【2018/10/6更新しました】
「舞台『刀剣乱舞』」通称「刀ステ」の原作『刀剣乱舞-ONLINE-』は2015年に稼働スタートした刀剣育成シミュレーションゲームです。
ゲームをきっかけに刀剣に関心を持つようになった女性の刀剣ファン「刀剣女子」が刀剣展示会や博物館に押しかけるようになり、刀剣ブームが社会現象となりました。
一時のブレイクだけにとどまらず長い人気を維持してきた「刀剣乱舞」の特徴の一つに、メディアミックスの成功があります。
自由度の高い原作のストーリーを活かした2社によるアニメ化、ミュージカル、そして舞台。
様々なジャンルでのメディア進出は、ゲームファンだけにとどまらず幅広い層へ人気を拡大してきました。
来年は劇場版『映画 刀剣乱舞』が公開予定で、「刀ステ」の俳優さんが一部、劇場版にも登場することが明らかになっており「刀ステ」の注目度も高まっています。
書籍版「戯曲」が発売された「舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」は「刀ステ」シリーズ5作目の作品です。
戯曲 舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語りーーーニトロプラスオンラインストア
「虚伝」「義伝」から高い支持を得ている刀剣男士たちはもちろん、「外伝」から登場した新刀剣男士の演技や殺陣が大きな話題を呼びました。
「ジョ伝」で高い支持を得たのがストーリー構成で、多くのファンからシリーズ最高のシナリオと称賛されています。
脚本の末満健一さんも「日経エンタテインメント!」の特集で取材に答えている記事の中で
末満氏が最近印象に残っているのが「『ジョ伝』は2.5次元じゃない」という知人からの言葉だったという。
「もちろんそれは褒め言葉だったと思います。
でも僕は、『これも2.5次元』と言いたくもあります。」
と語っておられ2.5次元作品の幅を広げた画期的な作品として業界人からも評価を受けているようです。
今回はファン待望「蔵出し映像集」もリリースされた「ジョ伝」の魅力を改めてご紹介。
円盤を100回以上鑑賞した大ファンの筆者が「ジョ伝」から学べる深い人生哲学を考察します。
※「戯曲 舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」を購入させて頂いたので、セリフ等を「戯曲」から引用させて頂き、加筆修正しました。
『序伝 跛行する行軍』あらすじ 黒田官兵衛の野心と弥助が抱く歴史への怨念 ※ネタバレ注意
過去に遡行し歴史を改変しようとする者が率いる軍勢、時間遡行軍に対抗するため時の政府が集めた能力者、審神者(さにわ)。
審神者の力で人の肉体を得た刀剣「刀剣男士」が、『刀剣乱舞』そして「刀ステ」の主役です。
「刀ステ」で描かれるのは、山姥切国広が最初に顕現した、とある本丸の物語。
「ジョ伝」は『序伝 跛行する行軍』と『如伝 黒田節親子盃』の二部構成で「序伝」は本丸ができて間もない頃が舞台です。
山姥切率いる第一部隊は調査任務として向かった「小田原征伐」の時代で時間遡行軍の奇襲に遭い、経験不足で統率を乱していきます。
同じ刀工から生まれた山姥切の兄弟・山伏国広と質実剛健な武闘派男士・同田貫正国は黒田軍陣営の近くにいたところを黒田長政と家臣である母里友信に見つかり、襲いかかられます。
一触即発の事態に黒田長政の父・黒田官兵衛孝高が現れました。
官兵衛の傍には「弥助」と名乗る外国人が。
出で立ちを官兵衛に怪しまれた刀剣男士たちですが、山伏の案で「客人」として招かれる体で黒田の屋敷に向かいます。
官兵衛は秀吉を狙う暗殺者がおり、無血開城の交渉を成功させるため黒田の陣に秀吉を匿っていると打ち明けました。
確かな剣の腕を見込んで秀吉の護衛に当たってほしいと、官兵衛は山姥切たちに嘆願します。
屋敷周辺の警備中、時間遡行軍と遭遇し交戦していた山姥切に、弥助が斬りかかります。
「アナタタチハ邪魔ナノデス……刀剣男士ヨ」
一方、へし切長谷部、小夜左文字、骨喰藤四郎も時間遡行軍を追って黒田の陣に侵入していましたが、屋敷の者に捕まってしまいます。
秀吉により処刑されそうになった長谷部たちの元へやってきたのは、長谷部の元主・黒田長政でした。
「頼む、やられたふりをしてくれ」
長政の言葉に従い、やられた演技をした長谷部たち。
(胡散臭い倒れ方が最高に可愛いです(笑))
長政は長谷部たちを牢屋で拷問にかけて正体を聞き出したいと秀吉に進言、長谷部たちは地下牢へ連行されます。
やってきた長政から長谷部たちが聞かされたのは衝撃の事実でした。
黒田長政「早くここから離れろ
そなたらは殺される」
骨喰藤四郎「殺されるって誰に?」
長政「……時間遡行軍だ」
へし切長谷部「なぜあなたがそのことを……」
長政「今、詳しく説明している暇はない。
一刻も早くこの時代から離れるのだ
…へし切長谷部」
長谷部「……どうして?」
長政「……生きろ……
生きてさえいれば必ずまた会える。
約束じゃ」
黒田長政や弥助が時間遡行軍、そして刀剣男士のことを知っていた。
青天の霹靂としか言えない事態の中、刀剣男士たちは弥助率いる時間遡行軍によって壊滅の危機に追い込まれていきます。
そして起こったのは最悪の事態。
状況を見誤り弥助に立ち向かおうとする山姥切を庇って、山伏国広が折れたのです。
直後に山伏は何故か蘇生するも瀕死の状態で、同田貫の説得により山姥切たちは撤退します。
刀剣男士が敗走したあとの小田原には、時間遡行軍に傅かれる官兵衛の姿がありました。
「儂は夢見ていたんじゃ。
いや、この時代に武士として生まれ、それを夢に見ん者はおるまい
……天下をこの手に。
だが、儂の生まれた時代には信長公や関白殿下がおられた。
眩い星の下で儂は黒子役に過ぎんかった。
だが、天は儂を見離さず。
今こうして、望まざる歴史を調略するチカラを得た!」
権謀術数を尽くし、刀剣男士たちを敗北に追い込んだのは黒田官兵衛孝高だったのです。
「三つら星」に囚われる官兵衛と、統率を乱していく刀剣男士たちの「跛行」
「戦乱の天に三つら星あり
1つは織田信長。
2つは豊臣秀吉。
そして、3つは……徳川家康
だが、そうはさせん。
これより、我が智慧を尽くし歴史を調略する。
相対するは、徳川だけに非ず。
この小田原に結集したすべての武将、徳川も上杉も、毛利に前田に宇喜多も、
皆討ち滅ぼしてくれる
これより一合戦仕る……跛行する行軍じゃ」
「跛行」には「片足をひきずるようにして歩くこと」と「つりあいのとれていない状態のまま、物事が進行していくこと」という意味があります。
秀吉も恐れた鬼才を持ちながら、波乱万丈の人生を送った黒田官兵衛の野心に時間遡行軍が火を付けた「跛行」。
調査任務で訪れたはずの小田原で奇襲に遭い、連携が取れないまま官兵衛の思うまま翻弄された山姥切たちの「跛行」。
『序伝 跛行する行軍』には2つの意味が込められているように思います。
本能寺の変以降、史実では消息不明の弥助が官兵衛の側近のように登場したり、初対面の山姥切に開城交渉のことをアッサリ官兵衛が言ったりと何度か見ると不審な点に気づきます。
しかし初見の時は、同田貫のセリフを借りるなら
「いろんなことがいっぺんに起きすぎてわけがわからねえ」
という状態になるのが「序伝」の展開でした。
信長が掲げた戦国の世の標星。
信長、秀吉に続く3つ目の星になろうとする官兵衛と、1つ目の標星を焼き尽くした歴史への復讐に燃える弥助。
二人の執念によって歴史は改変の危機に晒されます。
為す術無く敗走した山姥切たちですが、帰還した後さらに衝撃の事実が。
小田原征伐の時代にいた時間遡行軍が消えたというのです。
山姥切「俺たちは負けたんだ!
それなのになぜ時間遡行軍がいなくなったんだ?」
同田貫「わからねえ……でも、もう終わったんだ。任務は終了だ
……山伏はまだ部屋で休んでいる。一度は折れた体だからな」
長谷部「なぜ山伏国広は助かったんだ?」
同田貫「わからねえよ!
……この出陣はわからねえことだらけだ!」
同田貫のセリフは、観客や視聴者の思いでもありました。
歴史を守るための戦いで敗北したのに、歴史が改変されなかったのは何故なのか。
真実は後半『如伝 黒田節親子盃』で明らかになります。
まんばちゃんと長谷部たちが対面したのは過去の己。『如伝 黒田節親子盃』あらすじ
2幕ではオープニングがまさかの長谷部くんが「センター」のようなポジションで、へし沼民の筆者は初見のとき失神しそうになりました。
そんな長谷部にスポットが当たる「如伝」は謎解き編のような構成になっています。
「序伝」で描かれた頃から時間が経ち、多くの仲間たちが顕現し、強くなった山姥切たち。
ある日出陣した時代は、小田原征伐でした。
「あの時、俺たちは敗北した。
にもかかわらず、この時代への歴史干渉はなされなかった。
屈辱だよ。
主命を果たすことができなかったんだからな。」
長谷部の胸にくすぶり続けていたのは苦い敗北の思い出。
そんな因縁の時代で長谷部、そして山姥切たちは衝撃の真実を目にすることになります。
小田原での任務中、謎の忍びに襲われた刀剣男士たちの前に黒田長政が現れます。
「私は、黒田長政と申す。
そなたらは……時間遡行軍と戦うものらとお見受けする
…刀剣男士」
「序伝」に引き続き「如伝」の長政も刀剣男士のことを知っていたのです。
驚く山姥切たちに長政はさらに衝撃の事実を伝えます。
「……私は、ずっとそなたらを探すように命じられていたのだ
私の父上、黒田官兵衛孝高の命によってだ
父上は……時間遡行軍に取り憑かれておられる
時間遡行軍は父上を利用し、定められた歴史を改変しようとしているのだ」
時間遡行軍に取り憑かれた黒田官兵衛を助けて欲しいと長政に頼み込まれた山姥切たちは、その後いるはずのない«あるものら»と遭遇します。
「同田貫?どうしてここに?」
そこにいたのは今回の出陣部隊にいない同田貫と、修行の旅に出ているはずの小夜。
山姥切たちは過去の自分たちがいる、前回の出陣の時間軸に遡行していたのです。
過去の出陣と今回の出陣が重なるという異例の事態が起こり、山姥切、山伏、長谷部は現在の自分と過去の自分が同じ時代にいる状態になっていました。
未熟だった頃の己が犯した過ちと、山姥切たちは否応なしに向き合うことになります。
「序伝」から「如伝」、そして「助伝」へ… 「ジョ伝」の意味が明らかに
過去の山姥切、山伏、長谷部が殺されてしまったら今の自分たちも消えてしまう。
時間軸の重なりが生じたことで山姥切たちに死の危険が迫ります。
山姥切たちは過去の自分を死なずに帰還させ、なおかつ官兵衛を時間遡行軍から解放するという二重の試練に立ち向かうことに。
実は「序伝」で見られた長政や山姥切たちの不自然な態度は「如伝」で彼らが過去の自分たちを助けようと動いていた姿だったということが明らかになります。
「序伝」ではもう一人「山姥切」が登場しますが、あの山姥切は他本丸の山姥切ではなく「山姥切自身」だったのです。
後に「今回の出陣」の増援部隊として加勢した現在の骨喰が、過去の自分のフリをして山伏に「お守り」を渡します。
この「お守り」は刀剣男士が致命傷を負ったときに身代わりとなる、審神者の力が込められた道具でした。
「序伝」では骨喰が急に山伏に抱きついたようにしか見えないのですが、「如伝」で骨喰が過去の自分に成り代わって山伏を救ったことが分かるのです。
修行に行かない限り、何年経っても容姿が変わらない「刀剣男士」の特徴を活かした伏線が非常に巧妙で圧倒されます。
何回見ても発見がある「序伝」から「如伝」への伏線回収は非常に奥が深く、既存のファンだけにとどまらず幅広いファンから高い評価を得ました。
「序伝」と「如伝」の切り替わりはバックスクリーンに映像で「序」と「如」の文字が反転する形で示され、その演出もとてもカッコいいのですが、最後「序」は「助」になります。
弥助推しになった筆者は最初、弥助の「助」かと思ったのですが(笑)これは「助伝」の「助」ですね。
はじまりの物語「序伝」、後に如水と呼ばれる黒田官兵衛を巡る物語「如伝」そして「助伝」。
「ジョ伝」には3つの意味が込められていたのです。
時間遡行軍は黒田官兵衛に力を貸す証として弥助の刀に取り憑き「九十九刀」(つくもがたな)となって弥助をチート状態にしていました。
九十九刀で刀剣男士を凌駕する力を得た弥助に、過去の山姥切たちは惨敗しました。
しかし「助伝」では現在の山姥切たちが、過去の自分たちの命を守りながら九十九刀を破壊することに成功します。
九十九刀を失っても「跛行する行軍」を続けようとする黒田官兵衛の野心を折ったのは、息子の黒田長政でした。
歴史改変を目論んだ官兵衛は秀吉を地下牢に幽閉していましたが、長政が秀吉救出に奔走したことにより官兵衛は秀吉に処刑されずに済みます。
これにより現在に伝わっている官兵衛の「歴史」と整合性が取れる形で小田原征伐の波乱は幕を閉じたのでした。
物語の最後に長谷部も言っているように、黒田官兵衛は歴史上でも、天下への野心を露わにしています。
その時も官兵衛の野心を折ったのは…
史実にも重なるエンディングは歴史ファンも心を打たれる展開です。
「助伝」で長谷部たちが言ったセリフから知る、「因果応報」の本当の意味
長谷部「そうか……そういうことか
はじめに小田原征伐へ出陣した時、
俺たちは敗北したにもかかわらず、歴史改変が行われることはなかった」
山姥切「……俺たちを助けたのは俺たち自身だったのか……」
「助伝」の「助」は仲間の助けを得て勝利したという意味の「助」ではありませんでした。
「自分を助けたのは自分自身」という意味の「助」だったのです。
「助伝」の意味には「因果応報」という言葉の本質が隠れているように思います。
実は「因果応報」は仏教の根本思想を表した言葉です。
仏教用語。
原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
現代では因果応報という言葉は、悪いことをした人がその報いを受けたときによく使われています。
しかし本当の意味は善いことも悪いことも、自分のした行いは必ず自分に返ってくるという因果法則を表しているのです。
哲学用語ではこれを「因果律」ともいわれます。
〘哲〙 どのような事象もすべて何らかの原因の結果として生起するのであり、原因のない事象は存在しないという考え方。因果法則。
(大辞林 第三版の解説)
何か自分に悪いことが起こったとき、人のせいにして逃げることなく、まず自分に原因が無いか考えることを「反省」といいます。
刀ステの俳優さんも、何度場数を踏んでも反省向上を常に考えておられるからこそ、観客を圧倒する殺陣を披露することができるもの。
「序伝」で山姥切は山伏が一度折れたとき
「写しの俺が近侍になったせいで、こんなことに……」
と言っていました。
「自分のせいだ」と思っている点では序伝のまんばちゃんも「因果応報」のことを言っているように見えますが、本質は違います。
その理由は「俺が写しだから」という後悔は反省に繋がらないからです。
筆者も小学校にあがる前から自己肯定感が低く「私は運動神経が無いから」「他の女の子より可愛くないから」等、生まれ持った素質のせいにして色々なことから逃げる人生でした。
山姥切が繰り返し「俺は写しだから」と言う姿はとても共感します。
しかし山姥切は同じ写しであるソハヤノツルキの言葉を始めとして、様々な縁によって少しずつ変化。
「助伝」での弥助との最後の戦いのとき
「俺は今まで写しということに囚われて続けてきた。
いや、これからも囚われ続けるだろう。
だが……
俺は、俺だ」
と言い切り「写し」であることを受け入れ、過去の自分の失敗を挽回し、主命を全うしてみせます。
変わっていく山姥切国広の姿に勇気をもらったファンは筆者だけではないでしょう。
成功も失敗も全ての結果には原因があり、自分の失敗を挽回できるのは自分自身しかいません。
徹底した「因果応報」を描いているのが「序伝」から「如伝」そして「助伝」へ繋がる伏線回収ではないでしょうか。
「誰かが何とかしてくれた」ではなく、自分の失敗に向き合って深く反省することが、最終的に自分を幸せにするということを、まんばちゃん達は教えてくれているように思います。