言えない
何でも話せる女友達でも言えないことがある
『東京タラレバ娘』は東村アキコ先生による漫画作品。
累計発行部数330万部を超える人気作品で、『このマンガがすごい! 』や『an・anマンガ大賞』など様々な賞で大賞を受賞。
今年1月にはドラマ化もされ、普段漫画を読まない層にも広く知られる作品となりました。
33歳になってから恋も仕事も失敗続きの主人公・倫子。
そんな倫子の心強い味方は高校時代からの親友・香、小雪でした。
何かあるたび女子会を開き、「痩せ『たら』」「好きになれ『れば』」と何の根拠もない仮定の話ばかりで盛り上がるアラサー独身3人娘。
苦しいアラサー人生でも、肩を寄せ合い辛いことを愚痴りあって共有してきた親友同士でした。
しかしあるとき些細なきっかけで友情に大きな亀裂が走ってしまいます。
それは「ACT16 ドロドロ女」で描かれた「女同士はこうなっちゃうとダメ」なケース。
原作漫画の内容をご紹介しながら、親友同士でも陥る人間関係の落とし穴について考察します。
何でも話せる親友の後押しで、気になるあの人とデートにこぎつけた倫子
主人公の倫子にはある転機が訪れていました。
KEYという男のはからいで嫌々引き受けた小さな仕事がきっかけで、生まれ変わったように仕事に打ち込むようになったのです。
KEYはストーリーの要所要所に現れては
「あんたらのソレは女子会じゃなくてただの行き遅れ女の井戸端会議」
等と倫子たちと読者の心を削る毒舌発言をぶっ放すイケメン。
しかし自暴自棄になって箱根で呑んだくれた倫子の様子を見に追ってきたり、北伊豆まで倫子の仕事ぶりを見に来たりと、何かと世話を焼くKEYの行動を見て女子会仲間の香・小雪は
「やっぱアイツあんたのこと好きなんじゃない?」
と指摘。
最近の度重なる恋愛の失敗で、恋愛に足踏みする倫子を見て、香たちは半ば強引にKEYと連絡し、デートを勝手にセッティングします。
「倫子、あたしたち昔っからさ
高校の時からこうやっていっつも恋愛話してさ」
「そうよ、恥ずかしいとこいっぱい見せあったじゃん」
「お互いの恋愛の失敗もみんな知ってるしさ」
「昔からこうやってお互い背中押し合って生きてきたじゃないの」
何でも話せる女友達の力強い後押しで、気になっている相手・KEYとディナーに行くことになった倫子。
しかしデートの結果は予想外なことに。
「もうアンタもいい歳なんだから単刀直入に言えよ
自分で電話してこいよ
あんたらはいつもそうだ
いい歳こいて女同士でつるんで騒いで
あることないこと妄想して
それだけに基いてたいして考えずに行動する
だからオレも警戒する
あんたらを見てるとイライラする
そんな女とは恋愛できない」
「何でも話せる女友達」にも言えないホンネがある
言えねぇ
北島康介じゃないけど
何も言えねぇ
親友が「勝手にアポイントメント★」したことにより実現したKEYとのデートは、散々な結末に。
KEYが不快感を露わにし非難したのは、倫子を後押ししたはずの「何でも話せる女友達」のノリでした。
香たちのお節介で恋愛が失敗してしまったとはとても香たちに言えず、「ホンネ」のはけ口を見つけられない倫子は占いにのめり込むようになります。
香たちにも占いを勧め、一緒に「原宿の母」と言われる占い師のところに行きますが、それがきっかけで3人は口論に。
険悪な雰囲気に呑まれ倫子はつい「言ってはいけないホンネ」をぶちまけてしまいます。
ダメ
言っちゃダメ
言うな
「言われたのあいつに
いい歳こいて女同士でつるんでばっかのあたしらみたいな女とは恋愛できないって
33にもなって女友達とギャーギャーはしゃいでるのはいい女じゃないって」
「え…あたしらが あんたをけしかけたからあいつがドン引きしたっていいたいわけ?
何それ人のせいにしないでよ」
ああ
やっちまった
もうダメだ
女同士はこうなっちゃうと
もうダメなんだ
女友達のホンネと建前は難しい!筆者も痛感したその失敗
このエピソードを見ていて筆者が思い出すのは高校時代の失敗です。
筆者がいた文系クラスは女子生徒が圧倒的に多く、いくつか女子グループができていました。
内向的な私は中々グループに所属できませんでしたが、趣味の話が合うAちゃんと友達になり、その子がリーダー格となっていたアニメやゲーム好きメンバーが集まっているグループに入ることに。
クラスにいたギャル達のグループは恐かったですがここにいれば大丈夫、と安心できていました。
学校ではクラスごとに結束して取り組む演劇発表が文化祭の一番の華で、審査員によりランキングも発表されるのでどのクラスも必死に準備します。
筆者はもちろん裏方だったのですが、裏方も夜遅くまでヒロインや脇役の練習を見て全体を把握したり、応援したりというのが慣例です。
しかし私はストレス性胃炎に悩んでおり、同じグループのAちゃんに持病の事情を説明して早めに帰っていました。
しかしあるとき、夜遅くAちゃんからメールが。
メールの内容は「絶縁状」でした。
私たちは裏方でも練習の応援を遅くまで頑張ってるのに、自分だけさっさといつも帰って非常識だよ。
他のBちゃん、Cちゃんもそんなお前のことをキライだと言っている。
二度と私達に話しかけないで欲しい。
その日から私はクラスに居場所が全くなくなり、高校時代の一番の思い出になるはずの修学旅行も断念、授業中やホームルームは居場所のないクラスに耐え、休み時間になると教室を飛び出し他のクラスにいる親友のところで過ごしました。
そんなとき難病にかかってしまい、今でも闘病しています。
医師には原因不明と言われましたが、当時の私はAちゃんの「制裁」によるストレスが原因としか思えませんでした。
本当はAちゃんが建前で言ってくれていた「今日も先に帰るんや、大変やね」という言葉の裏には
「私たちだけ遅くまで、参加したくもない練習の応援に参加させられるのに、この子は私たちの苦労を何も分かってくれないんだなあ」
というはっきり言えないホンネがあることを私は見抜けなかったのでしょう。
友達のホンネと建前を察せていなかったのです。
しかし当時の自分は、すべてAちゃんのせいだ!私より苦しい病気になって地獄を味わえ!としか思えず、恨み呪う真っ暗な心で高校時代を過ごしたのを覚えています。
しばらくしてAちゃんは、同じグループのBちゃんの悪口を本人のいない場で言うようになりました。
「Bちゃんはいつも後ろ向きなことばかり言って、会話してると雰囲気を壊すから絡みたくないわ~」
自分も同じように悪口を言われていたんだと思い、ゾッとしたのを覚えています。
お釈迦様は「ホンネ」も「建前」も人に言えないことだらけなのが人間だ、と見抜く
『東京タラレバ娘』の倫子は「こんなことを言ったら人間関係が壊れる」ホンネを思わず言ってしまい親友を(一時的にでしたが)失い、筆者も友人の「言えないけど察して欲しい」ホンネを見抜けなかったことで一生に一度しか来ない高校の修学旅行の機会を失いました。
特に日本人は「ホンネ」は滅多に言わない人が多く、「空気を読める」ことが必要とされています。
反対に人間関係を当たり障りなく過ごすには、人を不快にするホンネは隠し、相手の発言の建前に隠れたホンネを汲み取ることが大切な訳です。
しかし仏教を説かれたお釈迦様はそんな私たちの姿を、うまく世渡りしていくために本心と違うことを言い、互いに騙しあっているとお経に説かれています。
有名な日本の仏教書にも
よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなき(歎異抄)
という一節があり、人の心も言葉もそらごと、つまり偽りだらけの世界がヒトの生きる世界だという意味です。
初めて学んだとき、頭では分かっても感情的には中々受け入れがたい真実が仏教には説かれているなあと感じましたね。
しかしその一方、自分が高校時代に苦しんだ心を、誰よりも分かっているのがお釈迦様のようにも思いました。
お釈迦様は35歳で仏の悟りを得てから、こんなウソ偽りだらけの存在が私たち人間であることを繰り返し説かれました。
そんな人類の実態を説かれた上で、私たちが幸せになる道を説いていかれていったのです。
卒業してからもAちゃんをずっと呪い続けていた筆者は、仏教を学んではじめてAちゃんのことを非難できない心が自分にもあることを知らされました。
思えば、Aちゃんの絶縁状や言動は自分の心の映し鏡。
他人に言えない醜いことばかりを思い、他人に気に入られるためについ嘘をつく。
そんな自分の姿をありのまま、ぶちまけてくれた存在だと思います。
「建前」に隠れた他人のホンネという苦しみを見ようとせず、そのために受けた苦しみも客観視できなかった私にとって、倫子が陥った失敗はとても共感できました。
仏教はいわば、そんな倫子や私のような女子のために説かれた教えではないでしょうか。
今後も学びながら、少しでもお伝えできたらいいなと思います。