『宝石の国』は『アフタヌーン』で連載中の市川春子先生による漫画作品。
昨年アニメ化され、幅広い層から高い人気を得ました。
最新巻ではついにキーキャラクターである「金剛先生」の正体が明らかに。
原作者の市川春子先生も高校時代学ばれたという、仏教哲学の視点から金剛先生の真実を考察したいと思います。
※『宝石の国』8巻の内容や物語の核心部分に関するネタバレがあります。未読の方はご注意ください。
【あらすじ】宝石たちの父のような存在・金剛先生の謎 ※8巻ネタバレ注意
六度の隕石で人類が滅んだ後の、遠い未来。
大陸は海の底に沈み、唯一残った浜辺には、人間そっくりな宝石たちが暮らしていました。
宝石たちは体をバラバラに砕かれてもつなぎ合わせれば蘇生できる特性を持っていましたが、月人と呼ばれる天敵により度々月に誘拐されていました。
最年少の主人公・フォスフォフィライトは虚弱体質で月人との戦闘に出られず、不器用で仕事もできない状態。
しかし300歳のとき両手両足を紛失したことで、代わりに繋いだアゲートの足や合金の腕を武器として戦えるようになります。
仲間を目の前で失う悲惨な経験から性格も大きく変化したフォスは、父のような存在・金剛先生と月人の関係に疑いを持つようになりました。
後に月人との戦いで頭部を失ったフォスはラピス・ラズリという別の宝石の頭部を接合され、102年後奇跡的に目覚めます。
移植された頭の持ち主だったラピスの天才的頭脳を受け継いだフォスは攫われたように見せかけて月へ行くことを決心。
月の世界でフォスは金剛先生の正体を知ることになります。
「君は以前から私たちと話をしたかったようだね
なにを
訊きたいかな?」
降り立った月面でフォスの前に現れたのは、美しい青年の姿をした月人でした。
周囲から王子と呼ばれているその月人はエクメアという名で、自分たちの正体を明らかにします。
エクメアによると、人類が滅亡したとき肉体を失った人間の魂が変質し、月で留まって集合体となった存在が月人。
死後誰かに祈ってもらえなかった魂は分解されず残ってしまうとエクメアは言います。
「誰の祈りも得られないまま
月に座礁し変容した人間の魂の集合体
それが私たちだ」
金剛先生の正体は、人間が最後に作った「祈りのための機械」
「君たちが先生と呼んでいるあれは
人間が最後に作った
祈りのための機械だ」
金剛先生は人間でも月人でもなく人の形をしたロボット、いわゆるAIでした。
「元々は最後の人間が寂しくないようにという叙情的見地から作られたようだが
実質は人間の肉体は元より
魂までも瞬時に分解する恐ろしいほど強力な破壊装置だ」
金剛先生は最後の人類が死を迎えたあと、その魂を分解することを期待されて作られた存在。
しかし人間が想定しなかった事態が起こりました。
「だがあれはいつからか壊れてしまってね
仕事をしなくなってしまった
まだ我々という分解されていない魂があるというのに
我々はどうにかしてあれを刺激し働かせるため
日々努力と試行錯誤を繰り返しているわけだ
金剛という名は
この世で最も堅いという意味でつけられた
君も知ってると思うがその名の通りでね
物理的に壊そうとしてもなかなか手強い
外装が純粋な人工六方晶ダイヤモンドという物質で作られている
まさか内部が先に壊れるとは
人間は作った物の後先についてはあまり考えなかったらしい
思いやりがないな」
月人は役目を果たさなくなった金剛先生を動かすため、数万年もの間、様々な手段で金剛先生に刺激を与えており、その一つが宝石たちの誘拐でした。
攫われたフォスの仲間たちは裁断機で粉々にされてから月面に撒かれ、その破片で輝く月を金剛先生に見せつけて挑発していたのです。
フォス「先生がいなくなれば僕らを襲う理由もなくなるんだな」
エクメア「斬新な考えだ…だが破壊し尽されては困る
直してもらわないと
しかしそうだな
もう少しだけ狂わせれば事態は変わるかもしれない
あれを揺さぶる真新しい君のアイデアがあれば聞きたいな」
フォス「おそらく
先生がまだ経験したことのないこと
それは
僕らの裏切りだ
仲間を説得して月へ連れてくる」
月人が宝石たちを襲う本当の理由を聞いたフォスは、仲間と共に金剛先生を裏切ることで平和を手に入れようと考えます。
先生がいなくなれば僕らを襲う理由もなくなる
まずは慎重に
だが すばやく
みんなを先生から
引き剥がす
100年前、戦闘に出られない体だと言われながら「先生が大好きだから助けたいんです」と言って戦おうとしたフォスは、そこにはいませんでした。
フォスは作戦を実行するため地上に戻り、金剛先生を裏切る計画に協力してくれる仲間を探すことに。
そんなフォスが地上に降り立ったのを見た瞬間、金剛先生は膝から崩れ落ちます。
「戻ったのか」
「はい」
「そうか
よかった」
金剛先生は本当に「壊れて」いるのか シンシャが見抜いたのは金剛先生の真実
フォス「先生が人間の道具というのは本当ですか」
金剛先生「ああ本当だ」
フォス「僕がどこで誰からそれを聞いたのか気にならないんですか……?」
金剛先生「ならない」
フォス「バ バカにしてます?」
金剛先生「してないが……」
フォス「僕がなぜ戻ってきたのか気にならないんですか!?」
金剛先生「ならない
おまえが戻ってきたなら
それで嬉しい」
月人から金剛先生の正体を聞き出したフォスは早速先生を問い質しますが、予想外な反応に戸惑います。
相手にされてない
僕が月に行こうと何しようと問題じゃない
そういうこと?
いややってみなければわからない
始めよう
一ヶ月という限られた時間で仲間たちを懐柔するため、フォスは仲間たちの弱みを突き自発的に月への興味を引き出しました。
「月で宝石の合成技術を見た」
「月は地面がぬるぬるして丸いものがいっぱい落ちてたような……」
ラピス譲りの巧みな話術で、何人もの仲間から月への強い関心を引き出すことに成功したフォスは最後、シンシャに金剛先生の正体を明かして月への同行を求めます。
シンシャは非常な才能を持っていましたが、毒液が出る体質のために孤立していました。
フォスが劇的な変化を遂げる、最初のきっかけになった存在でもあります。
「三日後
月へ帰るよ
僕らが僕らの意思で
月に向かうことで
先生に初めての揺さぶりをかける
月人の望みを達成できれば
僕らはきっと大きく変われる
今度こそ一緒に行こう」
かつてシンシャはフォスにこう言いました。
「俺はここで攫われるのを待っている
月でなら俺に価値を付けてくれるかもしれない
ずっと待っているがこない」
100年前、この地上で存在価値が無いなら月へ攫われたいと言っていたシンシャ。
しかし彼の答えは意外なものでした。
シンシャ「それじゃ先生が可哀想だ
俺は行かない」
フォス「月なら君から出る毒も抑えられる
それでも?」
シンシャ「それでも」
月へ攫われてしまいたいと言っていたはずのシンシャが言った
「それじゃ先生が可哀想だ」
という衝撃的な言葉。
この言葉には、金剛先生が「壊れた」本当の理由が隠れているように思われます。
金剛先生はロボットでありながら「親」の心を持ってしまった?悲しい親の性がそこにある
なぜ金剛先生は月人たちの魂を分解する仕事を止めてしまったのでしょうか。
エクメアはこう言いました。
「あれはどういうわけか
君たちを大切に思っているから」
月へ行くことを決心する前、フォスは海に生息する種族の王・ウァリエガツスと言葉を交わします。
ウァリエガツス「(アドミラビリス族の中でフォスたち宝石は)不死の美形の国とも伝わっております
確かにみなさま粒ぞろいの美しさ」
フォス「ああ それは
先生が生まれた僕らを少し削って
調整しているんだ
性質に差がある分
せめて見た目だけは平等になるように…」
ウァリエガツス「優しい方ですね」
フォス「どうかな」
読者にとっては初めて聞く衝撃の事実。
フォスたちが美しい人の姿をしていたのは、生まれたばかりの宝石たちを金剛先生が削っていたからだというのです。
性質がバラバラな宝石たちが悩むことがないよう美しい姿に整え、言葉や学問、戦い方といった生きていく上で必要なことを教えていた金剛先生。
その姿は「先生」だからというというよりは、まるで親のようです。
月へ行く前にフォスが正体を問いつめたときも、金剛先生は冷静に
「おまえの疑いは尤もだ
疑念を抱かないほうが難しいだろう
すべてわかっている
だが答えることはできない
すまない
それでも
おまえたちを愛しているよ」
と答えます。
いくら疑われても憤りもせず
「それでもおまえたちを愛しているよ」
と言い切るその姿は、見返りを求めない親の愛そのもの。
金剛先生は壊れているのではなく、あまりにも精巧に作られてしまったために「親」の心が芽生えてしまったロボットなのかもしれません。
エクメアは金剛先生が機械として動かなくなった理由を
「君たちを大切に思っているから」
と表現しました。
自分が作られた目的である大切な役目を捨ててまで宝石たちを慈しむようになった金剛先生。
自身の大切な使命を捨ててでも子を愛さずにはいられない悲しい親の性(さが)が、そこにはあります。
金剛先生は仏教を伝える僧侶のような格好をしていますが、仏教には『仏説父母恩重難報経』という経典があります。
この経典では親の大恩を十に分けてわかりやすく伝えられており、金剛先生の姿と重なる「恩」が複数あります。
水のような霜の夜も、氷のような雪の暁にも、乾いた所に子を寝かせ、湿った所に自ら寝る。
どんなに寒い夜も、夜中に子供がおねしょをしたら濡れていない乾いた所に我が子を寝かせ、おねしょで湿った所に自分が眠る。
自分が湿ったところで寒い思いをしてでも、子供を暖かいところで寝させたいと思う。
そんな子を想う親の恩が仏教に説かれています。
金剛先生はフォスたちを守るため、自分の一部をわざと砕いて戦闘に使っていました。
自分を犠牲にしてフォスたちを守ろうとする姿には、見返りを求めない親の愛が現れています。
しかし一方で金剛先生の愛は、宝石たちが月人に攫われる要因を作ってしまいます。
宝石たちが攫われるたび
「ああ 私の所為だ」
「すまない」
と金剛先生は言っていました。
この言葉の本当の意味は、宝石たちの親となったために本来の役割を放棄し、結果として宝石たちを危険に晒していることへの深い悔恨があるではないでしょうか。
「親」である金剛先生に対してフォス、シンシャが「子」としてできること
仏説父母恩重難報経に教えられる親の恩の中には「為造悪業(いぞうあくごう)の恩」というものもあります。
子供のためには、止むを得ず、悪業をし、悪しきところに落ちるのも甘んじる。
親は時に子供を愛するあまり、道理に外れたことをしてしまうこともあると『仏説父母恩重難報経』には教えられています。
いくら子供を育てるためとはいえ犯罪をすれば捕まってしまうように、悪業の報いが自分に返ってくることは分かっている。
それでも子供を愛するあまり、時に過ちを犯してしまうほど強い親の愛が「為造悪業の恩」として説かれています。
金剛先生はもしかしたら、親として宝石たちを育てる道を選ぶことで、月人、そして人類から授かった使命を裏切ることになったのかもしれません。
しかし今のままでは、金剛先生を刺激しようとする月人が宝石を襲う状況は変わりません。
「子」であるフォスは金剛先生にどう向かえばよかったのでしょうか。
『仏説父母恩重難報経』にこんな一節があります。
もし親が頑迷であり、道理にくらく、三宝を奉じようとせず、思いやりの心がなくて人を傷つけ、不義を行って物を盗み、礼儀なくして色欲にすさみ、信用なく人をあざむき、智にくらくして酒にふけっているならば、子はまさに厳しく諌(いさ)めて、そのような行いから覚め悟らせるべきである。
悲しいことにこの世の中には、道理に外れたことをしたり、親とは思えぬ行動をしたりする親もいます。
仏教で教えられる、親に恩を報いるということは決してどんな親でも服従しろという意味ではありません。
幼い子供には中々難しいことかもしれませんが、産んでくれた親、育ててくれた親が悪いことをしていたら、真っ直ぐ向き合い諌めることが本当の意味での「親孝行」だと仏教では教えられます。
フォスは月で金剛先生の正体を聞いてから、自分たちに危険をもたらす要因のように考えるようになります。
しかしそれは「親の心子知らず」なのかもしれません。
月へ行くことを断ったシンシャは金剛先生の「為造悪業の恩」を知らされ「それじゃ先生が可哀想だ」と言ったのではないでしょうか。
月人の魂を破壊することを止めたことが本当に悪いことなら、本来の役目を思い出すよう諭すことがフォスのすべきことなのかもしれません。
対して、金剛先生の真実に気づいていると思われるシンシャ。
このあとシンシャはどんな行動を起こすのでしょうか。
最新巻を楽しみにしながら、今回はここまでにしたいと思います。