続『刀剣乱舞-花丸-』が1月7日から放送スタートしました。
gooランキングの1月スタート「深夜アニメ」ランキングにて3位にランクインしており、視聴者からの期待の高さも伺えます。
『刀剣乱舞』は今週14日にリリース2周年を迎える、大ヒット作の刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』が原作。
昨年ヒットした『活撃 刀剣乱舞』などのアニメ作品、CDやDVDがオリコン週間1位を獲得したミュージカル『刀剣乱舞』や舞台『刀剣乱舞』など、あらゆるコンテンツで話題に事欠かない一大ジャンルです。
名だたる刀剣が姿を変えた「刀剣男士」たちが華麗に戦場を舞う刀剣乱舞。
続『刀剣乱舞-花丸-』で、原作リリース3周年の1月14日に放送される第2話に初登場する刀剣男士が・「数珠丸恒次」(じゅずまるつねつぐ) です。
「人を斬る道具が、仏道を守る」天下五剣・数珠丸恒次は仏道を見つめてきた刀剣男士
「私は、天下五剣の一振り。
数珠丸恒次と申します。
人の価値観すら幾度も変わりゆく長き時の中、仏道とはなにかを見つめてまいりました。
……人を斬る道具が、仏道を守る。
この在り方は、間違っているのでしょうか……」
数珠丸恒次は原作『刀剣乱舞-ONLINE-』での最難関ステージ「江戸城内」で入手可能なレア刀剣男士。
筆者は俗に「ゴリラ審神者」と言われる、刀剣乱舞をやり込み尽くしているプレイヤーの一人ですが、そんな私もまだゲットできていない「数珠丸難民」です。
刀剣男士・数珠丸恒次の元になった刀剣「数珠丸恒次」は本興寺所蔵の重要文化財で、鎌倉時代の僧侶が護身用に所持していたと伝わっています。
柄に数珠が巻かれていたことが名の由来ともされている。
祈るように伏せられた眼差しから、その心の機微を読み解くことは難しい。
数ある日本刀の中で特に名刀といわれる5振の名物「天下五剣」の一振りでもあり、ゲーム中での入手の難しさも天下五剣らしい設定になっています。
常に伏し目がちで、目が開かれることのないエキゾチックな美青年で、ボイスは言わずと知れた大御所声優・緑川光さん。
儚げで線の細いビジュアルと、グリーンリバーボイスのギャップ性も魅力的ですね。
所持しているプレイヤーが少ない数珠丸恒次は、セリフを聞いたことがある人は多くないのですが、ランダムで聞けるログインボイスは数珠丸を持っていない審神者(プレイヤー)にも馴染みがあります。
「祈りましょう。
刀剣乱舞、始まります。
諸行無常、諸法無我。」
え?今なんて言った?と思わず言ってしまいそうな、突如始まる四字熟語は仏教用語です。
「傷が癒えるまで、しばし仏道の精進に励みます」
「せっかくですので、法話をいたしましょうか。……どうして嫌そうな顔をするのですか?」
数珠丸恒次は、僧侶の元や寺院にいた来歴を表現しているのか、仏教に関係する発言が多いです。
刀剣男士という人の身を得たことで、仏道を守り仏道を求めることを生きがいとしているようにも見えます。
ログイン時のセリフ「諸行無常、諸法無我」も仏教でよく知られる言葉。
仏道を守ろうとする刀剣男士・数珠丸恒次から、仏教用語の基本を学ばせてもらいましょう。
はじめましての瞬間から数珠丸が語る「諸行無常」の意味
ログインボイスとして知られる数珠丸恒次の台詞「諸行無常」とは、どういう意味なのでしょうか。
「諸行無常」といえば学校で習った『平家物語』でこの一節を暗記したという方も多いと思います。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす
「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは常がないということで、変わるということです。
つまり、「諸行無常」とは、この世の全ては不変ではいられず、常に変化しているという意味の仏教用語です。短期間で激変する平家の栄華と没落もまさに「諸行無常」なのです。
仏教の根本思想をなすもので、あらゆるものは刹那(一瞬=きわめて短い時間)の間にも変化をくり返している。
先に紹介した、数珠丸恒次のはじめましての挨拶、入手時の台詞にも諸行無常が表現されています。
私は、数珠丸恒次と申します。
人の価値観すら幾度と変わりゆく長き時の中、仏道とはなにかを見つめてまいりました。
数珠丸が生まれたのは武士の時代が始まった頃。
貴族政権が滅び「もののふ」が台頭する時代は江戸時代で終わりを迎え、刀が振るわれぬ時代で大戦が起こり、戦後260年が経った2205年に数珠丸は刀剣男士として人の身を得ます。
刀を重宝した武士が刀を奪われるほど、人の価値観は1000年の間で幾度も変わりました。
同じ日本にいながら、目まぐるしく変わる社会に数珠丸は変わらない「常」など一切無い「無常」を強く知らされたのではないでしょうか。
出陣の準備中に聞ける
「私が武器を持つことになるとは…」
というセリフにも、中世から2205年まで変わり通しだった人の世を目の当たりにした数珠丸の感慨が見え隠れします。
私たちにとって「諸行無常」は辛いこと。それでも数珠丸は「諸行無常」を見つめることの大切さを教えてくれる ※死亡台詞ネタバレ注意
「この力で、衆生を救えればよいのですが」
仏教は衆生、つまり私たち人間を救って幸せな身にするために、お釈迦様が説かれた教えです。
そんな仏道を守り、求めようとしている数珠丸も、衆生を幸せにしたいと思っているようですね。
数珠丸が審神者と出会って初めて口にする言葉にも表れている「諸行無常」の人の世。
しかし当の人間である私たちは自分たちの生きるこの世が「諸行無常」とは中々思えないものです。
『刀剣乱舞』で描かれるのは、数珠丸が人の身を得た2205年。
2205年となると今から100年以上も未来の世界です。
私たちが現在住んでいる家はもちろん無くなっていますし、毎日暮らしている街の状態は跡形もなく消え去っていると思われますが、分かっていても簡単には受け入れられない現実でしょう。
そして私たちが何より受け入れられない諸行無常は、自分の命です。
私たちの命もまた無常であり、数珠丸恒次がいた中世に書かれた仏教の書物には
一生すぎやすし。
今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。
という一文があります。
一生はあっという間に終わり、100年も生きていられる人はいない。
今日は医学が発達して100歳を超えて生きておられる方もありますが、平均的な寿命は90年にも届いていませんから、現代でもいえることでしょう。
ましてや平成生まれで2205年まで生きている人は一人もいないはず。
誰もが避けられない「諸行無常」が自分の死なのです。
数珠丸恒次はゲーム中で死亡するとき
「一切皆苦 諸行無常 こうなるのもいつかはありえたことです」
と言い残します。
仏教思想の基本である諸行無常をいつも見つめているからこそ、言える言葉なのかもしれません。
私たちにとって受け入れたくないこの世の理である「諸行無常」ですが、仏教では無常を見つめることは後悔ない人生を送るための第一歩だと教えられています。
出会いの瞬間から、終わりの一瞬まで「諸行無常」を教えてくれる刀剣男士・数珠丸恒次。
次回もそんな数珠丸の深いセリフを考察してみたいと思います。