「布が無い!!」
2018年08月14日、審神者たちに衝撃が走りました。
その理由は「まんばちゃん」のニックネームで愛される人気キャラクター、山姥切国広(やまんばぎりくにひろ)に訪れた大きな変化でした。
まんばちゃんに一体何が起こったのでしょうか。
「まんばちゃん」「布どこ」「ハチマキ」山姥切国広・極の衝撃がTwitterトレンドに並ぶ
山姥切国広は『刀剣乱舞-ONLINE-』のキャラクター。
『刀剣乱舞-ONLINE-』は2015年に稼働スタートした刀剣育成シミュレーションゲームです。
刀剣が審神者(さにわ)という主人公の特殊能力によって人間の肉体を得たという世界観で、名だたる刀剣たちがイケメンの姿で登場します。
稼働直後から大ブレイクし、刀剣ブームを巻き起こしました。
刀剣ファンの女性を指す「刀剣女子」という言葉は社会現象になり「刀剣乱舞」「刀剣女子」ともに流行語大賞にノミネートされています。
「刀剣乱舞」が火をつけた刀剣ブームは収まる気配がなく、今年9月からは京都国立博物館で刀剣特別展「特別展 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」が開催決定。
「刀剣乱舞-ONLINE-」とのコラボも注目されています。
現在70振りを超える刀剣男士が実装されている「刀剣乱舞-ONLINE-」の中でも「初期刀」と呼ばれる刀剣男士はプレイヤーが最初に選べる存在。
ゲームを始めたときから愛用している審神者さんもおり、非常に認知度の高い「初期刀」の一振りが山姥切国広です。
その山姥切国広に今回「極(きわめ)」が実装されました。
「極(きわめ)」とは条件を満たした刀剣男士が、修行により獲得できる新しい姿です。
解放された真の姿ともいえる「極」で、まんばちゃんは多くのファンを驚かせました。
「極」実装発表の日に、Twitterトレンドを「まんばちゃん」「山姥切」「布どこ」「布オフ」といった関連ワードで埋め尽くしています。
経済効果は4億!?人気とは裏腹に「写し」であることに苦しむ山姥切国広
「山姥切国広だ。
……何だその目は。写しだというのが気になると?」
山姥切国広は備前長船派の刀工「山姥切長義」を模して造られたとされる打刀です。
刀剣男士の山姥切国広は金髪に緑がかった碧眼という美しい姿ですが、オリジナルの「山姥切」でないことにコンプレックスを持ち、常に汚れた「布」で自身の姿を隠しています。
公式キャラクター説明では
綺麗と言われることが嫌いでわざわざみすぼらしい恰好をしている。
実力は充分だが、色々とこじらせてしまっている。
と紹介されています。
金髪碧眼のイケメンという白馬の王子様になれそうな容姿を持ちながら、自信が持てず美しい顔を隠そうとする、いじらしい姿は多くの主を虜にしてきました。
そんな本人の自嘲的な自己紹介とは裏腹に、山姥切国広の人気は刀剣としても刀剣男士としても非常に高いです。
2.5次元コンテンツで革命的ヒットを起こした「刀ステ」こと「舞台 刀剣乱舞」では山姥切国広が主人公として全公演に登場しています。
2017年に足利市立美術館で開催された刀剣・山姥切国広の特別展「今、超克のとき。山姥切国広 いざ、足利」には20年ぶりの公開ということもあり、4万人近くの来館者が。
その経済効果は4億円とも言われており、つい先日も早期再展示の要望がニュースになっていました。
「4億の男」と言っても過言ではない山姥切国広は「初期刀」で最後の「極」実装ということもあり、トレードマークともいえる「布」はどうなるのかという予想が飛び交っていました。
ついに公開されたシルエットのまんばちゃんの頭には、ハチマキと思われる「布」がありました。
大きく姿を覆っていた布が無くなった山姥切はどうなるのか。
ファンが期待と不安を抱く中「極」が解禁されます。
山姥切国広・極の衝撃 布がハチマキになっただけじゃない!内面の大きな変化が話題に
「写しがどうとか、考えるのはもうやめた。
俺はあんたの刀だ。
それだけで十分だったんだ」
大きく変わったのは「布オフ」した外見ですが、内面での大きな変化が多くの審神者を墓に突っ込みました。
人気非公式攻略サイト「刀剣乱舞攻略速報」さんでは実装直後から審神者の喜びの声(?)が飛び交っています。
「アッこれやばいわゴリラ墓入り決定だわ」
「落ち着けるかよ†┏┛墓┗┓†」
「もう古墳作って有志のゴリラみんなではいらないか?」
「前向きなまんばちゃんか…
ただのイケメン王子様になっちまった…(すき)」
麗しい容姿を覆い隠していた布が無くなり、オレンジのハチマキが印象的な姿。
さらに「何を期待しているのやら」というセリフが「期待には応えるさ」に変わるなど自分の価値を認めたような口調に変化します。
同じセリフでも確固とした自己肯定感が漂うようになりました。
筆者も待ちきれず「修行呼び戻し鳩」を初購入、台風の中ケーキを買いに行き、嬉し泣きしながらお祝いしました。
修行中の「手紙」から、まんばちゃんが変化した理由が明らかに
拠り所のようになっていた「布」を取り、顔を出せるようになるまでの変化を山姥切にもたらしたのは一体何だったのでしょうか。
「極」になるために必要な「修行」で山姥切の心境が綴られる「手紙」にその理由が書かれています。
まず1通目の手紙の最後は不思議な内容で締めくくられていました。
「人々が話す内容が、俺の記憶と違うのは、どういうことだ?」
山姥切を動転させた「人々が話す内容」については2通目の手紙で明らかになります。
「俺が会った人々は、俺が山姥を斬ったから、
そのもとになった長義の刀が山姥切と呼ばれるようになったという。
これでは、話が全く逆だ。
写しの俺が、本科の存在感を食ってしまったようなものだ。
どう、受け止めていいかわからない。」
所詮は「本科」である山姥切長義のコピーだと自分のことを思っていた山姥切国広。
しかし修行先で出会った人々は「山姥切」の由来は山姥切国広の方で、山姥切長義は後付けされた名だと語ったというのです。
真相を知るため、山姥切は長い年月をかけて多くの人々の話を聞いていくことにしました。
「山姥切」の由来は長義の刀なのか、まんばちゃん自身なのか。
真実は3枚目の手紙で明らかになります。
「俺が山姥を斬ったという伝説、本科が山姥を斬ったという伝説、
そのどちらも存在しているんだ。
案外、どちらも山姥を斬ったりなんかしていないのかもな。ははは。
人間の語る伝説というものは、そのくらい曖昧なんだ。
写しがどうの、山姥斬りの伝説がどうので悩んでいたのが、馬鹿馬鹿しくなった。
俺は堀川国広が打った傑作で、今はあんたに見出されてここにいる。
本当に大事なことなんて、それくらいなんだな。」
2通目の手紙を読んだとき、刀ステ民の筆者は「えっ…!これって外伝の物語に繋がるの!?」と思ったのですが、3通目で「山姥りの伝説」に2つの説があったことが語られます。
長い時を旅して「山姥切」の由来を突き止めようとした山姥切が分かったのは
「人間の語る伝説というものは、そのくらい曖昧なんだ」
ということでした。
時によって、人によって「山姥斬りの伝説」に違いがあるように、人間の評価というものは曖昧で変わりやすいもの。
当てにならない評価に振り回され、自分の真価が分かっていなかったことが己の弱さだと分かったのではないでしょうか。
まんばちゃんを変えたこの気付きは、私たちにとっても大切な深い人生哲学が隠れています。
人の評価は変わる。山姥切国広・極のセリフから学ぶ「人間の語る伝説」に振り回されないための心がけ
まんばちゃんが言う「人間の語る伝説」とは私たちでいうなら人からの評価です。
私たちも日々、同僚から悪い評価を受けないよう仕事を頑張ったり友人に気遣いをしたりして生きています。
人それぞれ大事にするものは違いますが、私たちは周囲から自分がどう見られているかを大なり小なり気にしているもの。
自身の言動がどう思われるかを気にかけたり、過ちを正してくれる人の忠告に耳を傾け、行いを反省し向上するのは生きていく上でとても大切です。
しかし山姥切国広も手紙の中で教えてくれているように、人からの評価は時代によって、その人の都合によって変わっていくもの。
周囲からの評価にいつも一喜一憂して、必要以上に自信を失ってしまうのは山姥切の言葉を借りるなら
「悩んでいたのが、馬鹿馬鹿しい」
ことなのではないでしょうか。
「刀剣乱舞」をきっかけに、ボンヤリとしか知らなかった歴史人物の生涯を知って見方が変わったという経験は審神者さんには多いと思います。
現代に生きる私たちも同じことです。
コロコロ変わる人からの評価を、自分の価値を測る「ものさし」にする生き方は、周りの都合に振り回されやすく不安定。
他人は自分を写す鏡とよく言われますが、その鏡は時が経てば変質してしまうからです。
お釈迦様は
「皆にてほむる人はなく、皆にてそしる人はなし」
という言葉を残されています。
人にどう見られているかを意識することは大切な心がけです。
しかし誰にも嫌われないようにするため、皆にいつも良い顔ができるよう繕うのはとても疲れます。
無理に自分を作り続ける人生は、自身の魅力を「布」で隠しているようなものだと、まんばちゃんは教えてくれているような気がします。
「刀剣破壊」セリフに見える、まんばちゃんの消えなかった惑い※破壊セリフネタバレ注意
「写しがどうとか、考えるのはもうやめた。
俺はあんたの刀だ。
それだけで十分だったんだ」
当てにならない「人間の語る伝説」に振り回され、自信を喪失していた山姥切国広は「主の刀」であるという今に生きることで大きく生まれ変わります。
しかし一方で、まんばちゃんのセリフからは彼が抱えていくことになる新たな迷いが表れているようにも見えます。
「俺はあんたの刀だ」と言い切ることで自分の価値を認められた山姥切ですが、裏返せばそれは「今の主」という別の「ものさし」で自分の価値を測るということです。
いつか死にゆく存在である主と別れるとき、山姥切は自身の価値の拠り所を失ってしまうかもしれません。
そう思うと、カッコよくなった山姥切のセリフがとても切ない言葉に聞こえてきます。
刀剣男士が戦場で死ぬとき、最期に残すのが「刀剣破壊」の言葉。
山姥切国広は主との永遠の別れのとき、こう言い残します。
「俺は、あんたの、かたな…」
自身に言い聞かせるような最期の言葉には、自身の存在価値を認めるための「ものさし」を探し続けるまんばちゃんの苦しみが滲み出ているようです。