Mr.Childrenのアルバム「I♡U」の1曲目「Worlds end」。
最初聞いたときに衝撃を受けました。
マイナー調のハードなイントロから始まり、桜井さんが物悲しげに叫ぶ曲。
ライブではイントロの前に激しいドラムが入り、ハードさが増します。
私たちの理想と現実がうまく対比された歌詞が、マイナー調のメロディーにうまく
乗っかっています。
Mr.Childrenの曲の中ではとても人気で、その人気ぶりはライブでも何回も演奏されたり、
ベストアルバム「Mr.Children 2005-2010 」にも収録されるほど。
というわけで、この曲がそれほどにまで名作である理由を歌詞の意味を通して探っていきます!
アルバム「I♡U」で1曲目の名作「Worlds end」
「Worlds end」は、2005年9月21日発売のMr.Children12枚目のアルバム「I♡U」に初収録されました。
このアルバム「I♡U」はシングル「Sign」、「未来」「and I love you」「ランニングハイ」を収録しており、緩急のある少し暗めのアルバムとなっています。
上記収録曲以外にも、翌年以降のツアーで歌われる曲が複数あるほどの名アルバムで、
初登場1位、年間8位にランクインしました。
そのアルバム「I♡U」で1曲目に収録されている「Worlds end」。
プロモーションビデオは、2001年からMr.Childrenのミュージックビデオ、ジャケットデザインを手がける丹下紘希※が手がけています。
※映像作家・ディレクター。Mr.Children以外にも、MISIA、桑田佳祐、CHEMISTRY、
浜崎あゆみなど数々のミュージックビデオ、ライブ映像等を手がけている。
たった一部屋で、歌詞の内容を忠実に再現したミュージックビデオは見ものです!
歌詞は「理想と現実の対比」で書かれており、マイナー調のメロディーととてもマッチ
しています。
最初に、筆者がとても印象に残った2番サビの意味から見ていきます。
Worlds endの歌詞に込められた理想と現実
2番サビ
飲み込んで吐き出すだけの 単純作業繰り返す
自動販売機みたいに この街にぼーっとつっ立って
そこにあることで誰かが 特別喜ぶでもない
でも僕が放つ明かりで 君の足下を照らしてみせるよ きっと…
筆者が最も心に残った部分です。
私たちの現実を自動販売機に例えています。
あちこちに見かける自動販売機。
私たちがお金を投入すると、当たり前のように商品が出てくる。
自動販売機の側からすると、お金が入ったら商品を出すという同じことの繰り返し。
毎日同じことの繰り返しという現実を、自動販売機に例えています。
それでいて誰かが特別に喜んでいるだろうか、と言われるとそうではない。
そんな自動販売機のような私たちでも、誰かの足元を照らして元気づけることが
できるだろう、きっと。
現実は同じことの繰り返しですが、何とか誰かの力になってみせたい、という理想を
示しており、このサビで理想と現実がうまく対比されています。
サビのみならずこの曲の歌詞全体で理想と現実がうまく対比されていますので、次は
1番の歌詞を見ていきましょう。
1番Aメロ
ゆっくり旋回してきた 大型の旅客機が 僕らの真上で得意げに
太陽に覆い被さった その分厚い雲を 難なく突き破って消える
この時点では、旅客機も太陽も分厚い雲を破ることも何を意味するか分かりませんが、
曲が進行するにつれこれらが何を例えているか分かってきます。
1番サビ
「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」
行き止まりの壁の前で 何度も言い聞かせてみる
雲の間一筋の 光が差し込んでくる
映像と 君を浮かべて
何に縛られることもない、とは、自由を表しています。
世界の果てへも気ままに旅して廻れる、とは飛行機でどこへでも自由に行ける、
という意味でしょう。
つまり、1番Aメロでいう「飛行機」とは、自由を示していたのです。
飛行機でどんな分厚い雲も越えていける、それくらい自由でいたい、という理想でしょう。
サビの前半で、自分たちは自由で、どんな困難があっても乗り越えられる、どこへでも
行ける、という理想を示していました。
一方で、サビの後半では、「行き止まりの壁の前で」とあります。
現実は「行き止まりの壁」のようにうまくいかないことだらけ。
だからこそ、「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」と自分に言い聞かせて、
何とか乗り越えようとしています。
ここでは、理想と現実をうまく比較して、現実を励ましており、桜井さんの歌詞が響く
理由の一端が現れれているように感じます。
2番Aメロ
捨てるのに 胸が痛んで 取っておいたケーキを 結局腐らせて捨てる
分かってる 期限付きなんだろ たいていは何でも 永遠が聞いて呆れる
このようなことはしばしば経験したことがあるのではないでしょうか。
現状がずっと続くと思っていても、必ずすべてのことが終わることを、「期限付き」
と表現されています。
食べ物だけでなく、何かやりたいと思っていた気持ちも続かずに結局やらずに終わって
しまうこともあります。
私たちの現状が続かないことを「永遠」と比較している点もすごいですね。
桜井さんの世界観の壮大さが表れています。
次は、曲の締め、3番サビです。
3番サビ
「誰が指図するでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」
暗闇に包まれたとき 何度も言い聞かせてみる
今僕が放つ明かりが 君の足元を照らすよ
何にも縛られてはいない だけど僕ら つながっている
どんな世界の果てへも この確かな思いを連れて
この曲の集大成です。
現実は先が見えないことも多いから、「誰が指図するでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」と自分に言い聞かせて進んでいく。
そして、進みながら自ら光を放って周りを勇気づける、ということでしょう。
2番では「照らしてみせるよ」と言っていたのが、3番では「照らすよ」と強い表現に
なっています。
足元が明るくなると私たちは前進できます。
自由であって、友人や家族などとしっかりとつながっていたい。
そして、「誰が指図するでもなく 僕らはどこへでも行ける そうどんな世界の果てへも
気ままに旅して廻って」と自分に言い聞かせれば、世界の果て「Worlds end」までも行くことができる。
つまり、どこへでも自由に行ける。
そうありたい、という私たちの強い理想を非常に響く表現で表されており、
1番から3番まで全てのサビで私たちの理想と現実の対比がうまく表現されています。
私たちの現実と仏教の「流転輪廻」
私たちの現実
2番のサビで、私たちの現実を自動販売機に例えていました。
これは、同じことの繰り返しが日々続いていることを示しています。
学生のときは、授業とサークル・部活動とバイトの繰り返し。
学生の間は楽しいことも多いため、同じことの繰り返しには気づきにくいでしょう。
しかし、社会に出たら、会社員ならば、本当に必要かどうかわからない仕事を毎日繰り返す。
それで誰かから感謝されるのかも分からないし、感謝されないことも多い。
場合によっては感謝されないどころか、悪く言われたりもする。
まさに、「そこにあることで誰かが 特別喜ぶわけでもない」のです。
でも何とか誰かに喜んでもらおうと、辛いながらも懸命に働く。
そしてつかの間の休日に家族に尽くした後、また同じような辛い仕事を繰り返す。
このように私たちの現実は、自由とはかけ離れた「同じこと」の繰り返しです。
これを仏教では「流転輪廻」と教えられています。
仏教の「流転輪廻」
仏教の「流転輪廻」とは、車輪が同じところをぐるぐる限りなく回り続けるように、
同じ所をぐるぐる回る・同じことを繰り返し続けることです。
生きている間辛いことが色をかえ形を変えて繰り返しやってくることで、
「辛いこと・苦しいことを繰り返し」ているのが私たちの人生なのです。
先述した仕事の例はごく一部にすぎませんが、俯瞰してみると、私たちは日々同じことを
繰り返しています。
しかもそのほとんどのことは、自由とはかけ離れた辛い・苦しいことばかりではないでしょうか。
毎日自由とはかけ離れた辛い・苦しいことばかりを繰り返していることを、仏教では
「流転輪廻」と教えられています。
流転輪廻については、以下の記事に詳細に解説されていますので、
より詳しく知りたい方は是非ともご覧ください。
以上のような点で、桜井さんの紡がれる言葉には仏教と通じるところが多いなと
とても心を打たれました!
それが、より多くのファンの共感を呼び、時が経っても色あせない、数多くの名曲を
生み出す理由です。
その歌詞の深さに筆者は魅入られ、長年ファンを続けています。