【2018/09/26更新しました】
「みんなはどこだ。返してもらう。」
『宝石の国』は市川春子先生により『アフタヌーン』で連載中の漫画作品です。
昨年単行本5巻までの内容がアニメ化され高い評価を獲得、2期の制作が期待されています。
来月、10月23日にはファン待望の最新巻9巻が発売予定で、筆者も読めるのを楽しみにしています。
人類がいなくなった遠い未来の世界に生きる宝石たちを描いた『宝石の国』。
宝石の擬人化という着想やキャラクターの美しさが高い評価を得ている本作ですが、多くのファンを虜にして止まないのはそれだけではありません。
世界観や物語のベースにある深い哲学性も本作の大きな魅力です。
今回は8巻で明らかになる「月人」の正体から『宝石の国』が教えてくれる人間哲学をお伝えしたいと思います。
【あらすじ】宝石たちの天敵・月人 その正体がついに明らかになる ※8巻ネタバレ注意
六度の隕石で大陸が沈み、人類が滅んだ遠い未来。
たった一つ残った大地である浜辺には、人型の宝石たちが暮らしていました。
宝石でできた肉体の中には微小生物がおり、体をバラバラに砕かれてもつなぎ合わせれば元に戻る特性があります。
不死に近い宝石たちには、唯一にして強力な天敵がいました。
それは月からやってくる狩人である月人。
月人たちは度々空から現れ宝石たちを攫っていくので、互いの長所を活かし力を合わせて宝石たちは対抗していました。
主人公・フォスフォフィライトはその中で最年少。
虚弱体質で戦闘にも出られず、不器用で他の仕事もできない状態でしたが、300歳のとき転機が訪れます。
海で両足を失い、代わりに繋いだアゲート化した貝殻で駿足になり戦闘に出られるようになるのです。
しかし初戦では戦力にならず、悔しさからいつも冬眠している冬の時期に仕事をするようになります。
しかし今度は両腕を失い、代わりになる素材を探していたときに月人に襲われ、仲間のアンタークが身代わりとなって攫われていくことに。
自責の念からフォスは戦闘の最前線で月人を倒す戦士に変わっていきました。
変化したフォスは、師であり育ての親である金剛先生が月人と近しい存在なのではないかと疑いを持ち、月人から金剛先生の正体を聞き出そうとします。
しかし謎を探る中で今度は協力してくれた仲間・ゴーストがフォスの身代わりになり月に消えていきました。
仲間に迷惑をかけまいと思ったフォスは金剛先生を詮索することを諦めますが、その後月人との戦闘中に首を撃ち抜かれ頭部を失います。
頭を無くしたことにより意識を保てなくなったフォスは、かつて頭部だけを残して月に消えたラピスという仲間の頭を接合されました。
そして百年の時が経ちます。
奇跡的に目覚めたフォスはラピスの天才的頭脳を受け継ぎ、金剛先生の正体を暴くため再び動き出し、最終的に月人にわざと攫われる形で月へ行きました。
降り立った月の世界でフォスは金剛先生と月人の正体を知ることになります。
「ようこそ 月世界へ」
「みんなはどこだ」
「そこら中に」
「返してもらう」
「どうぞ 好きなだけ」
フォスの目の前に現れた月人は仏像を彷彿とさせる衣装をまとった美しい青年でした。
彼は他の月人たちから「王子」と呼ばれ慕われる存在、エクメア。
宝石たちは攫われたあと裁断機で粉末にされ、月の表面に撒かれていたと聞きフォスは衝撃を受けます。
「君たちで飾り付けた
この星は美しいよ
さて
この完全に混じり合った明るい灰色の粉を
いくら持って帰ってくれても構わないが
君は以前から私たちと話をしたかったようだね
なにを
訊きたいかな?」
月人が宝石たちを攫っていた本当の理由は、生きるのに疲れたから
「人間はかつて存在した生物の一種で
君たちの祖でもあるな
動物である人間が死と言われる活動停止の状態を迎えた時
人間を構成している肉と骨と魂のうち
肉と骨は星に還る
一方これは人間文明の末期に判明したことだが
魂は肉体から放出されたのち
分解され純粋な魂の元素となり宇宙のある一点に辿り着く
そしてそこから別の宇宙と呼ばれる領域へ吸い込まれる
魂の分解には質は問わないが生きている別個体の人間の祈りが必要だ
誰の祈りも得られないまま
月に座礁し変容した人間の魂の集合体
それが私たちだ」
エクメアは自分たち月人は人類が滅亡したとき肉体を失い魂だけが残され、変質した集合体だと言います。
誰かの祈りが無ければ魂は分解されないと考えた人間たちは、最後の人間が魂を分解してもらうため人間そっくりの機械、つまりAIを作りました。
「君たちが先生と呼んでいるあれは
人間が最後に作った
祈りのための機械だ」
金剛先生は人類の臨終を見送るために作られたロボットだったのです。
エクメアと話をするフォスの目の前に広がるのは、月内部からせり上がる特殊な金属と鉱油で作られた都市で、その文明は人類を凌駕するほど発展していました。
しかし高度な科学技術を持つ都市で暮らす王子から語られた言葉は、あまりにも意外なものでした。
エクメア「無になりたい」
フォス「今のままじゃダメなのか?」
エクメア「皆を早く自由にしてやりたい
楽しそうに見えるだろうが
皆無理をして疲れ果てている
朝起きて
食事を摂り
糞(くそ)をして
誰かと対話し
和解し愛し合い
啀(いが)み合う
絶えず進展していない
不安に侵され
むりに問題を探し出し
小さな安心を得る
永久にその繰り返し
永くを彷徨う我々に
この人間の野生はもう合わない
苦痛だ
だがなぜかずっとこびり付き逆らえない
ひどい呪いだ」
肉体を離れて永遠の命を得ることができたという点で、月人は不老不死という人類の願望を体現した存在です。
栄耀栄華を誇り、満たしきれない欲を満たすため地上の生物を狩っていたように見えた彼らですが、永遠の生を得た月人にとって「人間の野生」は苦しみでしかありませんでした。
エクメアは「無になりたい」ために、自分たちの魂を破壊する役目を放棄した金剛先生への当て付けで宝石たちを拉致していたのです。
仲間を助けるため金剛先生を動かすことに前向きな姿勢を見せたフォスに、エクメアは縋るような表情で言います。
「君が我々を救ってくれる
そんな気がするよ」
エクメアはブッダがモデル?つらい人生の本質を真っ直ぐに見つめたブッダの答え
愛らしい見た目で同じような衣装を身にまとう、性別のない宝石たちが主役の『宝石の国』。
端正な青年のような姿をした「王子」として描かれるエクメアは、登場人物の中でかなり特徴的です。
(筆者は一目惚れでエクメア沼に落ちました)
美しい容姿を持ち高度な文明都市にある王宮のような所で暮らし、皆に敬われ美女に囲まれていながら生きることに強い苦しみを感じている。
その姿は後にブッダと言われる歴史人物・シッダールタ太子に似ています。
インドのある国の王子として生まれたシッダールタ太子は文武両道の才に恵まれ、将来は一国の王となる未来が約束されていました。
才能も財産も私たちが欲しいと願うもの全てに恵まれていた太子は、成長するにつれ物思いにふけることが多くなります。
美女と結婚し子供にも恵まれるも、心が沈んだままの息子を心配した王は、美女をはべらせて贅を尽くした生活をさせ太子の気持ちを明るくしようとしました。
しかしシッダールタ太子は29歳のとき全てを捨てて出家。
6年間の厳しい修行の末、仏の悟りを得てブッダと呼ばれます。
その後亡くなるまで説かれた教えが今日まで、仏教として伝わっています。
エクメア王子が「無になりたい」とフォスに打ち明ける前にも、美女たちが現れ
「あ もしかして
王子またおちこんでるのー?
もーいまさらじゃん!へこみ飽きない?
次があるって!元気出してこーよ!」
と励ます描写がありました。
エクメアを前向きにしようと日頃から周りが励ましているものの、彼の心は沈んだままであることが見て取れます。
ひょっとしたらエクメア王子は、シッダールタ太子がモデルなのかもしれませんね。
華やかな月の都市で楽しそうに暮らす仲間たちを見ながらエクメアは
「朝起きて 食事を摂り 糞(くそ)をして
誰かと対話し 和解し愛し合い 啀(いが)み合う
絶えず進展していない 不安に侵され
むりに問題を探し出し 小さな安心を得る
永久にその繰り返し」
と自分たちの姿を表現します。
日本で「一休さん」として有名な仏教の僧侶・一休宗純の名言にも
「世の中は食うて糞して寝て起きて、さて、その後は、死ぬるばかりよ」
という歌があります。
一休は室町時代の人ですが、現代の私たちも朝起きて食事をしトイレをし、仕事に行ったり遊んだりしたあと帰って寝て…という同じような毎日を繰り返している姿は変わりません。
同じことの繰り返しで終わっていく人生の実態をエクメアは「人間の野生」と表現し、魂を粉砕してもらうことで「人間の野生」から解放されたいと考えています。
しかしこれは私たち人間でいうなら、生きることの苦しみから解き放れたいと思って自殺するのと同じです。
エクメアのモデルとなっていると思われるブッダは不安と苦しみに満ちた「人間の野生」を持ったまま私たちが幸せに生きられる道を説いていきました。
楽しそうに暮らす月人の中で唯一、生きることの本質に気づいたエクメア。
彼は人類滅亡後の新たなブッダになるのか、それとも金剛先生を動かしてその命を終えるだけの存在になるのか。
今後の展開を楽しみにしながら、締めくくりたいと思います。