Fateシリーズのアニメ化最新作『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』が、全国動員・興収ランキングともに、第1位を記録。
アプリゲーム『Fate/Grand Order』もトップクラスの人気です。
長年ファンたちの支持を受けるFateシリーズの中でも人気の高い『Fate/Zero』で描かれる人生哲学の深さをこのコラムでは考察してきました。
前回まではケイネス陣営を苦しめた人間の欲の実態について解説。
エリート魔術師で、聖杯戦争での勝利が約束されていたはずのケイネス先生を苦しめた人間の実態について深読みしてきました。
今回は物語の佳境、ケイネス先生の末路が私たちに諭してくれたことを考えてみたいと思います。
『Fate/zero』佳境に入った物語のあらすじ・ケイネスとディルムッド、ソラウを襲った最悪の展開
※『Fate/Zero』ストーリー終盤のネタバレがあります。ご注意ください。
『Fate/Zero』の舞台「第四次聖杯戦争」はどんな願いも叶える聖杯を巡って、7人の魔術師がサーヴァントという英霊を戦わせ、生き残った者だけが聖杯を得ることができるという闘争です。
聖杯戦争の参加者の一人、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは「ロード・エルメロイ」の二つ名で知られる高位の魔術師でした。
折り紙付きの血筋を持つ許嫁ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリとの結婚も控えていたケイネスは栄光の人生に総仕上げを施すため、聖杯戦争に参加。
しかし召喚したディルムッド・オディナというサーヴァントは騎士としての誉れある戦いを好み、ケイネスと戦闘方針が合いません。
さらに許嫁のソラウはディルムッドと出会ったことにより生まれて初めて恋を知り、変貌してしまいます。
ディルムッドに愛されたいという欲のままに負傷したケイネスを脅迫、令呪を奪ったソラウは聖杯戦争に参加しますがセイバーのマスターの策略で奇襲され、右手ごと令呪を奪われます。
細く優美だった手首の断面から、まるで閉め損なった蛇口のように鮮血が迸り出る様を、ソラウは信じられない気持ちで見守った。
右手が、ない。
痛みより、失血の悪寒より、なおいっそう絶望的な喪失感がソラウの思考を真っ黒に染めた。
駄目だ。アレがなければ困る。
ディルムッドを呼べない。
ディルムッドに構ってもらえない。
手首を切り落とされたとき、ソラウが思ったのは「ランサーに構ってもらえなくなる」という不安。
命の危機が迫った状況の中でも、ディルムッドに愛されたい欲でソラウの心はいっぱいでした。
自分を誰よりも愛してくれたケイネスの想いにも、自分の命の危機にも気づくことなくソラウの意識は途切れていきます。
一方ソラウが拉致されたことを受け、ディルムッドはケイネスから凄まじい叱責を受けます。
ディルムッドはソラウが道ならぬ恋で暴走した結果、無理矢理契約させられたサーヴァントであり、正規のマスターではないソラウの危機に気づくことは難しい状況でした。
しかしケイネスはかねてから、かわいい許嫁ソラウを色男ディルムッドに奪われるのではないかという嫉妬でいっぱいで、全ての責任はディルムッドにあると決めつけ、尊厳を傷つける言葉を投げ続けます。
ケイネスは、悋気に昏く濁った眼差しでランサーを凝視した。
「よくもぬけぬけと言えたものだな。惚けるなよランサー、どうせ貴様がソラウを焚きつけたのであろうが」
「な…断じてそのようなことは……」
「ハッ、白々しい!貴様の間男ぶりは伝説にまで名を馳せる有様よ。
主君の許嫁とあっては、色目を使わずにいられない性(さが)なのか?」
跪いて面を伏せたままのランサーの双肩が、危ういほどに激しく震える。
「ーーーわが主よ、どうか今のお言葉だけは撤回を」
「フン、癇に障ったか?怒りに耐えぬか?何となれば私に牙を剥くつもりか?
無償の忠義を誓うだなどと綺麗事を抜かしておきながら、ひとたび劣情に駆られれば翻心するケダモノめが。
貴様がしたり顔で語る騎士道なんぞで、このケイネスの目を晦ませるとでも思っていたか?」
「ケイネス殿……何故、何故解ってくださらない!?」
ディルムッドは生前、主君の許嫁・グラニア姫との不倫で果たせなかった、主君への曇りないまっすぐな忠義を今度こそ実現したいだけ。
しかし誰もがうらやむ栄光を手にしながら、なおも箔をつけるために聖杯戦争に参加していたケイネスにはディルムッドの願いは理解できず、二人の思いはどこまでいっても平行線をたどるだけでした。
ディルムッドに訪れた悲劇と、あまりにも凄まじいその最期
完全に信頼関係が破綻したケイネスとディルムッドの元に敵が突入してきます。
来たのは、ランサーが好敵手にふさわしいと認めた女騎士・セイバーでした。
「セイバーよ……この胸の内に涼風を呼び込んでくれるのは、今はもう、お前の曇りなき闘志のみだ
……騎士王の剣に誉れあれ。俺は、おまえと出会えて良かった」
騎士として主にまっすぐに仕える栄誉。
その名誉欲に共感してくれるのはいまや騎士王・セイバー一人だけ。
たとえ主人に自分の忠誠が理解してもらえなくても、その槍は忠義の騎士道一筋に振るいたい。
そんな願いに応えてくれたセイバーとの真剣勝負に臨んでいたランサーに思わぬ惨劇が起こります。
「あ……」
ランサーのみ開かれた両目から、赤い涙が流れ落ちる。
彼にとって、主君による謀殺はこれが二度目だ。
その不遇なる結末を覆す事だけに執心し、ふたたび英霊の座より罷り越して現界することを悲願したディルムッド・オディナ。
だがその結果として彼にもたらされたのは、かつての悲劇の再現ーーーあの絶望と慟哭の全き再体験でしかなかった。
血の涙に濡れた瞳で、英霊は背後を振り向く。
折しもそこには、彼の結末を見届けるために廃工場から出てきた二人のマスターの姿があった。
ランサーがセイバーとの戦いに身を投じている間、二人のあずかり知らぬところでケイネスはセイバーのマスター・衛宮切嗣に取引を持ちかけられていました。
切嗣は「自己強制証文(セルフギアス・スクロール)」という決して取り消すことのできない魔術の契約書でソラウの命と引き換えに取引に応じるよう迫ります。
その内容は条件を呑めば、切嗣はケイネスとソラウを未来永劫殺すことができないという誓約。
条件は
『残る全ての令呪を費やして、サーヴァント(ディルムッド)を自決させる』
でした。
仏教では私たち誰もが持つ煩悩の中で、最も私たちを苦しめ悩ませるものは欲・怒り・嫉妬の心だと言われます。
ケイネスが愛するソラウの存命と栄光の人生を天秤にかけてソラウを選んだように、私たちは何かの欲を抑え込んでいるときも、それは別の欲を満たすためなのです。
毎日眠い目をこすり、朝早くから電車に乗るのも、それは会社に遅刻しないという別の名誉欲を満たすためのもの。
ケイネスは、ソラウに愛されたい欲と、聖杯戦争で勝利し人生の栄誉を取り戻したい欲を天秤にかけ、ソラウを選んだのでした。
しかしディルムッドにしてみれば辛くても耐えてきたケイネスへの献身が全て裏切られたのも同じ。
どんなにケイネスになじられても必死に忍耐してきたディルムッドは、騎士としての名誉を砕かれた怒りで豹変します。
「貴様らは……そんなにも……
そんなにも勝ちたいか!?そうまでして聖杯が欲しいか!?
この俺が……たったひとつ懐いた祈りさえ、踏みにじって……
貴様らはッ、何ひとつ恥じることもないのか!?」
その美貌は憤怒の血涙に歪み、いまや見る影もない鬼相と化していた。
憎しみに我を忘れたランサーは、もはや誰彼の見境もなく、切嗣に、セイバーに、そして世界の全てに向けて、喉も張り裂けよとばかりに怨嗟の叫びを吐き散らした。
どんな理不尽な扱いを受けても耐え忍ぶ心も姿も美しい英雄だったディルムッド。
そのディルムッドがたったひとつの祈りである「騎士道」という名誉欲を満たせなかったとき鬼となり、怨嗟の言葉を吐き散らしながらこの世を去ります。
人間を苦しめる煩悩の心のうち、最も強い煩悩のうちの一つが欲、そして怒り。
怒りの心は普段の美しい佇まいや物腰は何もかも吹き飛んで、美しい英雄さえも鬼に変えてしまうのです。
地獄の釜はもう開いていた。ケイネス先生の最期から分かる、私たち人間の実態
「赦さん……断じて貴様らを赦さんッ!
名利に憑かれ、騎士の誇りを貶めた亡者ども……
その夢を我が血で穢すがいい!
聖杯に呪いあれ!
その願望に災いあれ!
いつか地獄の釜に落ちながら、このディルムッドの怒りを思い出せ!」
既に高い地位を得ながら、さらなる名利を求めて聖杯戦争に参加し、恋人への愛欲のために自身を殺したケイネスに、ディルムッドは凄まじい最期の言葉を残します。
しかしディルムッド自身も、自分が良しとする騎士道の名利に目がくらみ、ケイネスの心を最期まで理解できなかったのでした。
そして「いつか地獄の釜に落ちながら、このディルムッドの怒りを思い出せ」と言われたケイネスとソラウの足下に既に地獄の釜は開いていました。
「衛宮切嗣はケイネスとソラウを殺せない」という契約を結んだ直後、切嗣は部下に命じてケイネスとソラウを射殺します。
痛みすら感じる間もなく即死したソラウはむしろ幸いだったかもしれない。
ケイネスは蜂の巣にされて車椅子から転げ落ちた後も、無惨なことにまだ呼吸を止めていなかった。
むろん致命傷は全身数カ所に亘り、どうあって救命の望みはない。
たとえ秒読みとなった余命でも、そのすべてを死の苦しみに悶えて過ごすなら、それは残酷なほどに長すぎる時間だっただろう。
「……が……殺、せ……ッ……殺し、て……」
「悪いが、それは出来ない契約だ」
足許から弱々しく乞う声に一瞥をくれることもなく、切嗣は吸い込んだ紫煙を長々と吐きながら、淡泊な声で応じた。
痛みに噎び泣く声は、だがそれ以上続くこともなかった。
見かねて駆け寄ったセイバーの剣が、一閃のもとにケイネスの首を刎ねて、その苦悶を終わらせたからだ。
魔術師の世界で羨望の的だったケイネスとソラウは、更なる名誉を求めて飛び込んだ聖杯戦争で、健康な肉体も、最愛の人も、そして自分の命さえ、すべてを失ってこの世を去ります。
『Fate/Zero』の中で最も栄耀栄華を誇っていた人物でありながら最も悲惨な最期を遂げたケイネス先生とソラウ。
「名利に憑かれた亡者」となった彼らを見ていると、人間が限り有る儚い人生で求めきれぬ欲望を満たそうとし、満たせぬまま死んでいくことが知らされます。
昔類まれな商才を持ちながら出家し仏道を歩んだ僧侶がこのような歌を残したのを、ふと思い出しました。
落ちて行く 奈落の底を 覗き見ん 如何ほど欲の 深き穴ぞと
もっともっと他人に賞賛される人生を…という欲の煩悩は果てしなく広がっていく。
そして欲の心に振り回され、自分だけが名誉を得たいという心で人を傷つけていることにも気付かず、必死に生きるうちにあっという間に一生は終わる。
ケイネス先生は私たちのありのままの姿を教え、人生を見直すヒントをくれているように思います。
※ストーリー紹介は『Fate/Zero4 散りゆく者たち (虚淵玄・星海社文庫)』から引用させて頂きました。