生きる価値がない(と思われる)人物を“生きたまま臓器解体する”という衝撃的な内容で話題の漫画「ギフト±(プラスマイナス)」についての記事を書いています。
前回、前々回は、ヒロイン達が「生きる価値のないクジラ」と呼ばれる連続強盗殺人犯を拉致し、生きたまま臓器解体をした後、レシピエント(臓器移植を受ける患者)へその臓器を提供する、という話を元にしながら、仏教で説かれる殺生罪についてお話ししてきました。
前回、前々回の記事はこちら↓
[blogcard url=”https://20buddhism.net/gift-plus-minus/”] [blogcard url=”https://20buddhism.net/gift-plus-minus2/”]
今回は、「レシピエントが臓器移植手術によって延びた命、その命で何をするか」について、仏教の観点から考えていきたいと思います。
臓器移植手術希望者が減らない理由
前回の記事でも触れましたが、臓器移植の需要と供給の関係について、臓器移植手術希望者(レシピエント)13,000人に対し、臓器提供者(ドナー)がたったの300人という衝撃の結果がデータで出てしまっています。
しかも、自分に合ったドナーが見つかり、仮に手術が成功したとしても、レシピエントは完全に健康体に戻るわけでは決してありません。移植された臓器の機能も、健康時の本来の自分の臓器の約20%に落ちてしまうそうです。
また、移植後は拒絶反応を抑えるため、何種類もの免疫抑制剤の投与が必要になりますが、その投与には副作用が生じるのです。
心臓移植を受けると、心機能が戻るので、生活は一変します。合併症がなければ、社会復帰したり、活動範囲が増加したりして、生活の質(QOL; Quality of Life)が向上します。
しかし、免疫抑制薬を飲まないと、頂いた臓器を自分の免疫担当細胞や抗体が攻撃して傷めてしまいます(拒絶反応といいます)。
そのため、一部の臓器移植を除いて、移植を受けた患者さんは一生免疫抑制薬を飲まなくてはいけません。
また、免疫抑制薬を飲むと、病原体(細菌、カビ(真菌)、ウイルスなど)からの防御機能が低下するので、感染症に罹り易くなります。
そのため、いろいろな日常生活の制限が必要ですので、待機中にしっかりと勉強しておくようにしましょう。
・・・それでも、レシピエントの数は減ることはありません。
それは当然、たとえ免疫抑制剤の投与が必要になって副作用で苦しもうとも、完全な健康体に戻らず日常生活に制限が生じようとも、「少しでも命を延ばしたい」という思いからでしょう。
人生のタイムリミットが伸びたら、何をするか
では仮に、あなたが臓器移植を必要としていて、運よく移植手術を受けることができ、人生のタイムリミットが伸びたとしたら、何をしたいでしょうか?
- 今まで自分はお世話になりっぱなしだったから、他者に貢献できる仕事に打ち込む。
- 療養中はとてもできなかった趣味や恋愛を思いっきり楽しむ。
- これまで目にしたことのない壮大な景色を観るために旅に出る。
- 大切な家族と過ごす。
そのほかにも、思い描いていたことは、いっぱいあるはずです。
しかし、免疫抑制剤の副作用や、日常生活に制限が生じれば、思い描いたことができるとは限りません。身体の不調により、仕事も趣味も臓器移植前のように打ち込むことができず、ギャップで苦しむ可能性もあります。
日常生活が制限されてまで生きるのは、一体、何をするためなのでしょうか。やりたいことが制限されている中で、何をすれば後悔のない人生にできるのでしょうか。
それについて考えさせられる、仏教の教えを端的に現された「天上天下 唯我独尊」という言葉を紹介します。
誤解された「天上天下 唯我独尊」
突然ですが、中学生のヤンキー達が卒業式に着ていく服といえば何でしょうか?
そう、特攻服ですね(笑)
私の時代も、卒業式当日、ヤンキー達はそろって派手な特攻服に身を包んでおりました。ヤンキー達と一緒に写真を撮るのも、一種の恒例行事です(笑)
そんな彼らの着る特攻服の背中には「天上天下 唯我独尊」の文字がババーンと刻まれておりました。「この世でおれが一番強い」という意味で使っているのだと思います。
この「天上天下 唯我独尊」は、お釈迦さまが誕生したとき、四方に七歩ずつ歩き、一方の手で天を、一方の手で地を指して唱えたという「長阿含経」の話に基づくと言われています。
ですが、本来の意味としては、決して「自分1人が偉いんだ、尊いんだ」と言いたいのではありません。お釈迦様がおっしゃる教えですからね。
「天上天下 唯我独尊」の本当の意味
「天上天下 唯我独尊」の本来の意味は、「天上にも地上にも、ただ人間にしかできない唯一の尊いことがある」ということです。
「我」という漢字は、「人間」のことをさします。
唯一の尊いこととはなんでしょうか?
そして、本当の社会貢献、人助けとは何か。犠牲者を出すとはどういうことなのか。
詳しくは、後半の記事でご紹介します。