皆さま、またまたこんにちは!
ATLUS大好きマン・もちょです。
「ペルソナ」シリーズは、ATLUSが制作する学園ジュブナイルRPG。
通称「メガテン」と呼ばれる、女神転生シリーズから派生して生まれました。
1996年に「女神異聞録ペルソナ」が発売されてからというものの、25年以上の月日が流れた今も、男女問わず愛され続けています。
特に『ペルソナ3・4・5』は若者を中心に、幅広い世代から支持を得ており、格ゲーやリズムゲーとして生まれ変わった他、3タイトルがコラボした「ペルソナQ」シリーズにもなっています。
また、今年の2月2日には、ペルソナ3をリメイクした決定版、『ペルソナ3リロード(P3R)』が発売。
映画『劇場版ペルソナ3』以降、目立った動きのなかった本作ですが、8年振りに新作のニュース!
ファン待望の、無印フルリメイクです。
バトルシステム面では、「テウルギア」と「シフト」の2点が新要素として追加されました。
テウルギアは、一定ゲージを貯めると発動できる必殺技のようなもの。
これまで主人公が使用できたミックスレイドは、テウルギアに置き換わりました。
続いてシフトは、弱点をついた後の1MORE状態に使えるコマンドで、仲間の誰かに行動ターンを託すことができます。
タルタロス探索でもボス戦でも、役立つこと間違いなしです。
さて今回は、タルタロス攻略やボス戦を後方で指揮していた黒幕である「幾月」という1人の男について深堀りし、徹底的に考察します。
オリジナル版である『ペルソナ3(P3)』、ビターな後日談『ペルソナ3フェス(P3F)』を通して、考えていきたいと思います。
この記事はこんな方におすすめ
- ペルソナ3が好きな人
- ちゃんとした大人になりたい人
- 心の底からダジャレが好きな人
今回は、『ペルソナ3』派生タイトルを扱う都合上、重大なネタバレ有です。
閲覧には十分にお気をつけください。
では探索していきましょう!
クズと言われても仕方がない… 幾月の「許されざる所業」
月光館学園の理事長、そして特別課外活動部の顧問である幾月修司。
飄々とした態度ながら、愛すべき頼りない男。
主人公たちを一歩引いて見守る、しょうもないダジャレおじさんです。
ところがその実、彼の正体は、10年前に起こったシャドウの研究事故――つまり、主人公がデスを宿す原因となった事故――に関わる研究員。
そして、主人公たちを欺く黒幕でした。
インターネットの海を覗いてみると、案の定「クズ」やら「無能」やら、散々な言われよう。
幾月が何をしでかしたのか、改めて見ていきましょう。
自分の野望のため、主人公たちを騙していた
「タルタロスや影時間を消すには、満月に襲来する12のシャドウたちを倒さねばならない」という幾月の言葉に従い、最後の1体を倒した主人公たち。
これまでの苦労が報われた面々は喜びつつ、一方で実感の湧かないまま、夜を明かしました。
ところが、翌晩。
時計が24時を告げた時、世界は不気味な緑に包まれます。
そう、影時間はなくなっていなかったのです。
遠い地から鳴り響く、重い鐘の音。
嫌な予感と共に、一同はタルタロスへと急ぎます。
そこには……よく見知った男の姿が。
特別課外活動部の顧問である、幾月でした。
彼の情報は全くの嘘で、「満月に襲来するシャドウたちと接触すれば、世界の滅びが訪れる」というのが真実でした。
さらに、でっち上げた嘘を信じ込ませるため、ゆかりの父親が、決死の思いで遺したビデオメッセージをも改ざんしていたのでした。
主人公たちを生贄とし、世界を生まれ変わらせようとした
主人公たちは、はじめこそ憤っていたものの、絶望に包まれていきました。
世界を救うのではなく、破滅を巻き起こすトリガーを引いてしまった。
騙されていたとはいえ、自分たちのしたことの重さがわかってきたのです。
そして幾月は、アイギスの伝達系に細工をし、主人公たちを殺す計画を開始。
世界の滅びには生贄が必要だと語り、メンバーを十字架を模した拘束具にくくりつけてしまいます。
彼らには、滅びの先駆けとして
“生贄”になってもらう。これで予言書に示された段取りは
『ペルソナ3』 幾月修司
全て完了だ。
ここで言う予言書とは、幾月が独自に作ったトンデモ本のこと。
ニュクス降臨について明確に記した書物ではなく、滅びに直面した(人々が死を希う状況となった)記録を複数まとめたものであったことが、後日談ファンブックにて記載されています。
真実とは離れたところで、オカルト的な儀式により滅びを迎えようとしていたようで、生贄もその手段だったよう。
彼いわく「”滅び”は”皇子”の手により導かれる。僕がその皇子となり、この世界の救世主となる」ためとのことですが、タカヤの言う通り、妄想の入り混じった誤った解釈です。
公式の説明としても、次のように言及されています。
実際には、この皇子とは力を取り戻したデスが変じる死の宣告者のことなので、一介の人間がそれに成り代わることは不可能だろう。
『ペルソナ3フェス公式ファンブック -My Episode-』p.150 用語集より
幾月の遺体が見つかっていないという事実から「望月綾時として生まれ変わった(闇の王子=死の宣告者=ニュクス・アバターとなれた)」という見解もたびたび見受けられますが、先述した予言書のことも含め、その可能性は極めて低そうですね。
ストレガを含む、人為的なペルソナ使いを生み出した
そして幾月の重ねた罪は、これらにとどまりません。
人工的に作り出されたペルソナ使い、ストレガ。
タカヤを筆頭に、ジン、チドリの3名で構成される組織です。
主人公たちと敵対し、最後までその道を交えることはありません。
ところが物語終盤、ジンの口から「ペルソナ使いになった経緯」を知ることになります。
お前らの元締めやったみたいやな。
調べとって驚いたで、ホンマ。あいつは、わしらを『作った』研究員の
『ペルソナ3リロード』 ジン
1人やさかいな。
当時、エルゴノミクス研究所に所属していた幾月は、子どもたちを集めては非人道的な実験を繰り返していた様子。
桐条グループが、最初に確認したペルソナ使いが幼かった美鶴だったこともあり、子どもたちに発現能力があると仮定して進めていたようです。
実験事故によって見失ってしまったデスを探し出すために、人工的にペルソナ使いを作ろうとしていたことが、『ペルソナ倶楽部P3』にてタカヤの口から明らかになっています。
既にこの頃から、幾月は終末思想に狂わされてしまっていたのでしょう。
取り返しのつかないことをした幾月ですが、道化師の仮面をかぶってでも実現したかったということはわかります。
相当な覚悟と信念がなければ、真意を共有した仲間もいない中、十数年がかりの計画を遂行することなどできません。
幾月の抱えていた覚悟が、伺いしれる気がします。
幾月は何がしたかった? ひとりの大人が抱えていたもの
では結局のところ、滅びをもたらすことによって、幾月は何がしたかったのでしょうか。
日本人であれば知らない人はいないほど大規模な桐条グループ。
末端研究員とはいえ、そのグループのエルゴノミクス研究所に勤務していた経歴から推察するに、一般的に見れば優秀な人材だろうということがわかります。
また、特別課外活動部の顧問の他に、月光館学園の理事長を兼任している事実からも、その手腕は垣間見えます。
それだけの人物であれば、冷静な状態ならば、おかしな思想に侵食されることもありません。
容易く狂気に染まることもないでしょう。
しかし主人公が出会った時には、滅びの妄執に取り憑かれていました。
彼の抱えていたものは、果たして何だったのでしょうか。
彼をここまで追い詰めたものとは……。
『ペルソナ3』はじめ、公式ファンブックの隅々から幾月の抱えていた本心を考察してみたいと思います。
“人生の意味”を見出せない「ひとりの大人」
彼の真意がにじみ出る、ゲーム内唯一のセリフがこちら。
ははは… なぜわからない!?
『ペルソナ3』 幾月修司
今の世界で、希望や生きる意味を
探し出すなんて、もう無理なんだよ!
なんて悲痛な叫びだろうか、と思います。
おそらく、幾月が心の底からの「本音」を言葉にしたのは、これが最初で最後でしょう。
他のセリフは、妄想や思い込みに紛れてしまって、正しく読み解くことができません。
彼は、この世には希望も何もないと絶望し、終末思想に魅入られていました。
つまり「生きるのが嫌だ。だから世界もどうでもいい。すべて無くなってしまえばいい」と思っていたということ。(『ペルソナ倶楽部P3』にて詳細説明あり)
そう思うに至った経緯は、美鶴の祖父である桐条鴻悦の思想に共感してのことだったと、あらゆるところに記載されています。
また、『ペルソナ3フェス 公式ファンブック-MyEpisode-』では、以下のような記載があります。
10年……本当に長かった。世界でも指折りの金持ちの家に生まれて、すべてに恵まれた乳臭いだけのガキが、見た目だけいっぱしの女になって、いやらしい腰つきでわかったような口を利くようになるわけだよ!
『ペルソナ3フェス公式ファンブック -My Episode-』p.88 Yourself Episode 11月3日より
「すべてに恵まれた乳臭いだけのガキ」という言葉に、自分の望むものを持っている美鶴への妬みが伺えます。
そして、泥臭くしか生きていけない自分自身への劣等感も。
世界でも指折りの企業である桐条グループの令嬢として、生まれながらに地位も名誉も財も持っている、桐条美鶴。
桐条グループの末端研究員として、実験の後始末や課外活動部設立など(末恐ろしい魂胆があったとはいえ)必死に今の地位を築き上げた、幾月修司。
持つ者と、持たざる者。
その対比から、幾月というキャラクターが浮かび上がってきます。
「死への憧憬」について
『ペルソナ3フェス公式ファンブック -My Episode-』p.108 Yourself Episode 1月より
人が自分の弱さや醜さを心の中に抱え切れなくなったとき、自制心という名の堤防を越えて意識から溢れ出した、負の感情そのものだ。
自分の弱さ・醜さに耐えきれなくなった時、人は死を恋い焦がれてしまう。
これがそのまま、幾月の身に起きたことなのではないでしょうか。
劣等感に苛まれ、自分の不遇さを嘆きながらも、どうにか生きていくしかない。
学生ならまだしも、それなりに長く歩んできた人生に、その先に、果たして価値を見いだせるでしょうか。
言葉にできない漠然としたむなしさが、彼の心を蝕んでいたのかもしれません。
「大人になれば答えが見つかる」へのアンチテーゼ
そして、さらに顕著な対比構図があります。
「未熟で知らないことの多い高校生たち」と「人生経験豊富な大人」の対比です。
課外活動部のメンバーではなく、「大人」である幾月が裏切る意味がここにあります。
幾月は、特別課外活動部にいる唯一の大人。
高校生からすれば、既に社会に出て酸いも甘いも噛み分けた、頼りがいのある存在です。
深刻な状況でも、空気を和ませるような余裕も持っています。
つまずいたり、悩んだりした子どもたちに、道を指し示すのが大人の役目。
子どもたちは、しばしば大人たちに将来像を重ねます。
そして、こう思うのです。
「今わからなくても、大人になれば自然にわかるようになる」。
「生きる意味が見いだせないのは、子どもだからだ」と自分を納得させているのです。
まるで、大人は何でもわかっている生き物だというように。
ですが、大人になれば自動的に「生きる意味がわかる」わけじゃない。
現に、主人公たちの倍以上生きている幾月は人生に希望を見いだせず、生きる意味に否定的な終末思想に傾倒したわけです。
筆者は、前作であるペルソナ2罰のテーマを、また違う角度でえぐり出したような印象を受けました。
自分の限界を感じつつも、どうすればいいのか出口が見えず、何を目指すべきかも見失った大人の自分探しは、青春時代のそれよりも、さらに深刻で根深く、冷酷なものかもしれない。
『ペルソナ倶楽部P3』p.11 「ペルソナ2罰 ETERNAL PUNISHMENT – 占いと自分探し」
作品の全体テーマと密接に関わってきますが、「生きる意味を探すのは今だ、後回しにするな」ということを伝えんがために、幾月というキャラクターが生まれたのではないかと推察できます。
藁にもすがる思いで手を伸ばした「救い」
幾月は飄々とした仮面の下で、もがき苦しみながらも、必死に救いを求めていたのだと思います。
自分の弱さ・醜さに耐えきれなくなった時、人は死を恋い焦がれてしまうと先ほど書きましたが、それは「死」に救いを求めるということ。
なぜならば、死ぬこと以上に今生きている現実が辛いと感じるためです。
意味を見出だせない人生に、価値を感じられない自分の命。
ゆっくりと時間をかけて積み重なったむなしさは、甘い死の言葉を享受するに十分なものでした。
ただ、この心は人生への諦めと同義。
つまり、「生きる意味を探し出すなんて、もう無理なんだよ!」という言葉にもある通り、生きる意味が見つからないから、諦めたということ。
裏返せば、希望や生きる意味などないと叫びながらも、本当は生きる意味を求めていたということです。
幾月は当時の人の代弁者 鬱屈とした当時の世界情勢
ゲーム内視点から離れ、メタ視点でも見ていきます。
『ペルソナ3』の発売された2006年以前の時代背景が、大きな手がかり。
経済回復の兆しが見えない「不安」と、日常が破滅していくことへの「焦り」
バブル崩壊直前の「浮かれたムード」から一転し、退廃的な空気が蔓延していたと言われるのが、2000年代初期。
「就職氷河期」と言われる就職難が騒がれたのも、この時です。
バブルが崩壊してからというものの、国内では不景気が大問題となりました。
長期にわたり不況が続いたため、 どうにもならない債権を抱えた大手銀行の破たん、大企業の倒産、大手金融機関の統廃合などが相次ぎます。
しかし世紀をまたいで2000年になっても、経済状態は緩慢なまま。
これからの日本はどうなるのか、今の会社はどうなるのか、自分の将来はどうなるのか……一向に良くなる気配の無い中で、不安は深まる一方でした。
さらにこの頃、世界に激震が走ります。
別名9.11事件とも呼ばれる、アメリカ同時多発テロ。
アメリカ各地において、短時間に旅客機テロが連続して発生したのです。
当時は、SNSはおろかカメラ機能付き携帯電話さえありません。
被害状況もわからず、原因も報道されないことで人々に渦巻いていた不安は、「日本も近々同じようなことが起こるのではないか」と焦りに変容していきました。
少年事件の多発 長い人生への「諦め」
不安や焦りが人々の心に蔓延っている社会で、人々に衝撃を与えたのは連続的に起こった少年事件ではないかと思います。
「西鉄バスジャック事件」「長崎男児誘拐殺人事件」「御殿場事件」など、鮮烈な記憶として残っている方も多いかもしれません。
西鉄バスジャック事件の犯人は、当時17歳。
いじめによって、尊厳を傷つけられていたといいます。
初めの計画では母校の中学校において無差別殺人をし、注目を浴びて死ぬつもりだった、と報道されました。
ただ単に相手に復讐するだけでなく、無関係な生徒の命をも奪おうとしていたようです。
中高生の時代は、通っている学校が当人の世界の全てといっても過言ではありません。
そんな環境で、同級生から嫌がらせ(嫌がらせというレベルには収まらないでしょう)を受ければ、誰だって「何でこんなに苦しい中、生きていかなきゃダメなんだ?」と思うに決まっています。
そして、生きる意味がわからなくなり、人生を諦める。
自分の価値もわからなければ、他人の価値もわからない。
存在意義を見失った犯人は、殺人を犯すことで自分の存在を確認したかったのかもしれません。
あまりにも受け入れられないような真実を突きつけられると、人は逃げ出したくなってしまいます。
本当の姿からも、私たちを取り巻く世界からも。
その最たる手段として、全てを諦めて死を見据える人もいたでしょう。
どこかで聞いた話ですね。
そう、幾月の辿った人生と同じなのです。
『ペルソナ3』が生み出された当時の思想と、幾月の抱いた思想は非常に似通っているのです。
世界情勢は違えど、現代も本質は同じ
平成中期の退廃的な思想、言い換えれば「幾月の掲げていた思想」は、現代にも形を変えて存在しています。
その中の1つを、見ていきましょう。
生きる意味がわからない心の裏返し…「反出生主義」
令和になって以降、危険な思想として注目されていたのが「反出生主義」。
「自分は生まれてこない方がよかった」
「人間は生まれない方がよいので、生まないほうがよい」
このような考え方をいいます。
コロナウィルスの猛威や産み控えによる少子化によって、生きること自体に不安を抱いてしまった人たちが陥ったのだと考えられています。
彼らの根幹にある思いは、「死へ先導したい」だとか「苦しみを味わわせたい」だとかではありません。
むしろ、生きることに苦痛を抱いている人々に対し、その苦痛を再び味わわせたくないと思っているのです。
生きるということは、時に情けない自分に向き合い、時に醜い心を見つめるということ。
苦しくないわけがありません。
その苦痛から逃れるために、自分の存在意義を放棄する道を提唱するのが、反出生主義なのです。
幾月を反面教師に「生きる意味」を見出していく
仏教では、人間に生まれたことについて次のように教えられています。
人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。
人間に生まれることは、非常に稀有。
しかし、人間として生まれ、生きている。
仏教を学べるのも、大変に稀なこと。
ところが、現に仏教についての記事を読み、よく知り、学んでいる。
そんな天文学的な確率のことが起こったのだ、と言われているお経の言葉です。
稀有ということは、有るのが難いということ。
文字通り、「人間に生まれたことは有り難いのだよ」と教えられています。
それは何故か。
人間には必ず生まれた意味があるからです。
どんなに苦しくても、不安でも、生きていく理由がある。
「人生の意味を知らない」ことと、「人生の意味がない」ことは全く違います。
諦める必要はありません。
ぜひ、仏教を通して生きる意味を知ってほしいと思います。
さて、結局何がしたかったのかわからないと言われがちな幾月。
当時の世相や、現代の思想から鑑みても、私たちの心の深いところに横たわっている本心を代弁してくれたキャラクターといえるのではないでしょうか。