今回は、2016年本屋大賞第2位に選ばれた「君の膵臓をたべたい」(住野よる著 双葉社)から仏教に触れていきたいと思います。
それにしてもインパクトがあるタイトルですよね。
どんな内容なのか、簡単にあらすじを紹介します。
「僕」とクラスメイトの山内桜良、この二人が物語をすすめていきます。
「僕」は教室に一人でいるタイプの地味な生徒。一方、桜良は明るくてクラスの中心人物である。そんな対照的な二人が共有した秘密とは何か。
「僕」が病院でたまたま拾った彼女の日記、そのタイトルは共病文庫。そこには、彼女は膵臓の病気で余命いくばくもないと書かれていた・・・
住野よる『君の膵臓をたべたい』それは彼女が教えてくれた「生きること」への問いかけ – 積読書店員のつくりかた
この本からは、命の尊さや命の儚さ、彼女の生き方など沢山のことが学べます。
その中でも、特に注目したい二人の会話があります。
「私も君も、明日死ぬかもしれない」ハッとさせられた彼女の言葉
僕:残り少ない命を、図書室の片づけなんかに使っていいの?
彼女:いいに決まってるじゃん
僕:決まってはないと思うよ
彼女:そう?じゃぁ他に何をしろって言うの?
僕:そりゃぁ、初恋の人に会いに行くとか、外国でヒッチハイクをして最期の場所を決めるとか、やりたいことがあるんじゃないの?
彼女:言いたいことは分からなくもないけど、君も死ぬまでにやりたいことはあるでしょう?
僕:・・・なくはない、かな
「僕」は、もうすぐ死んでしまう彼女にやりたいことをしたほうが良いのではないか、と促しています。
家族と過ごす、好きな人に逢いに行く、海外旅行をする、美味しいものや高級料理を沢山食べる・・・
ここで「僕」は彼女よりも長生きする、死なんて遠い未来のように感じています。
そんな「僕」に対して彼女は、
彼女:でも、今それをやっていないじゃん。私も君も、もしかしたら明日死ぬかも知れないのにさ。
と、言うのです。
そのとき「僕」は、
「僕」だって、近い将来彼女が死ぬみたいに、いつか絶対死ぬ。
それはいつ来るか分からないけど、確実な未来。
もしかしたら彼女が死ぬ前に僕が死ぬことだってあるかもしれない。
と、思うのです。
彼女の、もしかしたら明日死ぬかも知れない、という言葉から、
死は遠い未来のことではない、
明日かもしれない、
今日かもしれない、
一時間後かもしれない、
今この瞬間かもしれない。
私たちは死と隣り合わせである、とハッと気付かされたのではないでしょうか?
死ぬ素振りなんてみせずに生きている
今から2600年前、仏のさとりを開かれたお釈迦さまは、
出る息入る息を待たず
といわれ、吐いた息が吸えないときから死後が始まり、吸う息吐く息が死とふれあっている、常に死と隣り合わせなのが人間なのだと説かれているのです。
しかし、実際はどうでしょうか。
美味しそうに、フォークに刺さったチョコレートケーキを頬張る彼女は、やはりもうすぐ死ぬ人間になんて見えなかった。
気づく。
全ての人間が死ぬように見えないってことに。僕も彼女も昨日生きていた。死ぬ素振りなんてみせずに生きていた。
(「君の膵臓を食べたい」より引用)
本当は死と隣り合わせでありながら、死ぬ素振りも見せないのが私たちなのです。
私だけではない、家族も友人も、恋人も全ての人は100%死んでいきます。
そんなこと分かっている、そう思う人もいるでしょう。しかし実際は、明日は何をしよう、今年の夏はどこに行こう、来年はこんな年にしたいな・・・と予定をカレンダーに書き込みます。
明日があると信じて、死から目をそむけています。そむけたいことでしょう。しかし、死を見つめ、有限な人生であると知ることはとても大事です。
有限であると知ってこそ、一分一秒が大切になる
突然の災害によってライフラインが切断され、飲料水の供給が困難になることがあります。
阪神・淡路大震災後のアンケートでも、「災害時に困ったこと」の第1位が「生活用水の確保(82.5%)」、第2位が「電話がつながらない(81.4%)」、第3位が「飲料水や食料の確保(71.5%)」だった(平成7年度・西宮市民意識調査)
熊本地震でも生じた「飲料水不足」〜「5日分の水」の備蓄が健康被害を防ぐ|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS
上記にあるように、災害時は生活用水、飲料水の確保が死活問題になります。
そんな緊急時に、ちょっと喉が渇いたからといって、大切な水をがぶ飲みしたりしないですよね。いつもは当たり前のように供給される水も有限であるとわかった時点で、徹底管理して使うようになるはずです。
水はやがては自由に使えるときがきますが、人生で使える時間はいつまでも有限です。しかも、いつ死を迎えるかわかりません。人生は有限あるとわかってこそ、一分一秒を大切にし、後悔しない人生を歩めることになるのです。
このことをお釈迦さまは
無常を観ずるは、菩提心のはじめなり
無常(=死)を観つめることが、「後悔のない人生を送りたい」という心が起きる第一歩である(ライター意訳)
と教えられています。
私は仏教を学び始めてから、時間を有効に使えるように考えながら生活しています。
あのときああしてれば良かった、こうしてれば良かった、という後悔をしないように毎日全力で生きていけるようになりました。(もちろん、休んで充電する時間も必要ですね)
ぜひこの記事が仏教を学ばれ、幸せな人生を歩まれるきっかけになられたら嬉しいです。