俺もお前のこと…覚えててやっから!」
たとえ後世の人が覚えていないような存在でも、生きていた意味はある。
そんな御手杵と貞愛の心の叫びが伝わってくる会話です。
劇中歌も互いの存在意義を信じようとする二人の想いが溢れていて、涙無しでは聴けませんでした。
”いることが意味もたらすなら
たとえ消されても
たとえ焼けても
変わらない”
しかし思えば私たちも、後世生きていたことを覚えてくれている人は一体どれだけあるでしょう。
社会の一員として生きていた人が、ある日突然この世を去っても、しばらくすれば以前と変わらず動くのがこの世界です。
徳川家康や織田信長といった歴史上で大きな功績を残した人以外、多くの人は忘れ去られていきます。
この地球が無くなる日には、家康さえ人々の記憶には残らないでしょう。
いつかは、この世のすべてから忘れられてしまう存在が人間。
広い目で見ると「俺が死んでも歴史は変わらない」といえる私たちは、果たしてこの世に存在する意味はあるのでしょうか。
御手杵が貞愛の現実を知って自分を重ねたように、私たち自身の存在意義も貞愛の言葉は問いかけているように思います。
「葵咲本紀」の冒頭、家康が出陣する場面で「厭離穢土欣求浄土」という旗が掲げられている場面があります。
「厭離穢土欣求浄土」は仏教由来の言葉なのですが、その仏教を説かれたお釈迦様は
人身受け難し、今已に受く
という言葉を残しています。
人間に生まれることは大変難しく、生まれがたい人の身に生まれた喜びを伝えられている言葉です。
たとえ歴史に名の残らないような平凡な一生であったとしても、人間として生まれたことには大きな意味があると仏教では説かれています。
お釈迦様は人間に生まれなければ果たすことのできない目的があると教えられ、その目的を生涯かけて説かれていきました。
秀康は兄を死に追いやった家康への恨みから、時間遡行軍の手に堕ちてしまいます。
しかし秀康より更に冷遇されたといってもいい貞愛は、実は家康を恨んでいませんでした。
「俺が不幸に見えるか?冗談じゃねえや!
上から見下ろしてりゃ不幸に見えるかもしれねえけどな
こっから見上げてみりゃ
そっちの方がよっぽど窮屈に見えるぜ!何が天下だ!
俺はな!父上を恨んだりしねえ!むしろ興味がねえ、あるとすりゃ…
殺さずに生かしてくれたことへの…ちょいとした感謝くれえだ」
「葵咲本紀」が教えてくれるのは、歴史の教科書に載っていない徳川家康の人生観
昔の日本では生まれた直後の子供を「間引き」として殺すことが、庶民の間でも行われていました。
迷信や後継者争いの元とされた双子の片方が、生まれて早々命を絶たれていたことも多々あったでしょう。
また歴史に伝わっている家康は非常に慎重な性格で、司馬遼太郎氏の名作『覇王の家』にはこのような場面があります。
「家康とはどういう男だ」
と、信玄はきいた。
信玄は、二十歳以上も歳下の家康については、あまり知識がない。
原加賀守昌俊は、
「臆病なれども依怙地(いこじ)な男」
というようになった。
(司馬遼太郎『覇王の家(上)』新潮文庫(2002))
家康の性格上、跡目争いの元になる可能性から貞愛は生まれてすぐに殺されていても不思議ではありません。
しかし「葵咲本紀」に登場した貞愛の存在は、臆病で策士な家康のイメージを転換するほどの大きな意味がありました。
徳川家康の馬印に用いられた「厭離穢土欣求浄土」は、家康が前途を悲観して自害を決意した際、住職から説法されて自殺を思いとどまったことが由来とされています。
仏教に深く帰依していたことで知られている家康ですが、死を覚悟したとき、仏教に説かれる「人身受けがたし」を知ったのかもしれません。
どんな苦境でも人生には意味があることを知った家康は、貞愛を殺さず歴史に残らない場所で生かしたのではないでしょうか。
貞愛もまた、そんな家康の想いを感じ取っているからこそ
「殺さずに生かしてくれたことへの…ちょいとした感謝くれえだ」
と思っているのかもしれません。
「葵咲本紀」の終盤で、家康は秀康と貞愛を天下から遠ざけた理由を秀忠に打ち明けます。
「お前の言う通りじゃ。優れているのは、秀康の方じゃ。
それは儂にも分かっておる。
あやつは、双子として生まれた。
儂は嬉しかったのじゃ……一度期に二人も子宝に恵まれたのじゃからのう。
だが儂は思った。双子は災いの種じゃ。
不吉と思うて忌み嫌う者、跡継ぎ争いに担ぎ出す者……双子というだけで、後の禍根となる。
だから遠ざけたのじゃ……臆病だと思うじゃろう。
儂が臆病なのは儂自身が一番よく分かっておる。
だがのう、儂の夢は、太平の世を築くことじゃ……
少しでも妨げになるものは遠ざけておきたかったのじゃ
可哀想なことをしたのう…秀康にも、貞愛にも…」
家康は少しでも懸念材料を除外しようと、争いの種になりやすい双子の息子たちを冷遇し、二人に辛い思いをさせたことを秀忠に打ち明けます。
しかしそれは、ただ家康が臆病だったからではなく、太平の世を築くという「夢」があったからでした。
「この世から戦を無くし、太平の世を築いた後……お前に天下を譲り渡す!
戦乱の世が続くのであれば、跡継ぎは秀康にするつもりであった。
あれにはそれだけの力がある。
だが、儂は儂自身の手で、必ずこの戦に勝つ!
太平の世の中で天下を治めるのは、お前の方が向いておる。
儂がお前を選んだ理由は、そういうことじゃ……」
家康が天下を目指した目的は、人の命が簡単に使い捨てられていく戦乱の世を終わらせるためでした。
「儂は儂自身の手で、必ずこの戦に勝つ」という言葉には、これ以上息子たちの手を汚させず、自身の手で戦国時代に終止符を打ちたいという想いもにじみ出ているようです。
そして自身が実現させる平和な世を長く維持できる才を、家康は秀忠に求めたのでした。
「みほとせ」で描かれた家康の最期の場面で、家康は徳川四天王を演じる刀剣男士たちに、天下統一を目指した理由を語っています。
「……戦は全てを奪う……あんなものはいらぬ……
わしは…
…祖父を殺され……父も殺された……子供の頃から
…いつかは自分も殺されるものだと思っておった…
…そんなものは間違っておる……親の腕に抱かれ…
…子守唄を聴いて……やすらかに眠る…
…子供にとっての幸せは…そんなことじゃ…
…わしは…そんな当たり前のことすら許されぬ世を呪った…
…この世から戦をなくしてやりたい……そう思った…」
「葵咲本紀」は、徳川家康の行動と真意を「三百年の子守唄」から引き継ぐ形で更に深く掘り下げていく展開でした。
徳川家康は人の命の大切さを知っていたからこそ、艱難辛苦を耐え抜いて長きに渡る戦国の世を終わらせたのかもしれません。
決して人気者ではない徳川家康の新たな一面に迫る、歴史ファンも必見の物語です。
※二葉要さんの急病により9月25日以降の公演は加古臨王さんが代役として結城秀康を演じられています。立ち上がってくださった加古臨王さんに感謝するとともに、二葉要さんの結城秀康をまた拝見させて頂ける日が来ることを念じております。
このコラムの続編を投稿しました!
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※コラム中の「三百年の子守唄」紹介部分はこちらの戯曲本から引用させて頂きました!より深く「みほとせ」を味わえるので是非読んで頂きたいです。
7/18(木) ミュージカル『刀剣乱舞』初の戯曲本が3冊同時発売!
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ミュージカル『刀剣乱舞』 ~葵咲本紀(きしょうほんぎ)~ーーーネルケプランニング