待望の実写映画が上映された漫画「四月は君の嘘」を考察、仏教哲学の視点から解説します。
前回は主人公・有馬公生の「ピアノが聞こえない」という最大のハンデの鍵を握る「母」との関係について解説しました。
7回目の今回は前回に引き続き、多くの現代人が悩んでいる問題、親との関係を改善し、どう向き合うかを仏典から学んでいきましょう。
数々のコンクールで優勝し、「神童ピアニスト」として活躍していた幼き日の公生。
しかし輝かしい功績の数々の裏には、母親の有馬早希による、体罰を伴う厳しいレッスンがありました。
公生が耐えていたのは、コンクールでの好成績をとれば母が喜んでくれること、また自分がピアノで活躍すれば母親の病気が治ると信じていたからです。
僕ね、また1位とるから。お母さんが元気になるなら、1位なんていくらでもとってくるから…
「病気の母を喜ばせて元気にしたい」その思いが裏切られた公生は…
入院していた母親がコンクールに見に来れると聞き、公生は母親を元気にしたい一心で出場、見事1位を獲得します。
しかし一番褒めて欲しかった母親に叱責され、大勢の人の前で折檻された公生はついに感情が爆発。
僕は、喜んで欲しかっただけなんだ。椿や渡と遊びたくても、叩かれても、ガマンして、ガマンして練習したのに、僕はお母さんに元気になって欲しかっただけなのに、喜んで欲しかっただけなのに、それなのに…
お前なんか 死んじゃえばいいんだ
これが母親と交わした最後の言葉。
以来公生は演奏中、自分の奏でるピアノの音だけが聴こえなくなります。
母の「亡霊」に向き合おうとする有馬公生
生きがいを失い、モノトーンのように色あせた毎日を送る中学生になっていた公生。その公生も4月、満開の桜の下で宮園かをりに出会ってから変わり始め、再びコンクールの舞台に戻りました。
しかし必死で演奏する公生の目の前に、母親の亡霊が現れます。
これは罰なのよ、公生。私をーーー私の夢を、あなたが拒絶した罰。わかるでしょ。
孤独なのは、あなたの罰
母親の囁きと共に深海に沈んでいくかのごとく音が聴こえなくなった公生ですが、宮園かをりの強い言葉が脳裏によぎり演奏を再開。一歩前に踏み出すことができたのでした。
そしてその日、かをりの家には、公生と一緒に出たコンクールの主催者からガラコンサートの招待状が届いていました。
宮園かをりがガラコンサートに選んだ課題曲はクライスラーの『愛の悲しみ』。
宮園かをりに押し切られ伴奏をすることになるものの、煮え切らない表情の公生。
公生が難色を示したのには理由がありました。
どうしたって母さんを思い出しちゃうからだよ
『愛の悲しみ』は公生のトラウマのきっかけとなった母親・有馬早希が好きだった曲。公生は物心がつく頃から母が弾く『愛の悲しみ』を聴いて育ったのでした。
ある日、公生は瀬戸紘子に夏祭りに連れていかれます。
瀬戸紘子は日本を代表するピアニストで、亡き公生の母・早希の友人。
紘子は幼い公生に音楽の才能があることに気づき、公生がピアノの道に進むことを強く勧めましたが、その結果、円満だった親子関係が崩壊。責任を感じた紘子は公生のもとから立ち去りました。
しかし3年後、公生が再び舞台に戻ったことを知って紘子は涙し、公生のピアノの指導を引き受けます。
そんな紘子に連れて行かれたお祭りで、公生は紘子と課題曲『愛の悲しみ』について語ります。
紘子「ラフマニノフ『愛の悲しみ』。早希は学生の頃からよく弾いてたわ」
公生「子守歌代わりに毎晩聴いてました。
この曲は母さんの匂いがしすぎるんです。
母さんは僕を、憎んでるんじゃないでしょうか」
紘子「親への反抗はーーー自我の確立、自立への兆しよ。
音楽家は師から学ぶ過程で、生まれた違和感を大切にすべきだわ。
その違いこそ個性なんだもの。
人は”君”を聴きに来るんだもの。
子供を憎む親なんかいるもんですか」
そしてガラコンサートの日。
来場者たちは圧倒的な個性を放つヴァイオリニスト・宮園かをりの演奏を楽しみにしていましたが、かをりが定刻になってもやってきません。
他のヴァイオリニストに、かをりの演奏についてなじられた公生は、なんと一人で出場し、ラフマニノフ編曲ピアノ版の『愛の悲しみ』を演奏します。
公生が“母という病”を乗り越えるきっかけになった「おくりもの」
最初は宮園かをりを否定されたことから、怒りのままに演奏していた公生。
いつものようにピアノの音が聴こえなくなっていく公生ですが、母親のことを思い出すと、演奏が変わり、一つ一つの音がきらめくようになっていきます。
瀬戸紘子は、夏祭りの日、公生にこんな言葉を残していました。
音が聴こえなくなるのは、おくりものだよ。
あんたには充分技術がある。自分の中にある音、イメージする音をトレースする技術。それは、早希が公生に残した想い出。
公生は演奏中、自分に備わった技術が母親からのおくりものと自覚することで、母親と向き合う心が変わっていったのです。
知ってたんだーーー
母さんの亡霊は 僕が作り出した影
逃げ出すための理由、僕の弱さ
母さんはーーー僕の中にいる
経典に説かれている、母からの「おくりもの」
公生は自身に備わったピアノの卓越した技術が、母親から授かった「おくりもの」であることを自覚した瞬間、トラウマを乗り越え、演奏は様変わりします。
この母からの「おくりもの」。
公生にとっては母親から授けられたピアノの技術でしたが、私たちにとっては何なのでしょう。
公生にも、私たちにも共通する「おくりもの」。それは「親の恩」です。
仏典でも「親の恩」がいかに大きな「おくりもの」であるかが説かれていて、『父母恩重経』というお経に非常に詳しく説かれています。
『父母恩重経』には多くの親の恩が解説されています。詳しく知りたい方は以下の記事を参照して下さい。
まず挙げられているのが「懐胎守護(かいたいしゅご)の恩」。
「懐胎守護の恩」とは、母親が妊娠中、つわりに苦しみながら子供を守って下された恩のことです。
この恩がなければ、私たちは生まれることも、この世の光を見ることもなかったでしょう。
この記事を読まれている方の中には、親の顔を知らないという方や、親らしいことを親にしてもらったことがない、という方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、今ここにあなたがいるということは、この世に産んでくれた親がいるからです。
母からの「おくりもの」を感じられず、関係に悩む私たち
とはいえ「この世に生まれたことが苦しくて仕方ない」と、自分を産んだ親に恩を感じるどころか、恨む気持ちしか起こらなくなってきてしまいます。
仏教を説かれたお釈迦様は親の恩の深さを教えると共に、人間に生まれなければ永遠に訪れない幸せがあるということを生涯かけて教えていかれました。
実はお釈迦様は生まれてすぐにお母様を亡くされています。
私は仏教を学び始めたとき
「生みの親が健在な私でもこんなに親子関係で悩んでいるのに、実の母親の顔を見たこともないお釈迦様が親の恩の深さを説くことができたのは、何でだろう」
と疑問に思いました。
その理由は、お釈迦さまは“この幸せになるために人間に生まれてきた”と言える幸せを体得したからなのです。
その幸せになって初めて、本当の意味で親の恩が分かるとお釈迦さまは説かれました。
生まれてきて良かった、という心が今なければ、産んでくれた親への恩も感じられない。ハズレた宝くじを捨てるように、命を捨ててしまう若者が後を絶ちません。
厚生労働省の調査によると20代、30代の死因の1位は「自殺」。
いかに多くの現代人が「生まれてきて良かった」という親からの命というおくりものを受け取ることができていないかが、分かります。
本当の幸せになり、自分の命を「おくりもの」として親から受け取れる身に早くなって欲しい。こういう思いでお釈迦さまは一生涯かけて、本当の幸せに近づく道を説かれたのです。
「じゃあ虐待をするような親や子供を殺すような親も、『恩があるから』で許されるのか?」という疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
公生が母と向き合う過程には、その答えも隠されています。
次回に続きます。