【ウマ娘・史実考察】黒い刺客・ライスシャワーは、ヒールか、ヒーローか。

もちょです。

ウマ娘 プリティダービーは、2022年2月24日に1周年を迎えた、Cygamesによるクロスメディアコンテンツ。
かつて、名勝負を繰り広げ、世間に旋風を巻き起こした競走馬たちのトレーナーとなり、一緒に夢を追いかけ、叶える物語です。
2期まで公開されているアニメだけでなく、ゲーム・CD…と、一大ブームを巻き起こしました。
特に、週刊ヤングジャンプにて連載されている『ウマ娘 シンデレラグレイ』は、書店では買い求められなくなったほどの人気ぶりを見せています。

そんなウマ娘プリティーダービーですが、ただ愛くるしい女の子たちが走って、歌って、踊るだけではありません。
彼女たち一人ひとりが葛藤し、つかみ取った「駆ける意味」と「涙ぐましい成長」が、丁寧に描かれています。
そこにこそ、ウマ娘の魅力が詰まっています。
可愛らしいウマ娘たちを愛でる作品であると同時に、その土台には少年マンガ顔負けの「熱血スポ根魂」が据えられているのです

ウマ娘プリティーダービーで、特に強調して描かれるのは「ライバル」と「挫折」。

今回は、輝かしい戦績をおさめながらも、他の競争馬たちとは異なる「挫折」を味わったウマをご紹介したいと思います。
もちろん、実際の競走馬とウマ娘の情報を交えながら!

この記事はこんな方におすすめ

  • ウマ娘プリティーダービーが好きな人
  • はちみーをなめると脚が速くなる人
  • 朝だけはパン派の人
  • お兄さマン、お姉さマン

では競争していきましょう! 今回はアニメ・ゲーム・史実のネタバレ有です

ライスシャワーの類まれなる戦績

ライスシャワーは、漆黒のステイヤーと呼ばれる、黒鹿毛(くろかげ)の競走馬です。

台湾表記では「米浴」だそう。
由来であるウェディング用語、ライスシャワーから来ています。
※食べるのに困らないようにという願いを込めて、夫婦へと投げるセレモニーのことです。

バランスのいい体型ながらも、その小柄さから、牡馬(ぼば=オスの馬)にしてはひ弱だと心配されていました。
しかし、デビュー戦では堂々の1着!
危なげなく、メイクデビューを果たします。

ウマ娘におけるライスシャワーも、高等部でありながら、身長145センチ・靴のサイズは21センチと小柄。

ライスはみんなを不幸にしちゃう……。それを……変えたくて……!
(『ウマ娘プリティーダービー公式サイト』より引用)

性格も、気弱で臆病です。
実際は間が悪いだけですが、ライスシャワーの周りでは不幸が起こるというジンクスに悩まされています。

ただ、この「周りのみんなを不幸にしてしまう」と思いこんでいるために、「気弱で臆病」という性格は、史実が背景だと考えられます。(※後述)

数々のG1レースを勝利したライスシャワー

さてライスシャワーは、重賞(特にG1レース)を数多く制した実力馬。
デビュー直後は、スプリングステークス、続くNHK杯にて、強力なライバルたちに囲まれ大敗するも、日本ダービー(東京優駿)で2着をもぎとります。

2着といえど、「無敗馬」として注目を集めていたミホノブルボンに追いすがった2着。
小さな体躯で、自身の実力を示したレースでした。

他にも、有馬記念や日本ダービーに並ぶ日本クラシック3冠競争の菊花賞、芝での最長距離3200mを誇る天皇賞(春)、日経賞などで勝利しています。

ちなみに、ウマ娘プリティーダービーでは、ifの世界線を自分の手で見ることができるため、史実では惜敗した戦いでも、彼女たちを勝利に導くことができます。

もちろん逆も然りで、実際には1着を手にした菊花賞や天皇賞(春)で負けてしまうこともあります。
ただ、レースの結果によってウマ娘の本音が見え隠れしたり、ライバルとの会話を楽しめたりして、更に愛おしくなること間違いなし。

これもまた、ifの景色を見せてくれるウマ娘プリティーダービーの醍醐味ですね。

三冠を望んだウマたちを押しのけたレコードブレイカー

とはいえ、ライスシャワーは、単なるG1勝利競走馬ではありません。
当時、3冠のかかっていた競走馬たちを押しのけ、1着をつかみ取ったウマでもあるのです。

しかも、ニューレコードのおまけつき。
その上、起こったのは1度だけではありません。
2度、起こったのです。

当然ながら、レコードブレイカー・ライスシャワーは、世間から注目の的となりました。

そしてそのレースというのが、ミホノブルボンをおさえた菊花賞、メジロマックイーンを阻んだ天皇賞(春)だったのです

ヒール(悪役)と呼ばれたライスシャワーの生涯

菊花賞・「黒い刺客」が、ミホノブルボンの夢を打ち砕く

ライスシャワーには、もう一つの名があります。

それが、黒い刺客

「極限まで削ぎ落とした、真っ黒な痩躯に、鬼が宿る――」。

ライスシャワーがその真価を発揮した「最初」の戦い。

それが、菊花賞3000mです。
雲一つない秋晴れに、津々浦々のステイヤーが集っていました。

当時、注目の1番人気となっていたのは、「栗毛の超特急」の異名を持つミホノブルボン。
デビューを果たしてから7戦7勝の負け知らずでクラシック2冠を達成しており、シンボリルドルフ以来2頭めとなる「無敗3冠」の期待を背負っていました。
しかも、ミホノブルボンは朝日杯フューチュリティステークスに出走していたため、シンボリルドルフの為し得なかった記録が樹立されるかもしれない、と重なる期待。

この時、ライスシャワーは2番人気。
ミホノブルボン陣営が、注視していたのもその2番人気のウマでした。
というのも、それまでライスシャワーとしのぎを削った4戦の中で、追い越されることはなかったものの、着実に少しずつ差を詰められていたからでした。
そしてその危惧は、現実となるのです……。

第4コーナー、残り400m地点――。

馬群の先頭を駆けていたミホノブルボンの背後から、迫る影。
雲ひとつない青空と、青々としたターフに染まらない漆黒のステイヤーが、そこに。

ギリギリの競り合いに勝ったのは……

ライスシャワー。

「競馬史上初の偉業」を阻止したウマに贈られたのは、失望にまみれた悲鳴でした。

そう、ライスシャワーの勝利など望まれていなかったのです。
観客が待ち焦がれていたのは、かつての皇帝を飛び越え、栄光を手にするミホノブルボンでした。

※ちなみに、トウカイテイオーとメジロマックイーンの青春を描いたスポ根アニメ(2期)でも、この菊花賞、そして天皇賞(春)での出来事はリアルに再現されています。
(アプリ版では、ifの世界線を楽しめるので、観客席からは歓声が上がります。)

天皇賞(春)・「漆黒のヒール」が、メジロマックイーンを玉座から引きずり下ろす

ミホノブルボンを阻んだことで、ヒール(悪役)と呼ばれるようになったライスシャワー。
その姿を網膜に焼きつけるが如く、駆け抜けた「2度め」の戦い。

それが、天皇賞(春)3200mです。

桜舞う季節、無尽蔵のスタミナを秘めたウマが集結。
この時に脚光を浴びていたのは、「名優」と呼ばれる芦毛、メジロマックイーン。

あのトウカイテイオーさえ、並ぶことを許されなかった。
「強すぎて面白くない」と、その圧倒的な実力を褒め称えられた。
そんな、孤高のステイヤーの3連覇

誰もが、芦毛の勝利を望みました。

最終直線、ひらいた、2馬身半の差。
約5m。

先頭を駆け抜けたのは、黒鹿毛のヒールでした。

「またライスシャワーが邪魔をした」。

ライスシャワーに浴びせられるのは、ブーイングの嵐。

ライスシャワーは、勝利を望まれない

そんな印象が、いつの間にか定着してしまいます。
この経緯から、ウマ娘であるライスシャワーの「気弱で臆病、自分が関わると不幸が起こる」というジンクスに悩まされる設定が生まれたのだと思われます。
(また、これらの史実を元にしたアニメ版のライスシャワーは、アプリ版よりもキリッとしており、異常ともいえるほどストイックなトレーニングを重ねる姿が印象的です。)

淀の悲劇・「小さながんばり屋」ライスシャワーの最期

ところが、2頭の名馬を立て続けに破った刺客も、徐々に振るわなくなります。
世間の評価は、「終わったウマ」。

そんな中。

2年ぶりにあの天皇賞(春)に出馬。
この頃には嫌われ役という印象は薄れており、人気も4番。
かつての気迫 ― 馬群を切り裂く鋭い走りも、まるで鬼が宿ったような執念 ― も感じられないライスシャワーは、期待されていませんでした。

しかし蓋を開けてみると、ラストスパートで末脚を発揮したライスシャワーは、ハナ差で1着。
この勝利により、「忌むべき悪役」「終わったウマ」から「小さながんばり屋」と復活を遂げたのでした。

そうして、その後の宝塚記念。
ファン投票で出馬を決める、上半期の締めくくりともいえるレースです。

天皇賞(春)で、復活劇を遂げたライスシャワーは、堂々の1位人気に。
悪役、嫌われ者、終わったウマ……どれも、今のライスシャワーには似合わない二つ名となっていました。

誰もが望みました、ライスシャワーの勝利を。

けれど、世界は残酷です。

第3コーナー。

異変。

ライスシャワーの小さな躰が、崩れ落ちる。

無残に折れた、左前脚。

かつてのサイレンススズカを思い出させる光景に、息を呑みました。

あぁ……もう、助からない。

名馬たちをはねのけた、嫌われ者の黒い刺客が、

遂に、はじめて夢を背に乗せたレース。

その、くゆらせた命の灯火が、小さく、小さく。

そして、

消えた。

ライスシャワーはヒールなのか、ヒーローなのか

レース場で、儚く散ったライスシャワー。

「淀の悲劇」と共に、レコードブレイカーとして語り継がれる名馬ですが、なぜヒール(悪役)と野次られてしまったのでしょうか。

当時の新記録を打ち出し、しかもG1を制した実力者なのに。

果たして、ライスシャワーは本当にヒール(悪役)だったのでしょうか。

それとも、ヒーロー(英雄)だったのでしょうか。

因と縁によって、結果が起こる

それを解くカギは、1つ。

それが、「正確に見た」因果関係です。

わかりやすい因果関係で言えば、以下のような「原因と結果」の関係です。

食べすぎて、馬体が大きくなりすぎてしまった。そしてレースで負けた

練習のしすぎで、前脚の骨が折れてしまった。そのせいで、引退を余儀なくなされた。

こんな例を聞くと、かわいそうだけど自業自得だろう……と感じてしまうのが正直なところだと思います。

反対に、以下のような話を聞けば、「本人が頑張った成果だ」と感じるでしょう。

距離適性に合ったレースに出場するようにした。そこから入賞できるようになり始めた

芝のレース場では成績振るわず、入賞すらできなかった。しかし、ダートのレース場に変更してから勝てるようになった

では、ライスシャワーは?

G1という重賞を制した実力馬なのに、褒め称えられなかった。
むしろ、嫌われ者になってしまった。

あれだけ強いウマだったのに、なぜ。

嫌われ者から、やっと抜け出せたと思ったのに、どうして。

これでは、頑張った者が報われないじゃないか。

そう思ってしまいます。

ところが、因果関係を紐解いてみると……

ヒール(悪役)呼ばわりされてしまったのは、ミホノブルボン・メジロマックイーンの二馬を阻止したから
決して、「レースに勝ったから」ではありません。

さらに言うと、三冠のかかっているようなウマが出馬していなければ、ライスシャワーは勝利を掴んでも目の敵にされなかったはず。

仏教では、「自分の行い以外」のことをと呼びますが、まさにミホノブルボンやメジロマックイーンのようなによって、ライスシャワーの評価が左右されたということです。

そして、レースに勝ったことで、ライスシャワーの名は全国に轟きました。

嫌われ者呼ばわりされながらも、ひたむきに努力をし続けたライスシャワー。
小さな体躯で記録を塗り替え、遂にはヒールの名を覆します。

「ウマ娘のライスシャワー」の人気も、その英雄たる戦績あってのこと。

ライスシャワーは強いウマでした。

ヒール」だった過去を乗り越え、勇気と夢を魅せる「ヒーロー」となることができたのですから。