「あの方は我らが邪魔なのだ!」『真田丸』27話豊臣秀次の言動にみる、“不信”からの悪循環を断つ方法

こんにちは、
大河ドラマ「真田丸」について続けて解説しているYURAです。

豊臣秀吉(小日向文世)の第一子・鶴松が齢3歳で亡くなりますが、秀吉と茶々(竹内結子)の間には、早くも次の男子・(ひろい)が誕生します。

待望の跡継ぎが生まれたとあって、聚楽第は再び喜びに包まれます。

しかし…、ただ一人、焦りを募らせる男がいました。
関白となった、豊臣秀次(新納慎也)です。

今回は、この秀次の心理を通して、仏教で説かれる「業界」について学んでいきたいと思います。


※今回の記事に関する動画です。

豊臣秀次が抱いた、秀吉への“不信”

秀吉の甥にあたる秀次は、侍女とも対等に話をする、とてもラフな男として描かれています。権力にはあまり関心がなく、関白として叔父の秀吉を支えたいと思っていました。

しかし、拾が生まれたことで一転します。

秀吉に世継ぎが生まれたということは、いずれ自分は邪魔になるはずだ、と思いつめるようになるのです。
秀次は秀吉を恐れ、秀吉に嫌われないようにと、びくびくした毎日を送ります。

そんな折、秀吉は秀次に、ある頼み事をします。

それは、日本を5つに分けて、その中の一つの九州を息子の拾にやってくれんか、ということでした。

なぜ九州を先にくれと言ってきた?
私が将来、拾様を攻め滅ぼす事のないように先手を打たれたのだ!

(NHK大河ドラマ「真田丸」第27回「不信」 より)

秀次の心が波立ちます。

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あらすじ 第27回「不信」|NHK大河ドラマ『真田丸』 より引用)

またある日、秀次は伏見城改築計画を耳にします。
伏見城は秀吉の隠居所だと聞いていたにも関わらず、その設計図面の中には、政を司る「謁見之間」や「評定之間」がありました。

秀吉にとって、所詮自分はお飾りにすぎないのか、と秀次は一層不安を募らせます。

更に、追い打ちをかける出来事が起こります。

秀次の弟・大和中納言秀保(ひでやす)が病でこの世を去るのですが、秀吉は、鶴松と同じ年になろうとしている拾を案じ、葬儀は隠密に済ませるよう厳命を下します。

息子の縁起担ぎのために肉親の葬儀をしないという、秀吉の自分勝手さに腹が立つならまだしも、秀次の心は別の意味で怒り心頭します。

叔父上にとって我らは要らぬ者なのだ
あの方は我らが邪魔なのだ

(NHK大河ドラマ「真田丸」第27回「不信」 より)

秀次の不安は絶頂に達し、疑心暗鬼に陥ります。

それぞれが生み出す世界に住んでいる?

これらの件に関して、秀吉の真意は定かではありません。

もちろん誰でも我が子が一番かわいいはずですから、いずれ自分の子に継がせたいと、少しは思っていたかもしれません。

一方「真田丸」では、親子親戚を大切にする秀吉の姿も度々描かれています
秀次も以前、こんな暮らしをさせてもらっているのは叔父上のおかげだと、秀吉への感謝を明かしています。

しかし、拾が生まれてからというもの、秀次の心には暗いフィルターがかかってしまい、何事もいいように受け取れません。

仏教では、行為のことをといい、私たちは、それぞれの業が生み出した世界に生きている、と教えられています。
その世界は「業界(ごうかい)」と呼ばれます。

一般には、ぎょうかい、と読みますね。
金融業界、出版業界などと使われていますが、元々は仏教の言葉なのです。

それぞれが独自の世界に住んでいますから、同じものを見ていても受け取り方は違ってきます。ちょうど、独自のフィルター越しにものを見ているような状態です

また、過去の自分と今の自分とを比較しても、経験を重ね、いろいろなことをやったり思ったりしてきたことで、過去とは見方が大きく変わっていることに気づくことがありますね。

例えば、最近、あなたに気になる子ができたとします。
その気になる子は、ある芸能人のファンだということがわかりました。

すると、たまたま立ち寄った本屋で、その芸能人の載ってる雑誌が目に付いたりします。

本屋に限らず、テレビやインターネットでも、今まで全然気にも止めなかったのに、急にたくさんその芸能人を見聞きするようになった、ということがありますね。

昨日今日でその芸能人の人気が爆発し、よく見るようになったというわけではなく、好きな子ができたという経験から、「その子と話を合わせたい」「その子に好かれたい」という自分の思いがあふれ、見方を変えていったのです

このように、同じ毎日、同じ空間でも、どんな見方をするかで景色は変わるのです

「人の言葉は善意にとれ」悪循環に陥らないために

秀次は「自分は邪魔者扱いされるのではないか」と常に疑心暗鬼になっていました。
そんな思いが、「秀吉は自分を嫌っている」と見せる世界を作り出し、秀吉の行為をまた悪意に受けとめてしまう、という悪循環に陥っていきます

そんな秀次の姿は、秀吉にとってあまり気分のいいものではありませんでした。
「かわいい甥っ子だ」と言っていた秀吉も、やがて心が変わってしまい、叔父と甥のすれ違いは深くなるばかりです。

私たちも普段、「あの人から自分は嫌われているんじゃないか」「よく思われていないんじゃないか」と感じることがあります。

すると、それが本当であるのかどうか確かめるよりも先に、その人に対して嫌な感情が芽生えます。

秀次と同様、私たちもまた、そんな思い込みが相手をより悪く見る世界を造り、運命を自分で悪い方向に変えていっているかもしれません

つまり、心の向きが、幸せな世界にするか、不幸な世界にするかを決めているわけですね。

物事を悪く見る方に心が向いてしまいがちだからこそ、善意にとらえることが大切です。

最も優れた作家といわれるシェークスピアは

人の言葉は善意にとれ、そのほうが5倍も賢い

と遺してます。

事実とわかっているのに、それを誤魔化して見てはいけませんが、
幸せな世界で過ごせるように、悪く見ようとする心の向きを変えていきたいですね