ワンピース・サンジに学ぶ 人生を後悔に終わらせない視点

前回まではONE PIECEの主人公であるルフィの言動を通して人から好かれる秘訣について紹介をしておりました。皆様からたくさんの反響をいただいているようで、私自身とても嬉しく思います。

さて、世間ではお盆ということで、休みをもらって帰省をしたという人も多いと思います。かく言う私も実家に帰省をしてきました。今回はそんなお盆にちょっと関係のある内容で書いていこうかと思います。

「食べ物を粗末にする奴は絶対に許さない」 サンジの教訓

ONE PIECEにおいて、登場人物たちのバックボーンを描いた「過去編」はエピソードとしても大変人気があり、とても感動的な内容のものが多いです。今回はその中で非常に考えさせられるサンジの過去編を紹介したいと思います。

サンジといえば、麦わらの一味の食事を一手に引き受ける料理人です。

女好きであることは有名で、たとえ敵であっても女性は決して攻撃しないことを信条としていたり、料理人として大事な手は戦闘の時に絶対に使わないというポリシーを持っていることでも知られています。

そんなサンジは「食べ物」に関して非常に思い入れが強く、食べ物を粗末にする人はたとえ客であろうと絶対に許しません。彼がそこまで食べ物にこだわるのは一体なぜなのでしょうか。それには彼の幼少期の体験がとても深く関係しているのです。

サンジ少年はかつて客船の見習いコックとして働いていました。ある日、厨房で客の残した食事をもったいないと食べている仲間たちを見て、残り物の食事を捨てていたサンジは言います。

「皆やめろよ、客の残りモンなんて。食料ならたくさんあるし、2日後には港に着くんだから」

それに対し、先輩のコックが忠告します。

「俺達は海のコックってことを忘れるな。海ってのは何が起こるかわからないんだから節約しとくに越したことはないんだ」

残り物を勧める先輩たちに、しかし、サンジはいらないとそっけなく言ったのでした。

そんな折、サンジたちの客船が「赫足(あかあし)のゼフ」率いる海賊船に襲われてしまいます。更に追い打ちをかけるように、海賊船もろとも突然の嵐に見舞われ、船は沈没しました。

サンジはゼフと共に何もない岩山に打ち上げられ命は助かりますが、助けを呼ぼうにもいつ船が近くを通りかかるかもわからず、食料は一切手に入らない状況。あるのはゼフから分けてもらった普通に食べて5日分の食糧だけ。助けを待つしか道はありません。

幸いにもコックであるサンジは5日分の食糧を20日分に分け、20日もあれば船が通るはずと希望をもって生き抜く決意をします。ところが、1日たっても、5日たっても、一向に助けは来ません。その間にもどんどん減っていく食糧。25日が経過する頃には、食糧はつきに底をつきました。

最後に残ったカビの生えたパンをかじりながら、サンジは在りし日の厨房での先輩たちとの会話を思い出していました。

あの時どうして残り物を捨てたりしたんだろう。

あの時どうして先輩の言葉に耳を傾けなかったんだろう。

あの時どうしていらないなんて言ったんだろう。

食糧をいくらでもあるものと軽く見て、捨てることを何とも思わなかったかつての自分を振り返り、空腹でお腹を鳴らしながら後悔の涙を流すのです。

その後、何とか助かったサンジはゼフと共に海上レストランを開き、誰よりも食べ物を大事にするコックとなったのでした。

「まだまだ大丈夫」の油断が招いた、苦しい経験

もう一つ、今度は私の話をしたいと思います。

お盆に関係があると書いておきながら季節感のない話で大変申し訳ないのですが、去年の冬のことです。

私は北陸の富山県に住んでいるのですが、雪の降る地域ですので、冬の間は車のタイヤを専用のものに変えなくてはなりません。毎年そろそろ降るかな、という頃に変えるのですが、去年は寒くなってきてもまだまだ大丈夫と高をくくってなかなかタイヤを変えずにいました。

ところが、その年は例年よりだいぶ早く、しかもいきなり大量の雪が降ってしまったのです。仕事を終えて会社を出る頃には車の上に積もっているのはもちろん、道も真っ白になっていました。

専用のものではないタイヤでは滑ってしまって思うように道路にも出られません。泣く泣く雪かきをする私を見かねて後から来た同僚が手伝ってくれました。情けないやら申し訳ないやらで大変痛い思いをし、会社を何とか出られた後もタイヤを専用のものへ変えるべくお店へ向かうのに、スリップするのではないかと戦々恐々となりながら運転をしたのでした。

この経験から、私はタイヤは余裕をもって変えなければならないことを学んだのです。

失敗してしまう人の共通点

この2つの話の共通点はなんでしょうか?

それは、「自分にめったなことは起きないだろうと思っている」ということです。

先輩から忠告があったように、海にいる以上は何が起こってもおかしくないことはサンジ自身もわかっていたはずです。

そして私もいずれ雪が降ることはわかっていました。

それなのに行動に移さないのは、「自分だけは大丈夫」と根拠のない思い込みをしていたからです。時間で失敗する人は大体この思い込みをしています。

おかしなもので、私たちは何かが起こってからでも問題なく対処ができると思っているのです。しかし、それは大きな間違いです。上記のエピソードからもわかるように何かがあってからでは手遅れなのです。

「居安思危(こあんしき)」という言葉があります。

これは「平安無事な時でも、危機に備え用心を怠らないこと」という意味です。本当は何もない平和な時、時間のある時にこそちゃんと準備をしておかなければならないのです。多くの人はそれを忘れている。けれど、これこそ絶対に忘れてはならないことではないでしょうか。

人生において大事な「無常を観ずる」心がけ

考えてみると、私たちは本当は有限のものを無限にあると勘違いをする傾向があるようです。

無限にあると思ったら無駄遣いし放題です。大事にしようという心は微塵も起きてきません。食糧が無限にあると思っているから、食べ残すし、捨ててしまう。時間が無限にあると思っているからやるべきことを後回しにしてしまう。

夏休みといえば楽しい思い出作りのときでもありますが、楽しい夏休みには忘れようと思っても忘れられない天敵がいます。

そう、宿題ですね。宿題が終わらなくて苦労した人も多いと思います。

本当は時間は有限なのに、無限にあると思って時間を過ごしている私たちは、まさに夏休みの最後に宿題が終わっていなくて泣く子供たちと同じです。夏休みが無限に続くと思うからやるべき宿題を後回しにするのです。時間を無駄に使ってしまうのです。しかし、それでは後悔しか残りません。

仏教では「諸行無常」と言われ、すべてのものは続かないものであると教えられています。

中でも最大の無常は「死」です。私たちは必ず死んでいかなければならない。しかもそれがいつやってくるのかわからない。私たちの時間は限られているのです。「死」というワードはネガティブだし、考えると暗くなるという人も多いかもしれません。でも、そうではないのです。

「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」という言葉があります。死を見つめることが、幸せへの第1歩だと言われているのです。

死を見つめるということは、時間が有限であると知ることです。時間が有限であることを知れば、必ず時間を大事にするようになり、使い方を考えるようになります。

Appleの創業者、スティーブ・ジョブズも言っています。

「17歳の時、『その日1日を人生最後の日だと思って過ごせ』という言葉に出会った。

その言葉は深く印象に残り、以来33年間、毎朝鏡を見て自分自身に問いかけた。『もし今日が人生最後の日だったとしたら、今日しようとしていることを私はしたいだろうか?』

その答えが、何日も続けて ”No” だった時にはいつも、何か変えるべきことがあると知ることができた」

食糧が限られた状況で初めてサンジが食べ物があることの有難さを知ったように、無限から有限への視点の変化は、本当に大切なことが何かを教えてくれるはずです。お盆も過ぎましたが、この機会に改めて、無常を見つめてみるのはいかがでしょうか。

まとめ

無限から有限への視点の変化は、今まさに自分が生きている人生において本当にやるべきことを教えてくれます。時間だけでなく、あらゆるものを大切にできるようになるはずです。

私自身、普段の行いを反省して時間を大切にしていきたいと思います。